第33話 日曜日後半 ①

 日曜日、せっかくの大樹とのデート、しかも今日は結婚に向けての具体的な彼の意思が確認できた という、私にとって今まで抱えていたモヤモヤが解消された 嬉しい日なのに。 

 そして、今 話題のデートスポットに私を連れてきてくれたのに、昼イチのイルカショーで 早くも終了となるのは、なんだかもったいないというか、何とも言えない残念な気持ちになってしまう。

 

 ずっと日傘を持ってくれて、私をエスコートしてくれている大樹にも、本当に申し訳なくて、それだけにお昼過ぎの まだまだこれから という時間なのに、という気持ちになるのが辛い。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、園を出て駐車場に向かうまでの間、大樹は 私の来週からの仕事のことや、これから向かう英語講座のことを、彼なりに心配してくれながら、そして寒いダジャレやギャグを交えながら激励してくれた。 


 彼の優しい気遣いが本当に嬉しくて心に沁みる。


「えっ? あれ? 」 

 

走り始めた車が右折するものだと思っていた私は、左折した途端に思わず声が出てしまった。

 

 無言で、でもBGMのJ-POPを時々口ずさみながら、大樹は淡々とハンドルを操っている。


「こっちでよかった? 」  


「おぅ、だって 来た道って、この時間は大体 渋滞してるし 」 


 抜け道でもあるのだろうか? でも方向が全くの逆だから不安が募る。 


 え? まさか? いや、いくらなんでもそれはないだろう、と思いながら、でも大樹も健康的な男性だし…… 数分だけでも、とか?  

 ううん、そんなことはないはず、ここは彼を信じるしかない。


 それと、大樹からは今日の晩ごはんに誘われたけれど、15時からの講座の後、19時からの英会話教室までの間に夕奈と食べる約束をしていることを返した。


「そっか 」


 その一言の後に、ふっと小さく息を吐き出した彼の顔は一瞬だけ曇り、テンションも下がっているような気がして。 その時、私の眼には そう映っていた。

 

 私は、なんだか申し訳ないような気持ちがしている中で、「だったら英会話教室が終わったら迎えにいくし」、と続けて彼が言ってくれたことには、直感的にNoの選択肢はありえないと判断して、


「ありがとー それ、助かる! 」私はすぐに気持ちを込めて明るく返事。


「OK~! 」 と すぐに返してくれた彼に、内心 私はホッとした。


(ホッとした?? え? 急に私、弱気になってる?)

 ううん、弱気だってなんだって良い、だって おおげさかもしれないけれど、私にとって今日は目標に向けてのカウントダウンが始まった日。 

 なんとかこのまま続けていかないと、今までのように何もなくダラダラとするのは絶対に嫌だから。

 そのために今日からゴールまでの日々は、本当に大事に慎重に 彼と育んでいかないと。 弱気になることもスパイスのうち。 とにかく 絶対に手放してはいけない、そんな気持ちになっていたのだから。 


 それにしても、車はそのまま逆方向を進み続けている。 左側にはずっと青い海と青い空と白い雲の まるでポスターのようなコントラストが素晴らしくて、これがデート本番なら気持ちの良いシーサイドドライブ ではあるけれど……


 車はもうマリンビレッジのある町を抜けて 隣町を快走中、時間はあと10分もすれば 14:00 になってしまう。


 大樹を信じているとは言え、やっぱり不安になって大樹に声をかけようとした その時に、車が右折した。


 と、右折した先、そこには どこか懐かしい感じの鄙びた平屋建ての駅舎が。 そして、ここからはマリンビレッジ行きのシャトルバスが出ているらしく 駅前にはイルカやペンギン、マリンビレッジのキャラクターの大きな写真でラッピングされたバスが待機していた。 人もまばらなローカル線の駅って感じだ。

 

 そっか! ここから電車で? そういうこと? なるほどー!


「こっから快速で20分、特急はノンストップ17分で着くし 」 

 どこか得意気な表情の大樹。

 

「そのテがあったんだー え、全然 わからなかったー! 」 

 さすが大樹! そっか、鉄道好きって言ってたよね、あまり表には出さないけど。


「ま、いいから 早く 快速と特急 どっちも来るし 好きなほうで 」


「え? どっちが良い? 」 


 どっちも同じように聞こえてしまう私は地理、特に交通系に弱く、大樹にバカにされることもしばしば。 


「女子アナさんは特急だろ 絶対に混んでいないし、座れるし、涼しいし 」


「もぉ! 」


「早くしないと! せっかく 間に合わせたんだし 」


「あ、そーよね! ありがとう また あとで連絡するー 」


 そう言われて急に焦ってきた私は、車から降りると早足でそんなに大きくない閑散とした駅に入って 急ぎ窓口で切符を購入、ホームへの階段を上った。


 何度も愚痴るのだが、夏本番の休日の昼下がり、本来ならこれから午後のひとときを大樹と楽しむ時間、今日なんて、せっかく話題の水族館に来ていたのに、そう思うと仕事のことだとは言え、これからの時間がどうも憂鬱というか不満というか、とにかくネガティブに考えてしまう。


 ううん、ダメ! そんなことはない、そうじゃない! わたしは今日から またあらためて、彼と一緒に頑張ることに決めたのだ、仕事も。


 上り電車のホームに表示されている2号車の乗り口に着くと すぐに青い車体の特急マリンブルー8号が入ってきた。


 大樹のおススメどおり指定席車両の涼しい車内は空いていて、座り心地の良いリクライニングシートに腰を下ろした。 私はベージュカラーのトートバッグから取り出したペットボトルのお茶を ひと口、ふた口、ゴクリと喉を潤すと、時間を気にして焦っていた気持ちが幾分か和らいだ。

 

 しばらくの間、右側車窓に映る夏の海の景色をぼんやり眺めながら、彼との将来に向けたプランを自分なりに描いていく。 これからの1年はお互いに仕事を頑張る、それでも仕事と両立しながら、少しずつ準備をして、再来年のどちらかの誕生日付近でゴールイン!


 今の私の頭の中は、そのゴールインの華やかなイメージを描いていた。 結婚式よりも、むしろそのあとの披露パーティとか二次会とか、妄想に近いけど、イメージをするだけでも楽しかった。

(どこでするのが良いのかな?)(どんなドレスを着て?)(誰を呼ぼうかな?)……

(泰子の時みたいな こじんまりとしたアットホームなパーティで、温かい雰囲気なのも良いなー) とか。 


 この時の私の顔はきっとニヤケていたに違いない。 

 でも、今くらいは良いよね! 近くに誰もいないし。 だって本当に嬉しかったんだから! 私は幸せを噛みしめていた。 


 あっ、そうだ…… それにしても、私のことを 女子アナだなんて! 正直、私的には、そこまで寄せる気はぜんぜんなかったのに。 今までの私だと、大樹に バカにされている? 茶化されている? くらいにネガティブに受け取っていたのだけれど、でも、ま、悪い気はしない。

 

 今は何を言われても気にならないくらいに機嫌もよくて余裕もあったから。 

 やっぱり私は単純? ついついひとりで微笑んでしまう。 ^^


 っと、右足ふくらはぎ真ん中に、微かに? ピッとした違和感というかチクッとした刺激を感じた。 

 ? なんだろう 静電気のような? よくわからないままに何気にそこに目を遣ると、ストッキングが伝線していた。


 (うわっ;;)


 忘れていた、いつかのシーンと同じだ、と記憶がジワリと蘇ってきた。 あの日、私の誕生日にガーネットのネックレスを大樹にプレゼントされて、嬉しさで舞い上がっていた日のこと。

(あぁ~ もぅ!!こんな時に!!) 

 水を差されたようなほんの些細な出来事だった、だけどせっかく幸せにどっぷりと浸っていたひとときを邪魔された気がした、あの時と同じだ。

 調子に乗りすぎないように! って、どこか何かの警告? 神様のヤキモチ? そんな感じかな? 


 本当は、私は電車の中で、大樹にお礼メッセージと、仕事目線で観たマリンビレッジの感じたことをメモに残そうと思っていた。 

 だけど、このプチトラブルが発生して、大したことではないにせよ、なぜか気になってしまって、結局、両方とも実行できなかった。


 マリンブルー8号は定刻どおりに駅に到着。


 さすが大樹! という思いもそこそこに、私は駅ビル2Fのお店に駆け込んでストッキングを買って、次は 落ち着いて 身支度をキチンと整えなおし、スマホのマップ画面で目的地を確認した。

 

 この駅は、毎日利用する会社の最寄り駅だから慣れた場所だ。 だけど今日はいつもとは反対側の出口になるので私の土地勘は一気に薄くなる。 

 もう一度、駅出口に立って、マップを片手に見渡して、目的の雑居ビルがある方向がわかった。 ここからだと徒歩5-6分くらいで着くみたいだから、開始の10分前には入れそうだ。


 せっかくの休日デート、しかも今日は特別だったデートを切り上げてまで、ここに来たのだから、がんばらないといけない。 私は意識して背筋を伸ばし、同時に気持ちも切り替える。


(新しい仕事の第一歩になるんだー!) 

 それくらいの意気込みを持って、ふたたび日傘を差して 歩みを進めた。


 開始10分前、予定通りに雑居ビルの3Fに着いた。 エレベーターを出た正面の会議室ドアには「ビジネス英語講座」とタイプされたマグネットの表札が掲げてあった。

 

 今日の私は、当然、緊張はしていたものの、気分は上々でモチベーションも高いだけに、怖気づくようなことはなくて、その勢いのまま、ドアを開けて中に入った。


 講座・講義・教室のイメージだと、ホワイトボードか黒板の前に教壇があって、学校のように机が配置されている姿を想像していたのだけれど、机と椅子はサークル型に配置されていて、既に数名の男女が座っていた。

 

「こんにちはー 」

 それでもやっぱり緊張しているのか、私は自分の声が上ずっているのはわかった。


「こんにちは 」 「あっ こんにちは 」 「こんにちは おつかれさまです 」


 すでに着席していた数名の受講生が口々に返してくれたトーンは柔らかく感じられて、まずは安心した。


 机上に「Ayaka Matsumoto」の名札を見つけると、軽く会釈をしながら私はそこに座った。 夕奈の名札はちょうど私の対面側にあったけれど、席に彼女はいない。

 とりあえずバッグからノートとボールペンを出して机の上に置いて、なんとか準備だけは終えて、あとは開始を待つのみとなった。 

 漸く落ち着いてきた私は、教室全体を見渡して、すでに席に着いていたほかの受講者の方を観察するくらいの余裕は出てきた。


 と、まずびっくりしたのが、みなさんのこと。 年齢は私とほぼ同年代のような気がする、差があっても、±3歳程度? そんなみなさんは、まるで仕事帰りのような、ううん、今だけ仕事から抜けてきているような、もしかしたらこれから商談? そんな外見で、しかもカチッとしている、しすぎているのだ。 

 今日は この講座があるからと、自分なりに きちんとした格好のつもりの私だったけれど、どこか浮いているような気さえする。 男性はクールビズのビジネスカジュアル、女性は白ブラウスにタイトなスカートかスーツパンツでヒールのあるパンプスを履いていた。

 

 そして もうひとつ、びっくりしたのが、みなさんの机の上には示し合わせたようにノートPCが。 

 さすがは、「ビジネス」英語! このテの「講座」に通ったことのない私は、その外見に圧倒された。 私も次回は持参しよう。

 

 こうなってくると、少々場違いな気さえして、私は恥ずかしくなって顔を上げることができなくなっていた。 

 そして未だ夕奈の席が空いているのが私的には孤独感で不安になってしまう。 


 そうこうしているうちに席は埋まり、先生も入ってきた。 先生は女性、一見して どこかの会社の社長秘書?のような? こちらも髪はアップにしてカチッとしたスーツ姿で、スラリとした外見から、どこか柔らかい威圧感というか、オーラを纏っていた。

 

 新入りの私は自己紹介を促されたので、素直に英語が苦手なこと、このような講座は初めてだということを、会社名と新しい役職を合わせて簡単に挨拶をした。 

 いつもの私ならば オドオドしながら、しどろもどろの自己紹介になるところ、今日はこの教室の雰囲気なのか、ううん、私のこの講座に臨む意気込みなのか、自分でも内心、いいじゃん!って思えるくらいに、良い意味で開き直れて、堂々として滑舌よく自己紹介ができた気がした。


 さぁ、いよいよ講義が始まった(夕奈は1時間後くらいに入るとのこと)。


 ザックリとした講義の内容は、その日に担当となる一人の受講生が、自分の所属する部門の簡単な業務紹介をしたあと、次は先生から たとえば商談や商品説明、訓練やトラブル対応、会議設定や部下の評定等など、様々なビジネスシーンの中で話される専門用語や文法、ケーススタディを学ぶ。

 そして今度は 実際にビジネスシーンを想定して、全員がロールプレイング、ペアトークをする、基本 すべて英語で。

 お客様役であったり、上司役であったり、担当者役であったり、英語のできない私は単語を並べるだけでも、とにかくできるだけ英語を使い、もちろん学んだ専門用語や文法も交えて相手の方と話をする。 どうしても の時は日本語でもOK。

 その際は先生がすぐにフォローをしてくださり、すぐにその英語を復唱して会話に戻る。


 あえて 全く自分とは関係のない業界業種なのに そのように英語を学びながら、ビジネスという大きな括りの中での自分の見識を広め、蓄積していくという狙いもあるらしい。

 今日の担当となった栗山さんは、航空業界 まさにCAさん、いやCAさんの教育をする部門に所属をしている人で、今後海外拠点にも担当として赴くことからの受講、ということだった。


 全員が同じ世代?なので、とても友好的で協調性も感じられ、先生の講義も丁寧だけど テンポが良くて、とてもわかりやすいために、単純な私は いつのまにか緊張も解け、いつのまにか集中し、いつのまにか笑顔で、いつのまにか前半の講義を終えた。


 途中に設けられた10分間の休憩時間でスマホを確認すると、夕奈から「ごめん、遅れる!」のメッセージとキャラが謝っているスタンプが入っていた。 

 当初は、夕奈がいない心細さはあったのだけれど、ほかの受講生の方々が 誰かれなく声をかけてくれて 私はすっかりこの教室の中に溶け込むことができていた。


 聞けば、ほかの人たちは午前中に商談をしてきた人や、午前中に別の講座に通っていた人、もともと土日は出勤でこの講座は仕事扱いになっている人、隣県から受講に来ている人、ということで、私のように午前中に彼氏とデートをしていました、という人はいなかった。 (さすがに誰にも言わなかったし)

 なるほどー そっか、それでみなさんの格好にも納得できた。 逆にますます私の外見が浮いているような気がしているのは私だけ? 小心者の私だけに、実は気になってしまっている。


 休憩明けの後半も、前半と同じようなメニューで、あっという間の1時間弱。 途中で夕奈もグレーの半袖スーツ、パンツスタイルで颯爽と教室に入って、全員が揃った中で。

 

 初日だけに緊張はしていたけれど、それでも私はとても充実した時間を過ごすことができて、何とか無事にトータル2時間のビジネス英語講座を終えることができた。


 帰り間際には先生に呼び止められて、継続して出席することで必ず身につくようになるから、問題意識をもって臨むように、という次回に向けたメッセージと、簡単で良いので今日のメモを残しておくように、いわゆる復習をするように、との話がされた。 

 そんなカッチリとしたスーツ姿がとてもサマになっている先生だけど、年齢は おそらく私や夕奈よりも3つか4つ年上のような気がする。 そしていわゆるボストン型の眼鏡が、表情を柔らかくして知性的で都会風に、一見とてもインテリ志向な顔に仕立てているのが印象的だ。 

 一瞬だけど、どこかで会ったことがある? ううん そんなことあるわけない、でもなんとなく気になりながら私は教室を後にした。


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