第27話 仕事と結婚と彼
夕奈と私、総務の受付担当 制服姿の2人と、副社長と佐倉さん。 この4人が16Fの会議室に一同に会している。
社内にいる私たち以外の人がこの光景を見ると、相当の違和感を覚えるに違いない。 ううん、当の私だって違和感ならほかの人に負けないくらいに抱いている。
そんな会議室、さっきまでは西岡さんと佐倉さんがやりとりをしたインパクトが強すぎて、どこか殺伐としていた重い雰囲気になっていたのだけど、西岡さんの退室を機に いつのまにか少し柔らかな雰囲気に変わってきた。
私も 今時点では、最初の頃よりも気持ち的に落ち着いてきたような気がする。
席に着いた佐倉さんは持ってきたノートPCを起動させて、プロジェクトの内容を纏めたレポートを会議室の壁に掛かっている大画面モニターに映し出す。
レポートの表紙には、タイトルと その右下には 作成者 佐倉 渚の文字が。
と、その前に 今日の予定を伝えられた。
資料説明の後は、一旦 自分たちの職場に戻り、昼食後に午後から再びこの会議室に集合。 そして残るメンバー2名は、後日リモートで業務内容について話がされる、とのこと。
そうそう、たしかに他の部門から2名と言われていたのだが、すっかり忘れていた。 だけど、その2名がどこの誰だろう? なんて、今は考える余裕は私には ない。
「じゃぁ これから売上拡大プロジェクトの概要説明をしますね あ、ごめん 山口さん、モニターの上あたりの明かりを消してくれる? 」 と安定した柔らかい声の佐倉さん。
「はい 」 と静かに席を立ってスイッチを操作する夕奈も、さっきまでの驚きと緊張による強張った表情が少し緩んできたように見えた。 おそらく私の表情も同じように緩んで見えていると思う。
佐倉さんは映し出されたモニター大画面と私たちを交互に見ながら、プロジェクト立ち上げの背景から、今の会社の状況や売上拡大の必要性などを、ゆっくりとしたペースで、ポイントになる部分は より丁寧に、そしてトーンにも抑揚をつけながら、初見の私たちにもわかりやすいように噛み砕いて説明をしてくれた。
そんな佐倉さんの配慮は本当にありがたくて、一方通行の資料説明ではあったけれど、なんとか理解をしていこうと、メモを取りながら聞いているうちに、いつの間にか やる気スイッチが入っていて、私にしては珍しく集中力が切れることはなかった。
やがて……
「資料の説明は以上になります」 と、佐倉さんから言われたとき、反射的に時計を見ると、説明が始まって1時間半くらい経過していた。
(そんなに?)
最後に不明点や疑問点の有無の確認があったけれど、夕奈の 「結局、私たち何をすれば?」 という漠然とした質問に対しては、佐倉さんから このあとの時間で詳しく、と返され、ひとまず資料説明は これで終了した。
「おつかれさまー 」
「おつかれさまでした 」
柔和な表情の佐倉さんから向けられた言葉に、合わさった声で夕奈と私は返したものの、全く疲れは感じないくらいに 充実というか、とにかく集中していた分、私はガチガチに固まっていた両肩の力が一気に抜けていくのが実感できた。 その流れに乗って、思わず座ったままで背伸びをして、深呼吸をしてしまった。
大きく息を吐きだしたその時に、対面に座る佐倉さんと目が合ってしまったけれど、私を見る目はとても柔らかくて、だけどしっかりと視界に収め 捕らえられていたような気がして、私は急に封印していた変なあの感情が再び湧きだしてくるのを全力で押しとどめた。
(ダメダメ、今はそんなんじゃないし それに ここで緊張の糸を切ってはダメ!)
私はもう一度、息を吐き シャキッと姿勢を正して座り直し、そして意識的に彼女から目を逸らした。
モニターをOFFにした佐倉さんは、長い時間、喋りっぱなしにもかかわらず、ひと仕事を終えたような気分になっている私たちとは違って、姿勢も声も凛としたままで口を開く。
「それで、二人のことですが…… 」
今後の私たちの所属することになるプロジェクトは会社直轄部門で副社長付になるということ。 更に、休日の出勤や日々の残業、そして海外を含む出張や社外での業務は直行直帰、多々このようなことになるために、プロジェクトでの1年間は一時的に組合から外れたほうが良いと、提案がされた。 あくまでも提案だと。
当然、私たち個々の合意が必要とのことで、週明けの月曜日からの業務開始に合わせて、今日の昼休み明けには返事をしなければいけないこととなった。
これらのことが淡々と冷静に、それであって淀みない柔らかい口調で佐倉さんから伝えられると、今度は田中副社長と佐倉さんのやりとりが始まった。
「組合は誰に?」 「局長の谷脇さんです」 「おぅ じゃぁ委員長にも了解取ろう」 「ありがとうございます、助かります」
副社長は、今度は自分の出番 とばかりにスマホを取り出し早速スクロールをし始めた。
「梶岡(委員長)さんとは この前の日曜日 ゴルフしたよ 一緒にまわったけど、全然ダメだった 」 と笑いながら席を立ち、スマホを耳に当てたまま会議室を出ていった。
(それ、今、言う必要ある?)
作り笑顔も出せないほどの無機質なエピソードだ。 口をしかめて残念そうな目をした夕奈と目が合って、気持ちが和む。
それにしても…… 組合? 外れる? 直帰? なかなか聞き慣れないワードにキョトンとする私たちだったが、とにかく とてつもなく忙しいスケールの大きな仕事なんだ、ということは理解できる。
一瞬、3人になった会議室の中は静寂に包まれたけれど、佐倉さんが窓の外に目を移し、未だ降り続く雨を見ながら、「今朝、よく降ったねー」と私たちに向けてきたので、「そうですねー」と いちおう話を合わせながら、当たり障りのない天候の話をしていると、「OK いいよ!」と 副社長が笑みを浮かべて戻ってきた。
副社長はゴルフのエピソードを茶目っ気たっぷりに、佐倉さんと私たちに振ってきたから、引き気味に作り笑顔で頷き、カラ笑いで応える場面があったりした。
その後、とりあえず一旦は夕奈と私はこの場から「解放」された。 だけど、午後からまたこの部屋に戻ることになっている。 組合のことについての返事を携えて。
当然、夕奈とは、これから私たちに降りかかる大変なことについての相談会が始まることになる。 なので、そのまま3Fの総務の事務所に戻るなんてことはせず、とりあえずは1Fまで下りて、途中で買ったピーチティのペットボトルを片手にショールーム裏の控室へと向かった。 この控室は休憩時間以外は まず誰も入ってこない こじんまりとした部屋で、このテの話をするには最適な場所だ。
控室に入り、とりあえずソファに深く座って脚を組み はぁ~~っと、大きく息を吐く夕奈。 私も座って、ペットボトルを開け一口含んで、夕奈と目を合わせる。
フワッとビーチティの甘い味が口の中に広がるけれど、いつもより薄く感じるのは気のせい?
終始無言のまま、急いで控室に籠ったものの、ここに入っても発する言葉はワンパターンだ。
「すごいね」 「どうする?」 「ヤバいね」 「すごすぎ」 「どうして?」 「ん~~」
だって考えてみれば、昨日まで私たちは総務受付係として、来客や受領品の名簿管理、ショールーム備品や商品の整理など、数々の業務に従事していたのだが、今日いきなり、会社やグループの売上・利益・戦略とか、組織・ビジョンとか、普段は使わないワードや、スケールとか環境が大きく広すぎる領域が業務の対象になる部門に、有無を言わさずに就かされてしまうのだ。
正直、会議室で佐倉さんから話を聞いているときは雰囲気に圧倒されて、その中に自分自身をその中に当てはめていく思考が持てなかった。 でも今、こうして振り返ると わずかの時間で取り巻く環境や仕事が大きく変わってしまうことだけは二人で共有した。
この事実をおさらいした上で、もう一度 落ち着いて夕奈と、そのプロジェクトのメンバーとして私たちが、やっていけるのかどうかを考えてみる。
それでも、考えれば考えるほど、とんでもない仕事と役割が与えられたことに完全にネガティブな方向でしか頭が向いていかない。
そしてもう一つ、今になって、終わり間際に話題になった 組合から一時抜けること についても 、特に私にとっては重要なことに気がついた。 もしかしたら会社機密に触れることも? 大きな責任を背負うことも? ううん そんなことじゃなくて、膨大な仕事量であることからの休日出勤とか残業のことだ。
私は恋人の大樹と早く結婚しないといけない。 周りからの期待や私自身の焦りもある中で、もしもこのプロジェクトの仕事に、まともに入ってしまったら、結婚のことはどうなるの? 漠然とそのことが頭を過る。 今でもイライラするくらい停滞しているのに、確実に先延ばしになってしまうことになるだろう。
今の仕事や会社は好きだし、やりがいを感じることもあるけれど、私にとっては、あくまでも生活の中の一部、それ以上の思いはない。 出世とか昇進の欲は、以前ほど強くもなくて、もちろん職位が上がりお給料も上がることは喜ばしいことだけど、お給料は、いただけているだけで十分、だって困っていないから。
それよりも、むしろ 早く結婚して、仕事を辞めて、新しい家庭を築いて、家族との人生を歩みたい、そんな絵図へのこだわりのほうが強い。 この思いに関しては、夕奈よりも私のほうが強いのかもしれない。
そんな私なりの思いがあることをもう一度、自分の中でしっかりと自覚し直して、それをちゃんと言葉にして、夕奈にも理解してもらおう。 夕奈だって、こんな急な変化に戸惑いは感じているだろうし、会議室から今ここに来るまでの表情から察すると私と同じように見えるから。 目の前の彼女も、きっと今、私と同じように悩んでいるのだろう。
「ふぅ~~」 私は俯いて息を吐きだす
「はぁ~ 」 夕奈も同じだ。
そのため息の大きさが、夕奈の気持ちを表しているようだった。
表している? 本当に?
「ガンバルしかないよね。 なんだか大変みたいだけど、今よりも全然 やりがい ありそうだし 」
夕奈は、彼女らしくない神妙な表情で、私に語り続ける。
「こんなことって、今までも これからもないと思うし ま、チャンスっちゃ チャンスかな? って 」
(ちょっと待って?)
正直、夕奈からポジティブな言葉は出ないと思っていただけに、急なギャップに戸惑ってしまう、が、とりあえず私は努めて冷静に振る舞うしかない。
「えっ? あー まぁ そうかもねー んー そうかなー? 」
そのあとも夕奈はゆっくりと言葉を選ぶように、彼女なりの考えを話し始めた。
憧れの佐倉さんと一緒に仕事ができる、彼女のように仕事で認められるような女性になりたい、彼女に付いていけば 燻っていた自分の可能性が引き出せる そんな気がする、など。
まるで夕奈は自分自身を鼓舞するかのように、噛みしめながら並べ立てて私に語った。 その表情は硬いままだけど、彼女の眼はランランと輝いている。
だけど、まぁ、それもそのはずだ。 そもそも夕奈は、佐倉さんの熱烈なファン、いわゆるナギサ信者だから。
ショールームが模様替えをするたびに、ナギサプロデュースを称賛していた一人。 佐倉さんがショールームに顔を出すたびに、その外見や振る舞いに、彼女なりに五つ星の評価をしていたのだから。 ちなみに夕奈の他にも、男女問わず同じような信者が数名いるし、私たちの所属している受付係のメンバーにもいる。 もちろん私は佐倉さんを嫌っているわけではないが、慕ってもいない。 ファンでも信者でもない。
それはそれとして…… どうする? 私
私は、言葉に発するつもりの私なりの思いを急ぎ組み立てていく。 もちろん結婚のこと、大樹のこと、あと年齢的なこと。 ただ考えすぎだろうか、今、恋人のいない夕奈に、そんな理由で、私だけ降りてしまうことを、彼女は何て思うのだろうか。 どこかに申し訳ないような気持ちを抱えながらも、とりあえず、同期で親友だから、遠慮なく単刀直入に聞いてみることにした。 私なりに気を遣って、柔らかく。
「でも夕奈、結婚は? というか 婚活は? 」
「たった1年のことだし、ね 」
あっさりと夕奈は返してきた。 この1年でビジネススキルを取得して、自分自身の価値を高め、デキル女性として飛躍する、とのことで、これらの言葉に夕奈の決意が読み取れた。
間違いなく彼女は佐倉渚さんを目指し、思考はポジティブだ。
1年…… 過ぎれば1年なんて短く感じけれど、これから1年だと長く感じてしまう。
大樹と付き合って、もう1年以上、1年半以上は経過している、あっという間だった。 だけど結婚の話は全くと言っていいほどに進んでいない。 これからの1年もそんな感じで過ぎていくのであれば、仕事の環境が変わるくらいのことは影響ないだろう。 そんなふうに思う気持ちと、これからの1年が勝負、今までを取り戻して積極的に彼にアプローチをすれば夢に大きく近づく、という気持ち。 でも、だからと言って、1年後に私は既婚者になっているという保証もない、可能性は低い、と別の私が口を挟む。
夕奈は、そんな私の気持ちを察してか、
「そっか、彩は悩むよね…… お昼の休憩時間に彼に聞いてみたら? 」
たしかに、こんな時は私一人で抱え込まずに、素直に大樹に相談するに限る。 夕奈に言ってもらえて嬉しかったし、夕奈の言葉に救われた気がした。
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