第26話 プロジェクト①
ノーネクタイのカッターシャツ姿、クールビズで小太りの副社長よりも、スタイリッシュなグレーのパンツスーツ姿の女性のほうが背が高く見える。 ヒールの高さもあり、スタイルの良さが際立っているから、尚更だ。
すでにオーラを纏った2人が会議室に入り、長机に向かうなり、私たちは反射的に自然と直立不動になって、それぞれが作り笑顔で 「おはようございます」 と小声で言えたことは覚えている、絶対に表情も声も固かったはず。
特に私なんて、雲の上の存在である副社長よりも その隣に凛と並び立つ女性の姿を見た途端、驚きと動揺と、そして急な不快感までも 込み上げてきた。 それは、思い出したくない、思い出してはいけない あの香りが微かに漂ってきたから。
私は、吐きそうなくらいに喉の奥が閊え、呼吸も自然にできないくらいに息苦しくなってしまって、なんていうか酸素が足りない? 過呼吸になったことはないけれど、もしかしたらこんな状態のことなのかな? と 朧げに思いながら表情や態度に現れないように必死で耐えていた。
言うまでもなくその女性は、佐倉 課長補佐、佐倉 渚さん。
今の私には、佐倉さんの顔は はっきりと見ることができていなくて、そのかわりノートPCを小脇に持つ 細くてスマートな指に 艶やかでもさりげないグレージュのネイルカラーがすごく合っていることは確認できた。
夕奈も西岡さんも、それぞれの思いで 視界に入った 「大物」2人を迎えているのだろう。
私なんて、佐倉さんは一番ノーマークだった遠い存在の人、たしかにショールームのことで、と夕奈から連絡を受けたときに、一番に彼女のことが頭の中を過ったけれど、それはあくまでも妄想の域。 でもその妄想の中では、私にとって彼女は、なぜか心を震わせ、なぜか全身に そして五感に異様な不思議な熱を与える存在。 それだけに、苦手意識というか、ネガティブな感情すら抱いてしまっている。
「どうぞ どうぞ 座って 座って 」
少し笑みを浮かべている副社長の田中さんがすぐに私たちに着座を促す、副社長の顔を見たのは社内報と全体集会くらいで、実物と肉声をこんなに近くで見聞きするのは初めてのこと。
なんだろ? なにかな? なぜか この先、悪い予感しかしない。 私は一気に不安な気持ちが沸き立って、そのレベルが、これまで自分の中に渦巻いていた 何とも言えない不快な気分に肩を並べた。
次に田中さんの隣に座った佐倉さんが口を開く。 だけど私は佐倉さんの方に顔だけは向けてはいたものの、決して目を見て話を聞くことはできない。
「おはようございます、朝からありがとうございます。 私は商品企画と営業を兼務している佐倉です。 えっと、隣は副社長の田中さんです。 では、これからは わたしが進めますね 」
ショールームで彼女とすれ違う時にも、挨拶くらいは交わしているので、声を聴くのは初めてではない。 今 あらためて自己紹介をする佐倉さんの声は、女子アナウンサーがニュースを伝えるような、ゆっくりとした重みのあるトーンでしっかりと耳に入ってきた。
私は 収まってくれない不快な気分、不安な気持ちの中で、どうにか別の感情に切り替えるきっかけが欲しくて そんなことを思いながら、佐倉さんとは視線は合わさずに コクリと頭を下げた。
佐倉さんの話は続く。
「来週月曜日から、我が社の売上向上に繋げる革新的なプロジェクトチームを立ち上げます。 まだ社内外への発表はしていません。 が、社長と副社長、それから役員にも承認は得ている件です。 山口さん、松本さんと、あと他からも2名の計4名は約1年、プロジェクトメンバーとして所属が変更、というか 異動をしていただきます。 今日はそのプロジェクトの立ち上げです、よろしくおねがいします 」
この衝撃的な話にビックリして さっきから私自身を支配していた不快感とか不安感が一気に吹き飛んだ。
「えっ?」 隣から夕奈の呟きも聞こえた。
プロジェクト? 1年? 異動?
でも、私たち3人の異動なんて、ここの会議室で、副社長や佐倉さんのような偉い人にあらためて伝えられるようなレベルではない。
(というか…… 待って? 3人? ううん 西岡さんの名前はなかったよね?)
続く佐倉さんの話が答えだった。 つまり……
プロジェクトチームとして立ち上げたので場所を提供してほしい、
できれば、このフロア全部を1年間、優先的に使わせてほしい、
総務は会議室を管轄しているので、すぐに調整して対応してほしい、
「そして 」 と前置きをした佐倉さんが、わずかに間をおいて、
来週から受付スタッフの夕奈と私、2名の欠員が影響しないように業務と組織のマネジメントをしてほしい、
(そっか やっぱり私と夕奈 2名が対象だった)
それらは全て西岡さんに向けられたもの。 西岡さんは忙しくシステム手帳にペンを走らせながら口を開いた。
「ん- 急に言われても…… 今のことは持ち帰って すぐ課長に相談しますが 」
冷静さを保って言葉を返す西岡さんの表情は、どこか少しこわばっているように私には見えた。
「西岡さんは来月11日付きで課長に昇格です…… よね? だから この話は全部 西岡さんの了解のもとで動かしたくて あと、部長さんには私から説明をして御存知の件なので 」
迷いなく淀みなく怯むことなく、そして柔らかな表情で佐倉さんが切り返す。
(え? 西岡さんって、来月から課長なんだー)
目の前で繰り広げられる人事の話に、なんとか付いていこうと、今は視線を下げている私の耳は立ち 研ぎ澄まされていく。
係長と課長補佐、ポジションだけで言えば、今だけは佐倉さんが上だからというのもあるのだろうか、しかもいきなりの無理難題と私たちの異動の話、そして部長のことも話に出ているのが、昇格の内示を受けているとは言え、西岡さん的には面白くない。 そんなふうに見えてしまう。
「部長? 誰? 」
なんとなく外野で見物をしている感じの副社長が間髪入れずに問うと、西岡さんと佐倉さんが同時に 「平岡さんです」と声を合わせた。 副社長は何も言わずに、西岡さんに視線を向けたまま、ただ2・3回 軽く頷いただけだったが、その仕草はまるで西岡さんに yes を促しているかのように見えた。
西岡さん的には、佐倉さんからの要請は受けるしかない、もう外も内も埋められているのが、私たちにも理解できる。 ちらっと横を見ると、いきなり難題を与えられた西岡さんの顔は強張っていた。
「承知しました 」
「ありがとうございました 西岡さん、ここまでですので おつかれさまでした 」
まるで、出て行け と言わんばかりの圧? 私だけが そのように感じたのかもしれない。 だけど冷静な佐倉さんの声は冷酷なトーンだけど、なぜか すぅ~っと 私の耳に入ってきている。
さぁ いよいよ西岡さんの次は、私と隣に座る夕奈がターゲットになるのは間違いなくて。 これから佐倉さんに、どんなことを言われるのか、まして ついさっき 突然の異動を伝えられたばかり、プロジェクトとか よくわからないし、これからどうなるのか やっぱり不安は募るばかりだ。
「ありがとうございました」と、西岡さんが席を立ち会議室を後にするのを見て、大画面モニターの脇スイッチをONにするために佐倉さんも立ち上がった。
そのときに フワッと微かに漂ってきたあの香りや 静寂の中に響くヒールの音が、彼女に対して あらためて私の関心を向けさせる。
これまで佐倉さんのことは、遠ざけたいとか、不快感とか苦手意識とか、私が勝手に抱いていただけで、実際は外見をもとにした勝手な印象でしか知らなかった、私。
だけど今日こんなに短い時間で、初対面の人に 何も使わずに 何も見ずに 要件を伝えて、早々に了解を得ていた、しかも副社長の前で一人の女性が堂々と。
そんな佐倉さんのビジネス手腕って、噂どおりで やっぱり凄いなー と感心したし、みんなが高く評価しているのも納得できた。
そして、それプラス、目の前で颯爽とやりとりをしていた彼女の姿から、女性なのに、女性としてのカッコ良ささえ感じてしまい、ここに来るまで私が持っていたネガティブな感情とか変な感覚ではなくて、むしろ好感とか羨望とかに繋がる 魅力のある女性というイメージに塗り替えられている。
あー やっぱり私は単純?
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