第16話 秋から冬にかけての私たち②

 

 いよいよ大樹の出発の日。


 平日で しかも慌ただしい年末ということもあって、仕事に忙殺されている私は彼を見送りに行くわけにもいかない。 わざわざ仕事を休むまでのことではない、大樹もわかってくれた。

 

 夕方のフライトなので、お昼休みに彼から電話がかかってくることになっていた。


 前回の出張の時ほど心配というのはないけれど、日に日に彼に会えなくなる寂しい気持ちが高まってきているのは確かだった。 

 昨夜、LINEから始まった電話でも、ひとしきり話が終わっても なかなか私から「おやすみなさい」とラストワードを切り出すことができなくて。 でも大樹も そうだったのかな?  結局、話し終えたのは日付をとっくに跨いでいた。 

 そのおかげもあって、正直 私は今朝から瞼の周りに疲労を感じていた。 それでも忙しく動いているうちに、気がつけば お昼休みはもう目前となっていた。


 彼からの電話を待ちきれない私はお昼休みのチャイムが鳴ると、すぐに休憩室に駆け込んで私から電話をしたけれど、残念ながら話し中。 

 張り切っていたにもかかわらず空振りするのはよくあること。 そのあとも朝コンビニで買ったサンドイッチを頬張りながら、何度もリダイヤルをしたのだけれど、まだずっと話し中。


 どうしよう 1時間の休みが終わってしまう。 

 彼も出国前だから、きっとバタバタと忙しいに違いない。

 もはや私自身が納得する(納得したい)理由を探して、それを思い込むしかない。


 だけど、そんな日に限って私は午後からは受付担当のシフトになっている。

 受付の場所はショールームにもなっていて来客応対をすることから、担当者はスマホの電源を切ることになっているし、そもそも手にすることもできない。 だから彼と話ができるのは、今しかないわけで、やっぱり焦ってくる。


 やがてお昼休み終了5分前のチャイム。 こういう時の時間の経過って異常に早く感じる。


 午後からは受付なのにー!

 私はとても残念な気持ちというよりも、どこか釈然としない気持ちでショールームに入ろうと通用口のドアノブに右手をかけた途端に左手に持っていたスマホがバイブし始めた。


(大樹だ! もぉ! 遅いよー!)


 すでに受付カウンターで準備を始めている夕奈に通用口の扉を半開きして声をかける。


「ごめん、夕奈 電話が入ったから 」 


「うん、大丈夫!! ラブラブー いってらっしゃーい! 」 

 小声の夕奈が笑う。


「サンキュー ごめんねー 」 


 バツの悪い私も照れ笑いで返して、通用口の扉を閉じてショールーム裏の従業員専用通路に戻り、バックヤード奥の柱の陰に駆け込んで、なんとかスマホを耳にする。


「もしもし? 」


「おぅ! ごめん 今、空港、さっき同期の川口…… あいつと電話してて長くなったよー 土産とかバスケとか、そんな話 してて…… 」  


 大樹の声はピョンピョン弾んでいる。


(え? なにそれ! ) そう思いながらも、


「うん そうだったんだ…… 」 


 私は気丈に振舞うしかなかった。 本当はぜんぜん大丈夫じゃないのに! 

 自分の彼女よりも友達のお土産とかバスケ??

 私の優先度は そんなもの? ずっと話したかったのに! 

 もちろん大樹に悪気はないのだろうけど、今の私には けっこうショック。


 恋愛系ドラマみたいに空港のチェックインゲートの前で抱き合って、愛を囁き涙を流しながらながら 「行ってらっしゃい」を言うつもりはない。 

 だけどこれから恋人と約1ヶ月も離ればなれになるわけだから、たとえ電話でも それらしい甘い言葉を交わしたかったのに!!!


 私も大樹も今が業務時間中というのはわかっているから、手短な会話になってしまう。

 ロマンチックな感傷的なシーンは、そんな現実が簡単に打ち砕いてしまった。

 それでも相変わらず大樹からは機嫌の良い弾むような声を聞かされる。


「LINEとか電話もするし じゃぁ、また! あっ 浮気すんなよ! あはは 」


「ばーか! そっちこそ、変なところに行ったりしないように! 」 


 危ないのは彼のほうなのに、と私は思わず笑って視線を横に向けたときに、思わぬ人がこちらをチラ見して通り過ぎて行った。


 佐倉さん? 


 外回りから帰ってきたのか、黒の厚手のコートにグレーのパンツスーツで颯爽と。 その瞬間、やばい!と思うのと同時に、一瞬 何か違う味わったことのない新しい感覚が私の身体の中を走った。 

 

(え? また?) 


 全身が、チクッと痛いというか、ズンと重いというか、ヒヤッと冷たいというか、ボワッと熱いというか、とにかく心も体も揺さぶられるほどの感覚だ。 


(なに?)


 しかも佐倉さんとは目が合っただけではなく、一瞬だけ笑みを浮かべて見られていた気がする。 あとはコツコツと遠ざかっていくヒールの音だけがスマホを耳に当てている私の脳内に響く。


 どうしてこんな感覚になってしまったのか? よくわからない。 

 ただ今年最初の全体朝礼で佐倉さんが中途入社の挨拶をされた姿を遠目に見た時から、そして いつかも街ですれ違った時も、なぜだかわからないけれど 私の感情が大きく揺さぶられているのは確かだった。 そのほかに、ショールームや廊下で すれ違う時も、そして今日も…… やっぱり 同じだ。


(何? なぜ? どうして?)


 そんな感覚に、一瞬 ボォーっとしてしまったのかもしれない、


「……って感じで。 あれ? おい! 彩? 聞こえてる? 彩? 聞いてる? 」


「あっ ごめん うんうん、聞こえてるし 聞いてまーす 」


「おぅ ま そういうことで! 今、仕事中やろ? ごめん じゃぁねー  」 


 終始機嫌の良いトーンで話していた大樹の声が耳に戻ってきたから、


「あっ うん (またね)」 無情にも彼の方からそそくさと電話は切られた。


 佐倉さんのことに気を取られて、大樹との会話は中途半端。 それどころか 「またね」 の言葉を大樹に届けることができなかった。

 それだけのことだったけど、なぜか もう二度と会えなくなるような? おおげさかもしれないけれど、ネガティブな気持ちにさえなってしまう。


 そして それだけじゃなくて、佐倉さんに 勤務時間中に恋人との電話のシーンを見られたから? ううん、そんな上っ面な焦りとは違う もっと奥深い何かのような気がしないでもない。 それが 何だろう?


 きっと私自身が大樹の出張で とても寂しくなっているから? 

 そう! そうに違いない。


 なんとなく解せないモヤモヤとした気持ちになっているけれど、とりあえず私はショールームに駆け込んだ。


「夕奈 ごめん! 」  


 トーンを抑えて言いながら、急いでショールームカウンターに座ると、すぐに目に入ったナギサプロデュースのクリスマスの飾り付けやショールームに流れる柔らかいBGMが、いつも以上に とても優しく温かく私を包み込んでくれるような気がする。


「いいよー 大丈夫 」 

 そしてなによりも夕奈が こうして明るく 私に返してくれたので気持ちが大きく救われた。


 その後、夕奈と来客予定者の打ち合わせに入った私は、ショールームのイルミネーションにも癒されながら、それなりの年末の忙しさの中で、さっきのモヤモヤしていた気持ちは、いつのまにか おさまっていた。


 定時と残業の合間の休憩時間、ちょうど大樹が飛び立った時間くらいかな? 私は席を立って裏口から外に出た。


 うちの本社ビルと隣の保険会社のビルの狭間から 澄んだ綺麗な星空を見ることができる。 

 

 この時間になると さすがに外は寒くて、暖房の効いた社内との温度のギャップがありすぎることにコートを羽織らずに制服のまま外に出たことを後悔した。

 寒風が目に当たって涙が出てしまう。 私は体を丸めて上空を見上げた。


「やっぱ、さむっ…… 」 


 私はポツリと呟いて、視線を落とし戻ろうとしたときに、ビィーンという音とともにチカチカと点滅しながら上空を横切る 1円玉くらいのサイズの飛行機が涙目の視界に入った。

 あれって 大樹? 彼にも私が見えているのかな? そうだったらドラマだよね? そんなロマンチックなシーンを狙って、恋する乙女の気持ちになって、外に出たものの、そもそも彼が搭乗している飛行機なのかどうかもわからないし、この街の上空をこの時間に飛んでいるとは限らない、彼が窓から下を見ているかどうかもわからない、今 私のことを思ってくれているのかもわからない。 

 実際に飛行機を目にすると、一瞬にして気持ちが吹っ切れた というか、意外に冷静になってしまった自分が なんだか可笑しかった。 

 

 どうせ大樹のことだから CAさんを目で追っているに違いない。 きっとそう! 

 

 それにしても…… 寒い~! とにかく早く戻ろうっと。



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