第14話 いつもの幕切れ


「ごめん ごめん そんな怒るなってー 冗談 じょーーだん! すんません 」 


 そう言って ただ謝るフリをして、私の機嫌の悪さを なんとか戻そうとしているのがわかる。 絶対に彼の心からの言葉じゃないことくらいわかる。


「もぉ! 冗談でも そういうの嫌だし  」

 

 あたりまえに不機嫌な私は何も言わずに前を向いて黙ったまま。 


「えー? でもレズ 良くない? 綺麗で お得なのに? って  うそうそ! 」

 

 やっぱり彼には全く響いてなさそうだ。 私は本当に腹が立っていたし、不機嫌になって もうその話題には触れてほしくないオーラを出し続けていたのだけど、彼は全くそれに気がついていない。 

 今更、彼を正すのも めんどくさいし、ずっと不機嫌なままでは車内の空気が重くなりそうだし、そうなってしまったら それはそれで辛いなーと思ったので、


「お得? 意味、わからないけど? 」


「だって、ひとつの画面にふたりの裸の女、しかも絡んでるし、お得 お得 」


 完全にチャラけている大樹は、いつかもそんなことを言っていたような? たしか年末、私は見たくもなかった初めてのレズのAVなのに、彼が積極的に勧めてきた時だった。 

 彼らしい合理的な発想? だけど こんなくだらないことまで、そういう発想をされるのは どうなのかと思う。


 それでも、ホントに くだらないやりとりだから、その後 2~3回も繰り返すと、ふたたび 車内に静寂が訪れた。


「いつも行くモールのカフェ、あそこ 来年 改装らしい 」 大樹が口を開いた。


「…… 」


「ん? あれ? 聞いてる? カフェ! モールの …… 知ってた? 」


 いきなり話を振られて、しかもごく普通の話だから不意を突かれた私。


「え? あっ そうなんだー 来年? 」


「うん 会社で聞いた えっと 誰だったっけ? 言ってたのは…… 」

 

 さすがのチャラけていた大樹も空気を読んだのか、ようやく私が本気で怒っているというか、呆れていることを察したのか、その後はありきたりの日常的な話題を出して、私も表面的には何事もないような顔をして、それに合わせていた。


 だけど、やっぱり心の中は ずっと穏やかではない。


 やがて車はハザードランプを点けて停車。 その先の角を曲がれば すぐに私の家がある。


 このままずっと機嫌を悪くしていたら、大人気ないし、それになんだか大樹に負けたような、全部持っていかれたような気がする。

 ううん、せっかく心待ちにしていた大樹との3週間ぶりのデートなのに、私自身の気持ちが惨めなままだと、次に彼と会うときにも悪い影響を及ぼしてしまうような気もしていた。


 子供じゃないのだから、ここは気持ちを切り替えて、女優さんになったつもりで、いつものように演じるしかない。 

 私は大樹と軽くキスをして車から降りた。 それでも いつも交わす 「おやすみのキス」 よりも、ほんの少しだけ短く唇を離したのは、今日のデートに対して 私なりのささやかな評価を下したつもり。 もちろんマイナスの!!


「じゃっ おやすみー また連絡するし! 」  

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、大樹は上機嫌で颯爽と去っていった。


「うん、またっ 」

 私も、満面の作り笑顔を浮かべて手を振り、左足の踵を庇いながら、マイクのフードを抱えて家へと急いだ。


「ただいまー 」

 声は平静を装いながらも後味の悪い帰宅になってしまった。


 それでも玄関を開けるなり、すぐに駆け寄ってきてくれたマイクが少しでも私の気持ちを癒してくれる。  しっぽを振って、嬉しそうに私にじゃれてくるマイク。


「彩ちゃん 元気出して! 」 

 マイクのつぶらな目が、そんなふうに私に語っているみたいで。

 ありがとうマイク……  大好きなドッグフード、たくさん買ってきたからねー。


 マイクは玄関から廊下を伝ってリビングまで、私に寄り添ってくれた。 そして母も、いつもより優しい笑顔で出迎えてくれた。


「おかえり~ 無事に帰ってた? 大樹くん 元気だった? どうだった? 」


 それとなく どんなデートだったのか までを聞きたそうな前振りだったけれど、気分のすぐれない私は、まともに母に返答をする気にもなれない。


「うん、帰ってた。 でも疲れてたし…… あっこれ 出張のお土産だってー 」


 今の私の気持ちを乗せたような、疲れたトーンでぶっきらぼうな言い方になるのは仕方がない。


「えー 荷物も多いのに、わざわざ? 」


「うん 」


「しっかりしてるねー! ありがとうございます って、私からも くれぐれも よろしく…… 」


「おやすみなさーい! 」 私は母の言葉を遮るように言うと、くるりと背中を向けて そそくさと自分の部屋に。


(しっかりしてる? どこが? くれぐれも?って、それも 重すぎるし)


 とにかく今は、せめて温かいお風呂にじっくりと浸かって サッパリして、明日からの仕事に備えよう。


 だけど 結局、お風呂に入っても 私の気持ちは少しも温かくはならない。 まだモヤモヤと燻っている。


 それにしても、一体いつまでこんな不完全燃焼みたいな気持ちが続くのかな。 

 あらためて、結婚というハードルが、どこまでも高いことを知らされた一日だった。 


 ベッドに入って、目を閉じたときに ぼんやりと脳裏に浮かんだのは、その白黒の無機質な陸上競技用のハードル。 それは、とてつもなく高くて、しかも一つだけじゃなくて いくつも連なっている。


 と、不意にスマホがLINEの着信を知らせた。 大樹からだ。


『今日は楽しかったー☆ 来週も歌おう♪』

 そんなメッセージには、ゲラゲラと笑っている あまり可愛くないキャラクターのスタンプ付きで。

 彼は私とは違って、機嫌が良く一日が終われそうなのは、このメッセージの雰囲気から読み取れる。


 正直、私は返信を躊躇している。 今の気持ちを伝える適切な言葉が浮かんでこないから。  


(んー どうしよう) とりあえず ありふれた言葉を返信するしかない。


『お土産ありがとう! 母は大喜び☆ またカラオケ行きましょう!』のメッセージに、おやすみなさいのスタンプ付きで。


 それにしても大樹は、私たちの これからのこと を、どんなふうに考えているのだろう? 感情的になりそうな気持ちを なだめながら冷静に考えてみた。 これまでの彼の言動を振り返り 巡り巡らせてみても、やっぱり私には大樹の本心はわからないまま、掴みどころがないままだ。


 明日は月曜日、仕事だというのに、こんなネガティブな事を考えてしまうなんて。


(あー! もぅ寝よ! 寝ちゃおう!)

 

 ふぅーっと深い息を吐いて、再び目を閉じた瞬間に頭の中で何かがひらめいた。


(あっ! そっか 佐倉さん! あの人の名前、佐倉渚さんだった)


 いきなり名前だけが 鮮明に脳裏を過ぎり、それと同時に、数時間前のその佐倉さんと目が合った一瞬のシーンがフラッシュバックした。

 佐倉さんは転職組で、とにかく仕事ができる人。 とても綺麗でスタイルも良くて、いつも優雅な歩き方をしていて、そして男女問わず人気もある魅力的な人。


 あれ? 今、胸がキュッとなった。


(? 今の何? )


 と思った時には、心の中にさざ波が立ち始めていた。


(え? なんで? 普通に佐倉さんでしょ?) 


 ほとんど話をしたこともない人に、たまたま街中で擦れ違っただけのことなのに。


 よくわからないこの感覚を打ち消したいのだけど、抗えば抗うほど さざ波は いつのまにか 大きくうねり始めて飲み込まれてしまいそうにさえなる。


(もぉ! どうして?)


 大樹が変なことを言うからだ! レズだとか、レズ体験しろとか!

 私にはぜんぜん関係のないことなのに、というか 私は違う! レズじゃないし!


 そんな心の叫びとは裏腹に、否定をすればするほど、今度は 佐倉さんにレズというワードが絡まって、頭の中を巡り始める。 


(レズ、女同士、佐倉さん、そして 私)


 このワードが揃ったときに、いよいよ胸がドキドキと脈打ってきた。

 それどころか、おなかの奥、ずっと奥のほうが 熱を持って ジワァ~と溶け出すような気持ちの悪さを感じている。 


(待って? どうした?)


 その熱はだんだんと身体を火照てらせてきているのが、自分でもわかる。


 ドキドキして落ち着かなくて、いよいよ背中を丸めて横向きになって鎮めようとしている私。 

 と、あることに気がついて、ものすごく戸惑った。 さっきからジンジンしていた大事なところが、やっぱりヤバい感じになっているから。


(え? まさか湿っている? うそでしょ!)


 はっきりとそんな状態になっているのがわかったから、私は火照る身体をひねり 右手の人差し指を噛んで、ひたすらほとぼりが冷めるのを待つしかなくて。


(ちょっと待ってよ! もぉー! どうしちゃったんだろう)


 官能的な画像や動画やストーリーなどに身体が反応することは、私にだって もちろんないわけではないし、それらを当てにして自分で自分を慰めることだってある。 

 そのことは生理的にも自然なことで、ある意味、健康的な行為だと、私は開き直ったりもしている。


 だけど今のように、女性で しかも身近な人(といっても遠い存在だけど)が登場するなんてことは初めてのこと。 

 それに合わせるように 今までまったくのノーマークだったレズというワードに、こんな感じで反応してしまったのは、ありえないことだし、あってはならないこと。 

 その原因は車の中での大樹との会話なのは確かだ。 とにかくそう思い込むことで、私自身を納得させることにした。


(ぜんぶ大樹のせい! バカ!!)


 心の中でそう叫び、私はわざと、反対側に大きく寝返りをうって、両眼を意識的に固く閉じた。 そして布団の中におおげさに グッと もぐりこんだ。


(とにかく寝よう! もう今日は疲れたし) 


 無理にでもそう思い込み、そしてもう一度 反対側に寝返りをうって 固く眼を閉じて 横向きのままで深呼吸を繰り返していると……


 いつのまにか…… Zzzz…… おつかれさまでした☆



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