25.白は青に靡く

 下ろされたシーラの右手が円柱の突起に掛けられたロープを掴んだあとは、一瞬だった。


 それぞれが影に気が付き顔を上げたときには、五つの白い横帆が縦に美しく並んでいたのだ。



 しばらくの間、皆は呆けたように顔を上向け、白い帆に魅せられた。

 だが、イルハは違った。

 シーラの手元から伸びたロープがまだくねくねと動いていることに気付き、その動きを追っていたのだ。


 どうやらロープの動きで、帆の向きを調整しているらしい。

 イルハが見上げた横帆は、よく目を凝らさなければ気付かぬ程ではあるが、それぞれが微妙に角度を変えて張られていた。



 帆を張るだけでも、人の手で行うには大変な労力のいる作業だ。

 それをこの少女は、たった一人。ロープに触れただけで済ませ、それだけに終わらず、帆の角度調整まで行っている。





 帆を張ってから、船のスピードは格段に上がった。


 それでもまだこの船は揺れず。

 何なら、岸壁に着けていたときの方が揺れていたくらいだ。


 ぐんぐん遠くなるふ頭は、確かにここが海であることを宣言した。

 堤防もあるし、ふ頭も見えているから、国外に出た感覚はないが、それでもここはいつも知る陸とは全く異なる世界で、同乗した役人たちの誰もが船が動き始めた頃にあった不安を上回る解放感に興奮を覚えている。


 それはリタも同じく。

 濃厚な潮気ある風を受け、王城の塔のてっぺんが小さくなりゆく様に声を出さずに感動していた。


 イルハはどうだろうか。

 役人たちはイルハがまさか同じ感動を共有しているとは思わなかっただろう。

 いつもの固い顔は崩していなかったからだ。


 白い帆は空と海の青さを鮮やかに際立たせ、その濃ゆい色を眺めているだけでも、胸がじんと温まる。

 その温もりをイルハはしっかりと受け止めた。



 ただしイルハが他の誰とも違ったのは、仕事を忘れなかったことだ。



「魔術は明かさない主義ですか?」


 隣にやって来たイルハを見て、シーラは笑顔を見せた。


「隠すほどの特別なことは何もないよ。私は物を動かすことだけは得意なんだ」


 イルハが見上げると、先よりもずっと鮮明に帆が角度を変えているのが分かった。

 都度風を読み、帆の向きを変えているということか。


 何故一本のロープでこれがなるか、それはイルハも観ているだけでは理解出来るものではない。


 そういえば、この船にはスクリューがあるのに舵がない。

 今もシーラが掴む金属柱と一本のロープが、すべての操舵を担っているから必要ないのだろう。


 帆船と言っても、魔術で動く特殊な帆船。

 どれだけ同じような帆船が世にあるか分からないが、一例あったのだから、来訪登録用の提出用紙を改訂すべしとイルハは決める。



「蒸気船のように、スクリューも常に回しているのですね?」


「その方がよく進むからね」


「帆を五つも動かして、スクリューも同時に動かすとなると大変では?」


「平気だよ!慣れちゃえば、難しいことはないんだ!」



 防波堤に沿うようにぐるりと旋回した船がふ頭へと戻り始めると、皆の胸中に喪失感に似た感情が広がった。


「物足りない」


 と呟いてしまったのは、誰か。




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