3.イルハという男
イルハは深いため息を漏らした。
どうやら今夜は、この娘の対応から逃れられない。
「ついて来てください」
「どこに?」
「今日はもう遅いので、食事と部屋を提供しましょう」
シーラが僅かに首を傾げたので、イルハは慌てて補足した。
「安心してください。と言っても無理な話でしょうけれど。私はこの国で法務省の副長官をしているイルハ・レンスターという者です。自宅には使用人もおりますし、あなたの身の安全は保障いたします」
「お金がないよ?」
「だからついて来るようにと言っているのですよ」
「ただで恵んで貰うのは良くない」
「私の立場上、あなたをここに置いて行くわけにはいきません。その方がかえって困ることになるのです」
シーラは少し考えていたが、頷いて笑った。
「それは悪いことをしたね。じゃあ、イルハ。お願いします」
不意に名前を呼ばれ、イルハは驚いた。物怖じしない娘だ。
「ところでお酒も出る?」
「お酒も成人してからです」
「この国の成人はいくつなの?」
異国人との差を感じる瞬間だ。国内に留まり生きていると、成人年齢が世界共通の常識だという認識を身勝手にも育ててしまう。
「二十歳です。あなたは十代でしょう」
「二十歳かぁ。遅いね。二十歳まで飲めないなんて可哀想だ」
その口ぶりは、酒の味をよく知っている風だ。
「この国の成人年齢は遅いものですか?」
「私がたまたま十五や十八で成人となる国を知っているから、遅いと感じただけだよ。世界的に遅いかどうかはよく分からないな。成人という考えがない国もあるし、今まで行った中で一番若く成人する国は十歳だった!」
聞いたことのない軽い返答が、不思議とイルハには心地良く感じられた。
何故かこの娘が話すときには、無礼さを感じない。
イルハの国における立場がシーラには関係ないにしても、それなりの年齢差があるのだから、彼女の振る舞いは失礼だと言えた。
それでもどうしてか、不快さを感じなかったのである。
いっそ清々しいくらいだ。
「十歳なんて、まだまだ子どもではないですか。その国は成長が早いとでも?」
「イルハってとても面白いね!」
シーラはひととき笑ってから言った。歌声と同じく、よく通る笑い声だ。
これまで生きて来て面白いなどと言われたことがあっただろうか。イルハは納得出来ず、訝し気にシーラの横顔を見やった。
「成人してたって、見た目も中身も子どものままだよ。十歳からは大人と同じ一人前の扱いをするよってことらしいんだ。それが子どもを成長させるんだって」
「それは面白い考え方ですね」
「でしょう!」
シーラの声は嬉しそうに踊る。
道中イルハは無言で済ませたかったのだが、シーラが次々とこの国について質問し、イルハを黙らせてはくれなかった。おかげで街に立つ警備兵からじろじろと見られることになる。
「兵士さんがいっぱいいるんだね」
「警備兵ですよ。法を犯さない限りは何もしませんので、安心してください」
「法を知らなくても捕まることはある?」
「知るかどうかには依りません。誰であろうと、法を犯せば捕らえることになっています。そうならないように、後でじっくりとこの国の法について説明させていただきますからね」
「うーん。遠慮するよ。難しい話は苦手なんだ」
「遠慮する、しないの問題ではありませんよ。この国にある以上、この国の法を守って頂きます」
「それは分かっているよ。大丈夫!」
「それなら、法を理解してくださいね」
「うーん。どうかな。ねぇ、イルハ、あれは何?」
「どれです?」
「ほら、向こうの──」
イルハは短時間のうちにとても疲れたが、嫌な疲れ方ではないとも感じていた。
こういう不思議な疲れ方を、イルハは知らない。
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