さあ、逆襲しようか、理不尽に

 俺は、小島さんに手を伸ばしかけて、止めた。


 いくら理不尽な激情にとらわれようが、俺が今この瞬間に小島さんの頭に手を当ててなでなでする権利も義務もない。

 哀れな状況は同情すべき点ではあるが、これ以上踏み込むのが正解なのかすらも分からなくなってる。


「ああああぁぁぁぁ……」


 ……いやいや。だからと言ってこのようなみじめな泣き方をずっとさせておくわけにいくまいよ。


 覚悟を決めた。


「……本当に、助けてほしいと思ってるのか? 俺に」


 嗚咽に負けないくらいのボリュームで、俺は小島さんにそう問いかける。

 ぴたっとすすり泣きがやんだ。


「……助けて、くれるの? こんなあたしを?」


「おいおい、助けてとか言っておきながら、俺が本当に助けるなんて思ってなかったのか? なめられたもんだな」


「ちがう、ちがうの……でも、どうしようもないって……」


「ま、小島さんひとりじゃどうしようもないかもしれないな、確かに。だから、ひとりじゃなかったらなにかが変わるかもしれない、そう信じてみるだけだ」


「……」


「むろん、絶対に助けるなんておこがましいことは言えない。ひょっとすると今以上にひどくなることもあるかもしれない。でも、あきらめずにもがく覚悟があるなら、できる範囲でそれに協力することぐらいはするっての」


 うっわー、なんか俺カッコよくない? よくない?

 自分が物語の主人公だって錯覚するくらいのセリフだわ。ま、もちろん俺一人で何かできるとは思っちゃいないんだけどな。


「だから、今日のところはゆっくり休めばいいさ。小島さん、目の下のクマがひどいぞ。まともに寝てないんじゃないんか?」


 でも、言うだけならタダ。これ以上すすり泣きされるのも精神衛生上よろしくないので、なだめすかしてなんとかこの場を収めよう。あとはおいおい考えていきゃいい。

 いちおう暮林オカンというこれ以上なく頼りになる大人も協力してくれるわけだし。


 小島さんは、感激のあまり、立ち上がって俺に飛びつくそぶりを見せたが。

 すぐにそんな資格はないと自分で判断したのか、またすぐに臥せって泣いた。


「あああぁぁぁ……り、がとう……こんな、あたしに……あたしにぃぃ……」


 いや、もう自虐ネタは良いから、寝る準備しろって。

 隣にコウイチくんがいたら、また壁ドンさせるとこだぞ。ヒィヒィ言わせて壁ドンされるならまだしも、ギャーギャー泣かれて壁ドンされるとかどんな屈辱だ。


 安心して寝てくれ、ここにいる人間、どんなに間違おうが小島さんには手もせーしも出さんから。



 ―・―・―・―・―・―・―



 そうして次の日早々に、暮林オカンが訪問してきた。

 今の小島さんの心境では大学通学もままならぬとは思ったから逆にいいが。


「とりあえず、小島さんは我が家で保護させていただこうかと」


「……我が家?」


「はい。暮林家はセキュリティに関しては問題ありませんし、一人くらいならかくまえますので。小島さんが落ち着くまでは」


「……」


 うーむ。

 いやまあ確かにこのオカンの存在がある以上、暮林家はこの世で一番安全な場所かもしれんが。暮林さんと小島さん、混ぜるな危険になりゃしねえか? 塩化水素でも危険だってのに、硫化水素とか発生したら即死案件だぞ。


「それに、小島さんを保護することは、美衣にとっても有益なことですので」


「……ん?」


「念のため確認させてほしいのですが、ゆうべの小島さんと雄太さまは、何もなかったのですよね?」


「……は?」


「性的な意味で、です」


 ああ、小島さんを監視できる、有益ってのはそういうことですね。


「もしあったらこんなに堂々としてないですよ」


「雄太さまの股間が堂々と……?」


「9センチ砲と比べないでくれませんかねえ」


「失礼いたしました。アレと比べること自体、私の意識からは飛んでいたのですが。美衣のほうにもそのような記憶は残すつもりないですのでお収めください」


 …………


 ええと、けん制の意味で監視? 娘のために?

 暮林さん、まだ俺に対する感情を『恋』だと思ってんの?


 ……面倒だからそのあたりを問いただすような真似はしないでおこう。


「とにかく、小島さんのこと、お願いします。今後どうするかはまた大学が終わってからにでもお母様とお話ししましょう」


「私の名前は美沙と申します。以後、美沙とお呼びください。お母様呼びも悪くはありませんが」


 ここでようやく名前が出てきた。予想通り、やっぱり名前は美沙だったか。脳内でラフィングパンサーと呼んでもいいな。


「あ、はい。じゃあ美沙さん。何かありましたら連絡ください」


「わかりました。では、小島さん。我が家へ向かいましょうか」


 暮林オカンが、玄関先から小島さんにそう呼びかけると。

 小島さんは昨日よりも少しだけ力強い足取りで歩き出し。


「……雄太、ありがと。久しぶりに、ぐっすり眠れた気がする」


 こちらを向かず、去り際にそう残して、アパートを出て行った。


 ──強がりにもほどがあんだろ。



 ―・―・―・―・―・―・―



 さて、小島さんを暮林家で保護してもらったはいいとして。

 今日の大学に、小島さんはもちろんのこと、暮林さんの姿も見えないんだけど。いったいどうしてるんだろうな。


 いやな予感がする。えてしてこういう時の予感は大体当たるもんだ。


 そんな気持ちのまま、今日の全講義を終えると。

 いきなりアンジェから強烈なメッセージが入ってきた。


『もうサイアクー!! またナンパされたー!!』


 なんだと……?


 兄の反射というのは恐ろしい。俺はその場ですぐさまに、アンジェに電話した。

 いやな予感のベクトルが違うとは思わなんだ。


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