きたない手
今日も、背に腹は代えられぬ暮林さんとの昼飯タイムがやってくる。場所はこの前と同じ中庭だ。
「きょ、きょうはね、オムライスを作ってみたんだ」
「……ありがとう」
ややテンションの高い暮林さんとは裏腹に、俺の心はすこし重い。
ふわとろ卵のオムライスでないことだけが救いだ。個人的にあの半熟加減が許せない。
あとさ、なんか半熟卵の中にぽよんとした白い塊あったら食欲失せね?
「あ、あの、ケチャップ、いる?」
「……いやまあ、あるなら」
「う、うん!」
会話は相変わらずぎこちない。
ま、それも当然だろう。俺と暮林さんは友達というわけでもないし、ましてや恋心をお互いに抱いている仲でもない。いや一方的にどうなのかは知らんが、それも錯覚としか思えないしな、客観的に見ても。
つまり、だ。
昼飯を一緒に食べながら、どうでもいい話で盛り上がるような要素は皆無ってわけだ。そりゃお通夜みたいになっても当たり前だろ。
しかしそこで、暮林さんがケチャップを渡してくれたのだが。
その時に見た暮林さんの手が、あまりにボロボロに荒れていたので、俺はびっくりして思わず尋ねてしまう。
「……どうしたの暮林さん、手荒れひどすぎない?」
「あっ……」
慌てて暮林さんが手を後ろに隠すが、無駄無駄ムダァ!!
なんかその手を見て、俺はちょっとだけ罪悪感にとらわれた。自分の都合のいいように、暮林さんの好意を利用していることに関して。
「……そんなに暮林さんに負担をかけているなら、むりして弁当作らなくてもいいよ?」
「ち、違うの! この手荒れは関係ないから、気にしないで!」
そうしてオムライスを見ながら、自分の罪を考える。ま、それでも好意を利用して行為しようとまでは思わないところは、まだ奥津よりましだと思いたい。
「雄太くん……ひょっとして、オムライス嫌いだった?」
俺がスプーンも動かさずにじっとオムライスを眺めていることに気づき、不安そうにそう尋ねてくる暮林さん。
「……ん? ああ……違うよ。いただきます」
「い、いただかれます」
暮林さんも、やはり何かしら思うところはいろいろあるようだ。
そこから会話が途切れる。
ま、前回の会話も、なんだかわけがわからない後悔の念をつらつらと繰り返していたしなあ。多少前向き……というか自分勝手な発言はあったにせよ。
わけのわからない食材を使った飯が食えないのと同様、わけのわからない贖罪を繰り返されても俺が納得できなければそれは意味がない。
そんな不毛な時間が過ぎ、オムライスは消えた。
「……ごちそうさま」
「あ、おそまつさまでした……」
「……きょうもありがとう。じゃあ」
「ちょ、ちょっとまって、雄太くん!」
「……なに?」
「あ、あのね。明日のお弁当、なにがいい? リクエスト、してほしい」
「……」
暮林さん、わかってる?
俺さ、暮林さんの気持ちを自分の都合のいいように利用してるんだよ。
なのに、なんでそんなにうれしそうな顔するのさ。
「……べつに。おにぎり以外ならなんだっていい」
「えっ……」
ここだけの話、俺は他人が握ったおにぎりを食べられない人間だ。
まあ、ごちそうになる身でそんなことを言うのは憚られるし、理由は濁しとくけど。
しかし、なぜかその言葉を聞いて暮林さんが絶望にも似た表情を見せる。
「や、やっぱり、あの、わたしの手、汚いと、思う?」
「……え? いや、そういう意味じゃなくて。俺さ、おにぎりって苦手なんだよ」
「あ、そ、そうなんだ……わかった、おにぎり以外にするね」
なにやらほっとしたような暮林さんであった。なんだろう、今の間に暮林さんの中で起きた心の動きは
「勝手言って悪い」
「……ううん、好きなだけわがまま言っていいよ。そのほうが嬉しいな」
「……じゃあこれで……あ、そうだ」
俺はカバンの中にハンドクリームを入れてたことを思い出し、どうせほとんど使わないからと、それを取り出して暮林さんに投げた。
「よければ使って」
「……い、いいの? ザーメクリームって、結構お高い……」
白くてどろりとしたザーメクリームは確かにハンドクリームとしては高級品の類だ。なにやら男性ホルモンも入ってるらしく、非常にテアレニ、キクゥ!
いやこれじゃ風邪薬の謎外人だな。
「俺には不要なものだし。それよりも手荒れなんとかしなって」
「あ……り、がとう……こんな、わたしに……汚いわたしに……」
「……じゃあ」
嬉しいのか悲しいのか俺にはわからない、どっちつかずの顔をして。
暮林さんはハンドクリームをガサガサの両手で大事そうに握りしめた。
──たかがハンドクリームで大げさな。
―・―・―・―・―・―・―
そうして講義終了後。
俺は無駄な金を使えないので、とっとと帰宅しようと正門前まで来たら。
「雄太さま、お疲れ様です」
「あ、暮林オカ……暮林さんのお母さん、こんにちは。暮林さんのお迎えですか?」
「ええ。またどこかの不埒な輩が近づいてこないとも限りませんので」
暮林オカンが車を停めて待っていた。
あちゃー、このままじゃやはり剣崎さんは一筋縄ではいかなそう。
あと、奥津のあの後も気にはなるが。
なぜか俺は、今日気づいたわりとどうでもいいことを暮林オカンに尋ねてしまっていた。
「……あの。なんか、暮林さんの手がボロボロなんですけど」
「……」
「あんなにボロボロになってまで……」
「……雄太さま」
そこで暮林オカンがすっごく真剣な顔をしたので、俺は飲まれた。
「いつも美衣の作った弁当を食べていただいていること、心より感謝申し上げます」
「あ、いや、それはそれで俺も助かっているというか……でもあそこまで手をぼろぼろにさせてしまうのは申し訳なく」
「……それに関しては、雄太さまの弁当作りが直接の原因ではありません」
「は?」
「美衣は……きのう、弁当を作る前に、念入りに消毒をしてました。それはもう何十回も。何度しても足りないといわんばかりに、手にアルコールをたくさん付けて」
「あー……」
そりゃ確かに手荒れするわ。アルコールって本当に手をガサガサにするからな。
そこまでして食中毒を起こさないように気を遣ってるのか……
「……時には涙をにじませながら。時には『なんで、わたしの手はきれいにならないの。きれいになって、お願いだからきれいになって。きれいに、なって……』と半狂乱になりながら、消毒していましたね」
……と思ったら違った。
「なぜに?」
「……おそらくは、雄太さまを裏切って、間抜けなくせに間男を名乗ってるあの量産型ざぁこの9センチを握っていた自分の手が、突然汚らしく感じられるなにかがあったのでしょう」
「いやオカン様言い方ってもんが」
「あ、結局は調理用手袋をして弁当を作っていましたので」
「最初からそうすればよかったのに……」
ええぇぇ。
ひょっとして、この前『わたしって、ほんとバカ』って言ってた時のアレか?
今までそんなことみじんも思ってなかったのに、改めてそう言われると俺も意識しちゃって弁当食えなくなりそう。
…………
だけど、さ。
許される許されないはともかくとして、おそらく俺が思う以上に、暮林さんはでっかく後悔してるんだろうな。
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