湯灌師レイコ~知っていたらわかり合えた大切な人~
永沼玄信
第1話
コロナ禍とはいえ外に出れば季節は紅葉が美しい盛りの秋のある日、ホテルのタラソテラピー室のような明るいヨーロピアンタイル張りの部屋の中央に大人一人が横たわるとちょうど収まるサイズのパステルカラーのバスタブが置かれている。
レイコは高齢の小柄の女性の遺体をもう一人のベテラン湯灌師と二人で抱きかかえてゆっくりと寝かせ入れた。
「レイコさん、さすが元看護師ね、ご遺体の扱い方が上手いじゃない」
「闘病されてた方は浮腫が消えて。楽になられたろうなって、思ったりしてしまいますよ」
「そうなの?入院してる人は浮腫んでるもの?それって、痛いの?」
「心臓が弱ると点滴で肺が水浸しですよ、動かないから脚も像みたいに大きく膨らんでくると重たくて、かなり、苦しいはずですよ…」
「この方も頑張って闘ったのね、病気と…」
「一人でね」
「最後に綺麗にしてあげないとね」
「『きっと大変でしたよね、医者によっては薬の量も治し方も攻め方も様々で、看護担当者のキャラもいろいろだし、病院の経営方針もあるし…』」
「え?またブツブツ言ってるのね?」
「『本当にお疲れ様でした、何か思い遺しがあれば、私、おうかがいしますからね…』」
「この方のご遺族の娘さんが二人、シャワーを御一緒されますよ、あと15分です」
「わかりました」
レイコは湯灌師になってまだ3ヶ月だが、
遺体の身体を丁寧に扱って隅々まで触れて綺麗にしてくれるだけでなく遺族に死者からの不思議なメッセージを伝えてくれると誰かがSNSに上げたことから、死に目に会えなかったことを悔やむ遺族からの依頼が来るようになっていた。
近頃では一般的な葬儀の際に御遺体を綺麗に洗ってから死装束に着替えることが可能であるが、追加費用が8万円程度必要となる。
このときに御遺体を裸にして綺麗に洗う仕事をするのが湯灌師である。
この仕事は別に資格が無くても良いので元美容師や元介護士、元主婦なども働いており時給1200円から日給5000円といったところが報酬の相場となっている。
レイコは看護師資格を持っているので、
例えばコロナの予防接種出務での国が支払ってくれる時給2万円を超える医師と明らかに格差が大きい時給4000円程度だとしても、湯灌師と比べればお金が欲しくて働いているとはとても考えられないことは誰にでも察しがつく。
「レイコさん、ご遺族が来られたみたいよ」
「はい」
アラフォー世代らしき女性が2人、メイクも無しで目を腫らして遺体の入ったバスタブに駆け寄ってきた。
「お母さん…!」
遺体の顔を両手で包むようにして自分の顔を近づける遺族の一人の泣き声がタイル張りの部屋に響いてくる。
「レイコさんですか?今日は、母を、宜しくお願いいたします…」
挨拶してくれた遺族の一人は昨日レイコと初めてメールでやり取りをした姉であろうと思われた。
メールによると、姉妹は父と2年前から仲違いして会わなくなっていたところ急に入院となった母に会いたかったのに「お前達は顔を出すな」と電話で父に怒鳴られて、それでも来週になったら勝手に母の病室を訪ねようと決めていた矢先の死別であったという。
姉妹はこの半年ほどは電話口にもなかなか出ない母を気にしはじめていたものの、母がまだまだ平均寿命から思えば若いことや自分達が仕事と子育てなどでスケジュール的に常に忙しいことから母とゆっくり話すための時間が作りにくかったことをとても悔やんでいた。
姉妹は母の葬儀のためにしばらく行っていなかった実家を少し整理して、
自分達に心配させまいと母が日々、自分勝手でお金に細かい父との生活を一人で我慢ばかりしていたのだと知る痕跡を見つけてしまったという。
姉妹は、父の未必の故意で母が転んでからコントロール中の持病も大きく悪化していたことが母の死因なのだと考えるようになっているとも言う。
「お母さん、白髪も少ないし顔のシワもシミも少ないね」
「わたし、もう半年以上話もできてなかった…」
「お母さん!!」
「嘘みたい、やっと会えたのに、これって…ね…」
レイコは遺体の首から足首にかけてのせてある白い大きなバスタオルを少し上げて、タオルの下に横たわる身体に温シャワーを差し入れて丁寧にかけていった。背中まで洗うために、左半身を少し持ち上げて傾けたままさらにシャワーをかけていったが、遺族姉妹は泣くばかりで遺体の手を握ったまま動けなくなっていた。
遺体の両腕にはいくつもの針を指した跡と首の右後ろに目立つ内出血があるので姉妹には見せないようにしていたのだが、目を閉じた上品な顔にも新旧の小さな皮下出血跡がいくつか残っていた。
次いで遺体の右半身を洗うために姉妹の手をどかさなければならないが、もう一人の湯灌師からの目配せを見て、まだ時間もゆっくりあるのでそのまま少し待つことにした。
その時、
レイコは急に自分が遺体となった姉妹の母の生きてきた過去に入り込んでしまったのをはっきりと感じていた。
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