15. 解明

「ん」


 青っぽい匂いが鼻をくすぐる。

 暗闇が開けた先は、実によく見慣れた水辺……もとい川だった。

 ここ、駅前だ。


「マリカちゃん?」


「下よ、下」


「あっ、そうか」


 声のとおりに見下ろすと、確かにマリカちゃんが呆れた様子で腕を組んでいた。


「アナタ、本当に鈍感ね。いやむしろ、それくらい"馴染んじゃった"といった方が正しいのかしら」


「馴染む?」


「あとで話すわ。ワタシ、連れを探してくるから、ちょっとここで待ってて」


 分かったと答える間もなく、小さな背中が橙色の髪を揺らして、川を渡す橋の下へとすたすた歩いていく。


 手持無沙汰になってしまった。などと思っていたら、


「おーいっ」


 よく知った友人の声が聞こえた。そして、わたしが土手を仰ぐ前に、彼女の方から目の前に降って来た。明らかに膝に悪そうな着地だ。


「智代、どうしたの? こんなところで」


「いてて……いやそれはこっちのセリフだ! ぼーっと散歩をしていたら突然、君が河川敷に現れるのが見えたんだからな」


 なるほどそういう経緯が。


「そんなに驚くことかな」


「驚くことなんだよ」


 足首をさすりながら、智代は言った。


「なぁ未紗、本当におかしいとは思わないのか? さっきのワープみたいな現象とか、今向こうに行ったあの女の子とか、街を徘徊するペンギンとか、とにかくそういった最近の諸々の出来事すべてがだ」


 その半ば説得めいた調子にどう答えたものかしら。

 考えている最中、先ほどのマリカちゃんの言葉がぱっと脳裏に浮かんだ。


「おかしいというよりも"馴染みがある"かな」


 なじむ、なじむ。智代が、未知の言語にふれたかのように反芻はんすうする。


「……知り合ってから度々感じてはいたのだが、やはり君はふしぎなヤツだ」


「はぁ」


 相変わらず褒められているんだかけなされているんだか。


「そしてその不思議の原因を今、知ることができそうな気配がしている。これを逃す手はないだろう?」


「わたしに聞かれても困るんですけど」


「許可は要らないってことだな。よし」


 どうやら智代もここに残るらしい。まぁ、いいか。

 一人ではしゃいでいる智代のことはさておいて。気もそぞろに、太陽の光を反射する少々濁った水面を見やった。

 そのとき、何か直感のようなものが体内を駆け巡った。

 来る。

 反射的に土手の方を向いたら、今度は巡と居田さんが立っていた。

 居田さんに関してはついさっき商店街で会ったばかりだ。なのにもうここに居るということは、マリカちゃんと同じ、あるいは似た手段で"跳んだ"のだろう。でも、状況に困惑しているらしいのも彼女なので、もしかしたら巡がやったのかもしれない。


「っ刈谷さん!」


 こちらに気付くや否や、先ほどの智代と変わらぬ勢いで居田さんが駆け下りてきた。傾斜でもリズムがブレることなくするりと降りていくその様は、それはそれで瞬間移動めいている。


「その、大丈夫?」


「ケガもしてないし、ちゃんと元気だよ」


「良かった……」


 胸を撫で下ろして、なぜか疲れた表情。よく分からないけど、心配させてしまったみたい。あとでお詫びしなければ。


「よっ、ほっ」


 遅れて、巡も危なっかしい仕草で降りてきた。


「気になって、わたしたちもついてきちゃった」 


「そっか」


 ということはつまり。


「全員集合だな」


 あ、やっぱり同じことを考えてた。


「まったく、まさか川で泳いでるだなんて……ってあら、人が増えてる」


 良いタイミングで、マリカちゃんまで戻ってきた。隣にはちゃんとアデリーペンギンを連れていて、心なしかどちらも体が濡れている。


「しかも、ワタシのじゃまになった人ばかりじゃない」


「邪魔……?」


 あっけらかんと放たれた少々険のある言葉に、居田さんが眉をひそめた。

 けれどマリカちゃんは、その警戒を微塵も気にすることなくうんうんと頷いた。


「そうよ。もう、ほんとに探すの手間取ったんだから」


「今の状況と君の口ぶりから察するに、君はずっと未紗を探していたみたいだな」


「えぇ。正確には、ワタシが探していたのは"ワタシ"なんだけど」


「いったいどういうこと?」


 心底から理解できていない様子で、居田さんと智代が首を傾げる。一方で、巡は何か得心がいったようだった。

 わたしはというと、もちろん分かってない側である。

 たとえば、自分が生きる理由という意味での自分探しだったとしても、わたしとマリカちゃんの間にはそこまで深い関係は築かれていない。

 じゃあ、ヘンな話、物理的な自分探しだったとしたら?

 これも妙だと言わざるを得ない。だってわたしは刈谷未紗で、目の前のマリカと名乗る女の子とは全くの別人なのだから。

 では、実際のところを訊ねてみよう。

 そうやって、わたしが疑問を投げかける前に、巡がその役を代わってくれた。


「ねぇ、教えてくれる? あなたたちが何者で、どんな目的を持っているのか」


 マリカちゃんは傍らのアデリーをちらと見た。アデリーもマリカちゃんを見た。そして、くちばしが縦に動いた。すなわち、首を縦に振った。

 一歩、平べったい足が前に出る。どうやら、彼(彼女?)が話すらしい。

 翼を丸めて喉元に触れ、二、三度、やたらに低い咳ばらいをして。


「ここからは僕が主だって話そう。まずは、こんにちは」


「喋った……」


 見た目から想像だにしなかった、まろやかな男の人の声で喋り出した。正解は"彼"であった。

 彼はもともと猫背気味な体を丁寧に折り曲げてお辞儀までしてくれて、わたしたちも反射的に会釈をしたけれど、驚きの方が勝って挨拶を返すところまでは行かなかった。


「本当は僕が口出しするつもりはなかったのだが、説明そのものは必要だろうからね」


 それでもアデリーは構うことなく、そう前置きをして話を続けていく。


「さっそく疑問にお答えすると、僕と彼女……われわれは、君たちの文明になぞらえて言えば、いわば火星人だ」


「か、かせいじん」


「でも、あなたたちの見た目はどう考えてもペンギンと人間でしょう?」


 居田さんが至極まっとうであろう疑問をぶつけたが、アデリーは怯まない。


「この姿は幻のようなものだ。イメージこそ地球上の生物を模しているものの、中身はまったく違っている」


「元々はどんなカタチをしているんだ?」


「肉体はない。精神だけがそこに在る。さらに言えば、今は便宜上自らを"われわれ"と呼称しているが、本来は唯一の個に収まっている」


「んん?」


 ただでさえややこしい話に、余計にややこしい要素が加わってきた。


「あるいは、超膨大な自我、とでも形容しようか」


「ぬおお……!」


 智代が呻きながら頭を抱える。さすがに智代ほどではないけれど、わたしももう少し補足が欲しい。

 そこへ、マリカちゃんが助け舟を出してくれた。


「要はものすごい多重人格ってことよ」


「う、ん……そう言われれば、さっきよりは納得できるか」


「なるほどねぇ」


 そう考えれば、規模とつくりが違うだけで、心理的には人間とあまり大差ないみたいだ。

 アデリーたちの正体がなんとなく判明して、それぞれどうにかこうにか解釈づけられたところで。


「次は、目的だね」


「うむ」


 思い出すように、アデリーは白雲のふわふわ浮かぶ青空を見上げた。


「……事の発端はこうだ。ある日、われわれの中の誰かがこう思った。『旅をしたい』とね」


 そこで、マリカちゃんが口をはさむ。


「賛成と反対、そして中立派で意見がばらばらに分かれたわ。それで、議論も冷めやらぬうちに、ワタシたちのごく一部が、そのまま外に出て行っちゃったの」


「われわれは、その同胞……本質的には自分自身の一部を迎えに、この星へ降り立ったのだ」


「壮大な家出だ」


「話の中身は小さいけど」


 巡の感嘆に、居田さんのささやかな突っ込みが入る。その隣で、智代がハッと何かに気が付いた様子。


「その家出したヤツが未紗……ってことなのか!?」


 いやいやいや。


「そんなまさか」


「うむ。彼女は確かにこの星の生き物たる人間だ。だが、君の言うことも半分ほど当たっている」


「えっ」


「ということは、つまり?」


 黒くつやつやした翼は、わたしをはっきりと指差した。


「われわれの一部は、刈谷未紗、君の中にあるということだ」


「……はぁ」


 なんというか、とぼけた返事を返すことしかできない。視線を集中されても、覚えがないことは覚えがないのだし。


「どうして?」


「どうしても何もない。ごく偶然に、旅立ったわれわれが彼女の元に入り込んでしまっただけだ」


 アデリーのかたくなな物言い(といっても、本人もこうとしか言いようがないのだろうから仕方ないのであるが)に、居田さんは深いため息をついた。


「そういうもの、なのかしら……」


「そーいうものよ」


「じゃあ、あたしたちが邪魔になったっていうのは?」


「われわれには物理的な制約がほとんど通用しないため、世界に干渉することが比較的容易なのだ。おそらく、僕……いや、彼女はそうした世界への干渉を造作なく行える人間を、目星をつけて探していたんだろう」


「例外が集まりすぎよ、この街。しかも肝心の本人が一番ふつうだったという有様だし」


 マリカちゃんが呆れたような感心するような半目で、わたしの背後の三人をじいっと見やった。どうやら巡以外、自覚はなさそうだった。

 そんな、別の話題が広がりそうになったところで、アデリーがそもそもの結論をまとめた。


「結局のところ、われわれは君を迎えに来た。ただそれに尽きる」


「あのー、すごく申し訳ないんだけど、呼んだ覚えがないといいますか……」


「それは違う。君に自覚がなくとも、確かに君のなかの"われわれ"は、僕たちを呼んでいたのだ。いわゆるホームシックというやつだが」


「何か心当たりはないかね。ある時期を境に変わったことなど。例えば妙な癖とか」


 心当たり。妙な癖……。


「「あ」」


 巡と、居田さんに、智代。そして、わたし。みんなの声がきれいに重なった。


「くしゃみだ」


 そういえば、いつの間にかしなくなっていた。くしゃみそのものをすごく気にしていたわけではなかったから、まったく気が付かなかった。

 というか、三人とも心当たりがあるくらいにわたしはくしゃみをしていたのか。

 自分だけのささやかな秘密だと思っていたものが割と公然のものだったなんて。改めて、恥ずかしくなってきた。


「その癖は、君の内のわれわれが感じた郷愁に起因するものだろう。今は、同郷……もとより本体の僕たちが来たから治まっているようだ」


「な、なるほど」


 長年のささやかな謎が解けた。嬉しいは嬉しい、のかな?


「それで、どうする? ミサ」


「えっと、わたしとあなたたちを分離、とかはできないの?」


「うん。さっきも言ったけど、ワタシたちの一部は、あなたにすごく溶け込んじゃってるの。無理やり分かつのはだいぶ無茶な話になるわ」


「具体的には人格がこちらに引っ張られて、君の肉体だけが抜け殻として残ることになる」


 そ、それは勘弁してほしい。

 じゃあ、やっぱり。元から答えは決まっていたのだけれど。

 わたしは頭を下げた。


「本当に、ごめん。ここまで来てくれたのに」


「でも、やっぱり、わたしは、わたし……刈谷未紗でいたいから」


 反応がないので、つと目線を上げる。

 マリカちゃんとアデリーはさっぱりした様子で、怒っているとか悲しんでいるとか、そういった気配はなさそうだった。


「まぁ、そう言うと思ったわ」


「うむ。君が決めたのなら、異論はあるまい」


「意外とあっさりだ……」


「今回の旅で最も重要なことは、他ならぬ君の決断を聞くことにあったのだ。加えて言えば、彼女がその交渉役であり、僕はその交渉が偏ったものにならないよう監視する役だった」


「ソッチがほとんど説明しちゃったんだけどね」


「それはそれ、だ」


「でも、それじゃあ、あなたたちはどうするの?」


「決まってるでしょ。帰るのよ」


 どうやってと聞こうとしたけれど、そういえばこのひとたち世界に干渉出来るとか言ってたんだった。

 なんて考えてたら、マリカちゃんがぱちんと指を鳴らした。


「うわっ!?」


 智代が大きい声を出した。

 彼女の指鳴らしに合わせて、背後に巨大なロケットが現れたためだ。

 現実的な科学にのっとったものでは毛頭なく、子どもの絵本に出てくるような寸胴な体型をしていて、てっぺん近くにはご丁寧に円窓がくりぬかれている。船体の表面はというと、白く淡い光を発する金属質っぽい何かだった。おそらく、以前アデリーがせっせとこしらえていたやつだ。


「ロ、ロケットが突然出てきた……」


「出てきたんじゃなくて、"ない"と思わせてたの。いわゆる思考のマスキングってところね」


「もしかして、あたしたちがあんたらの存在を不思議に思えなかったのもそれが原因か」


「うむ。表立って探す必要はないからな。あくまで個人の話なのだから」


「そんなことまでできるなら、わざわざ人間や動物の姿になって探さなくてもよかったのに」


「それは不可能だ。優劣を問うわけではないが、コミュニケーション領域のレベルを落とさなければ、このような会話すらお互いままならなくなってしまう」


 言いながら、アデリーが翼で船体に触れる。すると、何もないと思われていた表面に継ぎ目が浮かび上がり、奇妙なことに上へとスライドしていく。


「すごい……」


 そう居田さんが呟くほどに、船の中は豪奢な空間が広がっていた。ありきたりな例えだと、一流ホテルのスウィートルームを実際に見たらこんな感じなのではなかろうか。

 そんな、船体の外観とは明らかに合わないサイズの空間に、一人と一匹は身軽に乗り込んだ。

 しかし、急な再会と別れだ。火星に離れるというのなら、遠い旅になるだろう。もし彼らにとってそれが一瞬の出来事だとしても、わたしたちから見ればそれは結構な年数に違いない。

 だからこそ、これだけは伝えておかなくちゃ。


「あのさ」


「また、遊びに来てよ。その、大変かもしれないけど」


 ふたりは目を合わせてから、わたしに頷いた。


「当たり前でしょ。今回の旅、メンドウなこともたくさんあったけど、けっこうおもしろかったし」


「僕はあまり物見遊山できなかったしな。次は気軽に楽しみたいものだ」


「……うん」


 これで、気にかかっていたことはもうないはず。晴れやかな気持ちで見送ることができる。


「では、さらばだ。諸君!」


「バイバーイ!」


 船体の表面が埋まっていく。姿が見えなくなっていく。

 ロケットは完全な密閉状態となり、ついで、ぽん、という気泡のような軽い音を立てたかと思えば、ふわりと船体は浮かび上がった。

 みんなで見上げる中、ロケットはシャボン玉に包まれたみたいに、ロケットらしからぬ軌道で空へ空へと離れていく。

 そしてとうとう、真昼の月めいた輝きになって、アデリーペンギンと女の子は故郷の星へと旅立って行ったのだった。

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