10. 寄道

 必要なものは難なく購入できた。ノートはノート、たかが紙である。

 いや、されど紙とも言えるはず。少なくとも昔は、こんな風にぜいたくに紙を使える環境ではなかっただろう。


「文明ってすばらしい」


 すぐに家に直帰するのももったいないので、駅の南口を抜け、ほど近い距離に横たわる河川敷をのんびり散歩する。気持ちの良い天気も、それだけでありがたいものだ。

 退屈な"ふつう"こそが、最善で最良。おそらく。


「おーい!」


 誰かがわたしを呼ぶ。そしてそれは、巡の声だった。

 見下ろすと、川のすぐそばに面する原っぱで彼女が手を振っていた。

 幅広の階段を一つ抜かして跳んで、彼女の元へ向かう。


「偶然だね」


 友達といえども人類の、もっと絞れば街の中の一人。たまたま出会える確率はけっこう低めではなかろうか。


「ここにいれば、会えると思ったんだ」

 

 柔らかい、としか形容できない笑みで、巡は嬉しそうに答えた。


「会いたかったの?」


「うん!」


「それはそれは」


 いくら長い付き合いとはいえ、こうもはっきり肯定されるとなんとも面映おもはゆい。いったいどういう生き方をすれば、こんな素朴と素直の権化のように育つのかしら……永遠の疑問だ。

 勝手にしみじみしているところに、巡はわたしの提げていたレジ袋をちらと覗いた。


「それ、本?」


「ううん、ノート。日本史のやつ切れてたの思い出したから」


「言ってくれればあげたのに」


 巡は平気でそういうことを言う。悪事や嫌悪を示すことでなければ本当にやってみせるので、冗談でも軽々しく頼むことはしない。


「もらうわけないでしょ。まったく、おひとよしもそこそこにしないと自分が保たないよ?」


「えへへ、気を付けます」


 下手なごまかしだ。いつも釘をさしているけれど、それこそぬかに打ち込むようなもの。


「うーん、えっと、あれを見てよ」


 露骨な気の逸らし方をするなと呆れつつ、これ以上注意するのも本意ではないので、仕方なく彼女の指差す方を見やった。

 そこ、川の上に架かる橋桁のふもとに、いつぞやのあのアデリーペンギンがいた。


「こんなところにいたんだ」


 円らな黒い瞳と、ずんぐりなのかスラっとしているのか判定しがたいフォルム。忘れようもない。

 そんなアデリー(もう面倒だからこう名付けよう)は、周りを気にする様子もなく、ちょうど空から隠れるところでなにかを作っていた。


「あれは……ロケット?」


「多分、そう」


 第一印象は巡も同じだったようだ。

 太った円錐、あるいはキカイのレンコン。いまいちいい例えが思いつかない。

 とにかく、嘘みたいに雑に作り上げた骨組みに、ぺたぺたとそこら辺の土やらコンクリートめいた灰色、そういった有象無象を張り付けて形にしているのだった。拾っていた傘は、ことごとく分解されて構造の一部と化していた。

 まさに形だけ。見た目はロケットだとして、あれで飛べるのか。


「ペンギンさん、友達になれるかな」


 土手に座り、黙々と進む作業を黙々と眺めること数分。巡が口を開いた。


「なれるでしょ。なんか、敵意とかなさそうだし」


「ほんと?」


「話しかけてみなよ。ここで待ってるから」


 ほとんど一瞬の間をおいて頷くと、巡は雑草を踏み踏みそろそろとアデリーに近づいた。対する向こうは、気にせず造形の手を止めない。


「あのー」


 反応なし。巡は、あちこち動くアデリーのあとをそれこそペンギンのようにつきまとってみたり、あまつさえ体にふれたりしたのだが、これも反応には至らない。ただ、動作の邪魔になるときはあえて避けたりしていたので、こちらが認識されていないわけでもないらしい。


「ダメでした……」


 明らかに肩を落としての帰還。未知との遭遇、そのファースト・コンタクトは残念ながら失敗に終わった。

 いや、ペンギンは未知な存在といえるのか、そもそも最初なのか。


「時機じゃないのかも」


「時機?」


「とにかく、今は都合が悪いってこと」


 ロケット製作に忙しいから、とかではなく、反応できない理由があるのだ。たぶん。


「未紗ちゃんがそう言うなら」


 執着するほどのものごとではなかったらしい。巡もあっさり退いてくれた。

 さて、せっかく会ったのにずっとここにいるのも面白くない。


「ご飯……はまだ早いから、一緒に散歩しない?」


「いいよ。もっとお話ししたいし」


「決まりね」


 休憩は終わり。砂やら葉っぱを払い落として立ち上がる。

 伸びをしていたら、一瞬、目配せのような、そんな視線を感じた気がした。

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