5.下校

 教室のスピーカから、チャイムが響いた。今日最後の授業の終わりだ。

 生徒たちは思い思いに、体を伸ばしたり、隣席の友達と喋り始めたり、帰りの支度をさっさとしていたり。もう少し授業を粘ろうとしていた先生も、さすがに諦めた。

 ここまでくれば、ホームルームも一瞬のことだ。大した連絡もなし、日直も先週に済ませているから、あとはもう帰るだけ。

 教室を出る際、ちょっとだけ居田さんの様子を覗いてみた。教科書とノートを広げて、なにやら居残るみたいだ。自習だろうか。

 多少親しくなったとはいえ、急に馴れ馴れしく接するのはためらわれる。勉強しているのならなおさら、邪魔するのは良くないことだ。

 心の中でささやかなエールを送ってから、戸口を抜けて階段を下る。教室は三階にあるため、玄関まではけっこうな段数が必要になる。地味にきつい運動だ。


「よいしょ」


 軽く乱れた息をしずめつつ、上履きを外靴に履き替えた。ところへ、前から聞き慣れた声がした。


未紗みさちゃん」


 顔を上げれば、対面する方がひるむほどの気弱な瞳が、にっこり笑う。

 藤堂とうどうめぐり。小さいときからの付き合いの長い友人である。……といいつつ、よく話したり遊んだりするようになったのはここ数年のことのような気もするけど。


「今から帰るところ?」


「うん。よかったら、一緒に行こう?」


「おっけい」


 一人でいると例の発作が出やすいから、この申し出はありがたい。もちろんただのくしゃみなので害という害もないのだけれど、居田さんのあの発言を受けて以来、なるべく控えたかった。

 やっぱり、さみしいという気持ちはカッコわるいと思うのだ。そんな強がりこそが本当のカッコわるさだとしても、今のわたしでは、まだまだ折り合いがつかない。


「日が暮れると、だんだん寒くなってきたねぇ」


 道中、空を眺めて、巡が呟いた。つられて見上げると、目のみるような茜の端に夜闇がにじんでいた。


「もう来年が近づいてきた。ついこのあいだまで春だった気がするのに」


「戻りたいとか、思ったりする?」


「あんまり」


「そっか」


 柔和な顔が、まるで困ったみたいに眉根を下げて、微笑んだ。

 巡はときどき、そんな、どきっとするような表情を見せる。

 綺麗というよりは可愛らしい容姿が、このときだけ、ものすごく達観した何かに見えるのだ。例えるなら、大げさではなく、仏様とか。

 その拝みたくなるギャップに半ば病的なおひとよしが加わって、老若男女を問わずいわゆる"堕ちる"人がけっこういる。


「どうしたの?」


「ん、なんでもない」


 わたし自身、ちょっと惹かれてしまう気持ちをごまかして、巡の頬をちょんとつついた。指が冷えていたのか、巡は「うにゃ」という変な悲鳴を上げた。

 そんな風にからかっていたら、ちょうど分かれ道となる交差点に差し掛かっていた。


「もうここまで来ちゃった」


「あっという間だ」


 車道を色とりどり、大小さまざまの車が流れる。歩行者信号のタイマーが進む。そばには向こう側に渡る歩道橋がそなわっていたけれど、巡は使わなかった。わたしも、待った。


「あっ。そうだ」


 何を思い出したのか。目で問うてみる。


「手、貸して」


 言われたまま、わたしは大人しく両手を伸ばした。

 なんということはない、彼女はただそれをぎゅっと握っただけだった。


「おまじない」


「どんな?」


「えっと……運命の保障、とか?」


「なんて曖昧あいまいな……」


 よく分からない目的はともかくとして、体温のあたたかさを堪能していたら、もう信号が青だ。

 名残惜しさに、ゆっくり握手を解いた。


「じゃあ、また明日!」


「またね」


 小さくなっていく背中を見送り、満足したところで。


「ふぁ……んぐっ」


 くしゃみをこらえて、わたしも家路を急ぐことにする。

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