8 嵐の夜の幽霊騒ぎ




 貴緒たかおが帰宅するころには、外はもうすっかり嵐だった。


 突然降り始めた大雨のせいで貴緒はびしょ濡れで、また風邪がぶり返したのではないかと思うほどの悪寒を覚えた。


「さとりちゃんはいない、か……」


 靴箱の中を確認するも、何もない。家の中は真っ暗で、人の気配は感じられない。


 誰かがいればタオルなり持ってきてもらうところだが、貴緒はびしょ濡れのまま玄関に上がった。雫を滴らせながら、とりあえず浴室へ向かう。


(この嵐のなか、探し回るのは困難だな。あっちも外にいなければいいんだけど――)


 あの後、貴緒はのどかに教えてもらい、桐枝きりえゆかりの自宅に向かうことにしたのだが――普段は学生寮に住んでいるということはつまり、帰れない事情があるか、家が遠いかである。今回は後者だった。


 のどかは近くにあるから週末にはよく帰っている、と話していたが、それは学校からの距離の話で、そしてバスなどの交通機関あってこそだった。


 そこで頼りになったのが、意外な人物である。


『ゆかりちゃんは知り合いの大人の人に車で送ってもらってるんです。昔、家庭教師やってた人だとか』


 都合の良い大人がいたものである。


 貴緒もまた、とある女子大生を呼び出し、送ってもらおうとした。

 てっきり断られるかとも思ったが、あっちはあっちで都合が良かったようである。ともすれば桐枝ゆかりも同じような考えを持っていたのかもしれない。


名上ながみさんあれじゃん、自分の大学の先生狙ってるじゃん。もうそっちと結婚させればいいじゃん)


 そうして訪れた、桐枝家――探していた桐枝ゆかりもさとりちゃんもいなかったが、代わりに重要人物との対面を果たすことが出来た。


 自宅の台風対策をしに帰宅していた、桐枝ゆかりの父親である。


(名上さんいてくれてマジで助かった。帰りも送ってもらったし。お菓子づくりしたら、お裾分けでもしてあげなければ)


 かくして帰宅した貴緒だが、マンションの階段を上ってるあいだにすっかりびしょ濡れになってしまった訳である。


(しかし……さとりちゃんの居場所は不明。桐枝ゆかりも学生寮には帰ってないらしい。……まさかこの嵐の中、野宿とかはしてないよな。そう信じたいが)


 カラオケやネット喫茶あたりを見て回りたかったが、この嵐だ。今日のところは諦めるしかないだろう。かといって何もしないでいるのは落ち着かない。


(考えろ――のどかさんが中等部の他のアテに連絡いれてくれてる。でもさすがに、中学の友達の実家に、小学生連れ込んで転がり込むか? カラオケとかだって、さすがに目立つはず。通報とかされそうだ)


 いろいろと考えながら、浴室で体を拭く。熱いシャワーを浴びれば気分も晴れるかもしれないが、なんとなく、そんなことをしているのは気が引けた。


(学生寮の……どこかに隠れてたり、しないか? そっちの事情は詳しくないけど、空き部屋とかがあれば。案外、灯台下暗し的な。中等部の女子寮はのどかさんに、高等部の方は野乃木ののきさんに頼むとして――)


 スマホでツテを探していて、思い出す。


(そういえば、エ口漫画もパンツの山も、男子寮の部屋に直接届けられてる……。しかも、高等部だ。そういう可能性も?)


 とりあえず、連絡を入れておく。あの二人の弱味は握ってる訳で、こういう協力は惜しまないだろう。


(この感じだと、明日は学校は休みかもだ。小学校の方で張り込むとかは難しいか。……それこそ、そんなことして不審者扱いされたら、本末転倒感あるな。それが狙い……というのは、さすがに考えすぎか。まあその点はあれだ、同じ小学生の頼志らいしに探してもらおう)


 スマホを触っていると、孝広たかひろ美聡みさとに連絡すべきかとも思ったが――


(今やっても、心配させるだけだ。大人二人、なんの気兼ねもなく過ごせるチャンスかもだしな……。この件は、なるべくなら何も知られずに――)


 考えていると、また悪寒。


「さすがに、シャワー入っとくか……」


 濡れた廊下を拭きつつ自室へ向かって着替えをとる。自室の向かいにあるトイレのドアを見てさとりちゃんを思い出すのはいかがなものかと思いつつ、浴室に戻った。


 シャワーを浴びていると――


 バタン、と。


 強風に押されたのかのように、ドアが叩きつけられる音が聞こえた。


(……帰ってきた?)


 誰が? 


(気のせいか? ……隣とか、よその部屋か?)


 声は……しない。

 孝広たちが予定より早く帰ってきた訳ではなさそうだ。


(……さとりちゃん?)


 確認しに行きたかったが、全裸である。どうしようかと思いつつシャワーを浴びているうちに、再び――


(ドアがちゃんと閉まってなかっただけ、か……?)


 体は洗わずシャワーだけにして、浴室を出る。手早く体を拭いて着替え、びしょ濡れの制服をどうしてくれようかと思いつつ、それを手に持ったまま廊下に出た。

 頭に載せたタオルで髪を拭きながら、なんとなく顔を上げた時だった。


「――――!」


 稲妻が走った。


 トイレだ。トイレの電気が点いている。ドアの隙間からうっすらと、光が漏れている……!


「さとりちゃん……?」


 すぐにトイレの前まで来たが、ファーストコンタクトを思い出すまでもなく、開けることは躊躇われた。ノックをしてみるが、反応はない。


「…………」


 いかがなものかと思いつつ、ドアに耳を寄せる。


(……水の音がするけど、これは――流したあとのやつ……)


 これは、どういうことなのか?

 誰かが貴緒がシャワーを浴びているあいだに、部屋に入ってきて、トイレを使って、そして……?


(出て行った……? この嵐の中を……? ――どこへ?)


 玄関の方を見つめたまま、知らず制服を持っている手に力がこもった。


 何か、硬い感触があった。ポケットだ。


(……あぁ、そういえば、立希りつきの――)


 今朝、受け取った合鍵。


「…………」


 隣は、空き部屋だ。長らく、空いている。電気も通ってないし、水道も止まっているだろう。


(立希が昔、ベランダからこっちに渡ってこようとして、落っこちて。それで入院する羽目になった訳だが、ああいうのも事故物件扱いになるんだろうか)


 それで真渡まと家が引っ越した後も新しい住人が入ってこないのだろうか、とどうでもいいことを考える。


『――というか隣、事故物件じゃん。むかーしむかし、ベランダから女の子が転落して足とか腕とかばきばきに骨折したという……。その時に落ちた少女の霊が今も――』


 そんな下らないことを、立希と話した。その夜、さとりちゃんが貴緒のベッドに入ってきたのだ。恐い話のせいだろうと思った。そもそもそんな話をしたのには、理由がある。


 最近のことだ。

 隣の部屋からたまに、物音が聞こえてくるのである。


 誰もいないはずなのに。


「……まさか?」


 貴緒の手の中には、合鍵があった。


 その昔、ピッキング――鍵開けにハマっていた立希は自宅マンションもそうして出入りするものだから、その合鍵の存在をすっかり忘れていたのだろう。


(……昔の立希と同じような考えをしていたと、したら。――そういえば、中二、だったっけ)


 鳥肌が生じたのは、寒さのせいだけではないだろう。


 貴緒は部屋を飛び出した。

 雨が打ち込むマンションの通路。空き部屋である隣の部屋の、ドアを開く。



「居たぁああああああ……! 見つけたぞ、『黒幕』――!!」



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