第5章
1 幼女と和解せよ
日曜日がやってきた。
大人二人は珍しく昼前には起床していて、出かける準備を済ませていた。
「一人で大丈夫か?」
「まあ、なんとかなるんじゃないかな。そっちこそ、なんか台風来てるらしいから――」
「お土産なにがいい?」
「はい? いや……なんか、良い知らせで。あ、美味いもの」
そうして、大人二人は出かけて行った。
あとには、男子高校生と、小学生女児だけが残された。
「…………」
……二人である。二人きりだ。しかも、場合によっては一日中どころか、明日まで。
これはもう、事件である。
(さとりちゃんと距離を縮めるチャンスだ――しかし判断を誤れば、一巻の終わりだと思え俺――)
今日は日曜日、学校は休みだ。さとりちゃんは今朝も早起きで、テレビの前のソファを陣取っている。特に何か観たい番組があったという訳でもなさそうで、チャンネルを変えては数分眺めて、ぽちぽちとまた別のチャンネルに移動する。宿題などは昨日のうちに終わらせたのだろう。暇を持て余しているのかもしれない。
宿題を手伝うなどの名目で距離を詰めよう、家族らしいことをしよう――という安易な発想は早々に棄却されてしまった訳だが、
(昨日一日いっしょにいた親父もコミュニケーションを諦めたようだが、俺までそうする訳にはいかない――)
交際相手の実の娘ではない、となれば、また関わり方も違ってくるだろう。これまで考えもしなかった
(さとりちゃんは今、この家でいちばん浮いてる存在……本人もどこか部外者って感じてるのかもしれない)
必ずしも相手のことを深く知る必要はない、仲良くならなくても、最低限のコミュニケーションがとれていれば共同生活に支障はないだろう――
しかし、
(なんかこう、うまく言えないけど……)
この子のために、何かしたい、と――
(ゲームでもしてみる? とか、声をかけてみる……)
まずは隣に座るところから――でも、ころころチャンネルを変えてはいるが、観たい番組があって、それを待っているのだとしたら? 逆に、隣に座ることで、貴緒の方に観たい番組があると思われてしまったら、さとりちゃんはチャンネルを変えられなくなるのでは?
というか――人に話しかけるのって、どうすればいいんだっけ?
共通の話題とか? 同じドラマを観ているようだし……しかしそれが今放送してるならともかく、何もないのに突然ドラマの話題を持ち出すのは不自然だ。
お人形の力を借りるのはどうだろう? ドラマなんかでも、心を開かない子どもに声をかけるシーンでたまに見る。人形が話しているという体で――いや、勝手にさとりちゃんの人形を使うのは反感を買いそうだ。逆に、買ってきてそれをプレゼントというのは――生憎と今すぐに用意できるものではない――
『お前は意識しすぎなんだ――まあ、ラブコメしてるならそれも仕方ないが』
立希の言葉が蘇る。そのせいでよけいに意識してしまう。
……考えすぎ、なのかもしれない。こちらと違ってむこうはごく自然体で、案外何も考えていなくて、それこそラブコメの主人公みたいに自分が一人で悶々としているだけで――
そうやってダイニングの方でそわそわしている貴緒に構わず、さとりちゃんはテレビを眺めている。裾の長いシャツにスカートという部屋着姿。見た目だけとれば、ごく普通の小学生女児だ。
相手はただの小学生、幼女なのに――俺はラブコメしてるのか?
同じ小学生でも、あの二人相手には大して緊張もしなかった。話し方、言葉遣いには気を遣いはしたが、ここまで「どう話しかけていいか分からない」状態にはならなかった。その違いはなんだろう――
(……まあ、あの二人とは出会い方が特殊だったからな――それだけとれば、さとりちゃんとのファーストコンタクトも特殊ではあるが)
そうか、と気づく。
(あの時のやらかし……いきなりトイレのドアを開けたうえに、出会い頭に叫んじゃったりして。最悪の初対面だ。なのに、なんだかんだで俺はあの時のことをまだ謝ってもない――その後ろめたさが原因なのでは?)
……しかし、今さら謝って蒸し返すのもどうなのだろう。というか、どう切り出せばいい。急に謝っても意味が分からないだろうし――
(ああああああ……)
うだうだと悩み続けるばかりで、いっこうに行動に移せない。孝広たちが出て行ってから、もうどれだけの時間を無駄にした?
もういっそ、このまま時が過ぎるに任せようか。こちらから何かしなくても――
(…………)
思い出す。黒歴史とか、赤っ恥とかを。そういえばさとりちゃんたちがやってきて、今日で一週間だな、とか。走馬灯のように、この一週間を振り返る。
(あっちはベッドに入ってきたり、お風呂に入ってきたり……)
いろいろと、アプローチというかアクションというか、距離を縮めようとするかのような――少なくとも、そのように思える動きをしている。
またそういう機会が訪れるのを待って……、いやいや、年下の女の子に、小学生女児に、そうした気遣いをさせるなんて――
そうだ、あれは気遣い、配慮、自己犠牲――イケニエ。あれは、そうした類のものなのだ。
保護者である
自分の
あれからいろいろあったせいもあるが、一昨日みのりちゃんから告げられたことについて、深く考える時間がなかった。いや、考えることを避け、ちょうど良い結論に逃げていた。全部『黒幕』のせいだ、と。
実際『黒幕』こと『
(イケニエ……俺は怪物……)
それこそ一昨日、車に轢かれかけたとはいえ、貴緒がみのりちゃんを捕まえた時のあの反応――小学生女児にとって、赤の他人である高校生男子は化け物も同然なのだ。得体のしれない怪物なのだ。何をするか、何をされるかわからない。だから、イケニエを捧げて機嫌をとる。
(……俺はさとりちゃんと一度もまともに口をきいてない訳で……つまり、さとりちゃんの気持ちも何も、分からない)
だから会話しよう、俺は怪物じゃないと誤解を解き、距離を縮めたいと思う訳だが、それがなかなかうまくいかない訳で。『小学生女児と仲良くなる会話術』とかスマホで検索してみようかとも思って、そんな自分がなんだか不審者に思えてきてうんざりして。
(ああああああ……)
頭を抱え、天を仰いだ。
そこで天啓がもたらされる。
(……そういえば、美聡さん)
キッチンの上の方の棚に目がいった。
貴緒に良いところを見せようとしてお菓子作りに挑戦し、肝心の調理とは違うところで失敗したという美聡の話。風邪で学校を休んだ時、孝広から聞かされたやつだ。それを思い出した。
(今日の配信って、3Dお披露目なんだよな。よく分からんけど、歌ったり踊ったりするはず。……ぎっくり腰、どうなったんだろ。というか)
お菓子である。
(お菓子をつくって、それをきっかけにコミュニケーションを図る……。すぐに会話には繋がらないかもしれないけど、何もしないよりはマシだ)
時間が解決することを祈るかたちにはなるが、これが大胆過ぎずもっとも不自然でない、今考え得る最善のスキンシップなのではないか。買ってくるのもありだが、手づくりには「にんげんの味」がある。
(……お菓子をエサに幼女に近付く不審者っぽさはあるけど、家庭内なので許容範囲。むしろ微笑ましくもある光景……!)
貴緒は静かに腰を上げた。冷蔵庫の中身はどうだったか。何をつくろう。必要なものはなんだろう。さっきまでの憂鬱な思考は吹き飛び、表情は自然と希望に満ちたものになっていた。今にも家を飛び出しそうな勢いだった。
そんな時である。
ちょうど一週間前の今頃のように、玄関の呼び鈴が鳴ったのだ。
「お泊まりよ!」
「……お止まりよ?」
――突然の訪問者が、貴緒に制止をかけた。
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