7 もうひとつの物語と重大発表(なお想定外
その間ずっと立ち尽くしてた
ふう、と一息つく。今度こそ、落ち着いたようだった。
「ミュートにしたはずが、マイクに声がのっていたようです。そこまで良いマイクではないので、大声でもない限り聞こえてなかったとは思います」
事務的に、目を伏せたまま報告する。
「……まあ、私の実名がバレたところで、どうってことはないです。ミサトとヒサトだし、聞き間違えたと思われるでしょう。特にこだわりもないので、ぜんぜんおっけーです、はい」
「あ、あの……美聡さん?」
「…………」
テーブルに肘をついて、頭を抱えている。
「配信に関しては、あとで枠を取り直して、どうにかするとして。ええ、うん、まあ家族が来たと、そういうハプニングだと、説明するとして。あとは……なんだ? 何かあったっけ……」
うわ言のようだった。悪夢にうなされているかのようだった。
「そうだ……」
きょろきょろと辺りを見回してから、その目が恐る恐るといった感じに、ようやく貴緒に向けられる。
「……まさかとは思うけど、さとりちゃんは……?」
「いませんが」
答えると、ほっとため息。その様子を見て、貴緒も恐る恐る、
「あの……さとりちゃんも、美聡さんの仕事を知らない?」
「いや……それはまあ、知ってるけど――そう、ね。ここはあれよね、犯人が自白するフェーズ。生い立ちとか語って、反応の動機を詳らかにする……」
別に自分語りをしてもらおうというつもりはなかったのだが、元はといえば美聡のことを何も知らないから始まったことである。
「遡ること××年前……」
当時、美聡は上京して会社勤めをしていたという――その傍ら、半ば趣味としてイラストの仕事に携わっていた。
「イラストと漫画を本格的に仕事にしようと思ったのは、公募に出した読切の掲載が決まったことがきっかけだった……。そこからとんとん拍子に連載の話が来たのである」
「…………」
そういうナレーション口調で語ることが少しでも美聡の精神的負担を和らげるというなら、何も言うまい。
「時同じくして、私の姉の
つまり、さとりちゃんは私の実の娘ではないのです、と――美聡としては一つの重要な告白のつもりだったのだろうが、それは既に知っている。そのためまるで動揺がないことに美聡は怪訝そうにしていたが、説明するとややこしくなって話の腰を折りそうだったので、黙って先を促した。
「私は心機一転、この街に引っ越してきました。当時の私はこの部屋に住んでいて、時折さとりちゃんのいるアパートに通う……姉が入院してからは、ほとんどあちらで寝泊まりをしつつ、漫画家としてのキャリアをスタートさせました」
「大変だったんですね……」
とりあえず、相槌を打っておく。美聡がリアクションでも欲しそうな間をおいていたのである。
「うちは両親が早くに亡くなったから、私は年の離れた姉に育てられたといっても過言でなく……だから姉の頼みを聞くのは恩返しみたいなもの。それと前後して仕事も忙しくなってきたけど、アシさんとかを頼んでなんとかしていたわけ――本当に大変だったのは、姉が亡くなってから。私はさとりちゃんを引き取って、あのアパートで一緒に暮らすことになった――」
ある意味これまでは好き勝手、自由に生きていた人間が、ある日突然、一児を預かる身となったのだ。その苦労は想像するに余りある。
「最初のころは、まあ……いろいろあったけど――」
美聡は言葉を濁したが、貴緒はそれを断片的に知っている。
――さとりちゃんは前に家出したことがあって、警察のお世話になってるから。
「ご近所さんとかの助けもあって、なんとかなって――」
……ご近所さん、か。
「その頃ね、ある出会いがあったのです」
「……つまり……」
「そう、
「……アベノ先生といえば、イズミヒサト……先生が、その著作のイラストをやってる。その関係で『ロロロリ』のノベライズも書いてた」
「へえ……」
「孝広さんはそのどっちものデザインとかに携わってたわけです」
出会いのきっかけとは意外なところにあるもので、孝広は自宅にいながら美聡との接点を持っていたようだった。貴緒がリビングで一人ドラマを観ている頃、孝広は自室でゲームを通して美聡と交流していたのだという。
「まあ、交際に至った一番の理由はといえば、同じ街に住んでるって分かってからね――姉が繋いでくれた良縁だと思ったの」
「…………」
「で、問題はここから――あの、にっくき台風が来た」
「あぁ……」
「アパートに住めなくなって、ホテルとか、この仕事場とか転々としててね。ただ、ここは人の出入りもあるし、ね……。さとりちゃんの目には毒っていうか、教育上よろしくないものもごろごろあるし――どこか住めるところを探さなきゃってなってた時に――」
ちょうど、
「けど、どうせならって――いっしょに住まないかと、誘われたわけね。もうこれは実質プロポーズだなと……」
「お、おう……そうっすね……?」
不意打ち気味に父親のプロポーズ話を聞かされて、若干戸惑う。
「その後は、ご存知の通り。引っ越しのごたごたでいろいろ締め切りも大変だったけど、それも今日なんとか片付いて――今日は心置きなく……いやまあ、いろいろ今後の予定はあったんだけど、久々にゲームでもして楽しもうと……」
時系列が現在の話になり、さっきまでのトラブルを脳内追体験したのだろう。美聡が遠い目になる。
「……なんか、すみません……」
「ところで重大発表て? アニメ化ですか」
と、うなだれる貴緒の横で待ってましたとばかりに立希が口を開く。肘で小突くが気にも留めない。
「アニメ化? ……あぁ、それは別件なのよ。アベノセンセのラノベがアニメ化するの。私も挿絵担当してるから多少は忙しくなるけど――今日する予定の発表は別件で……どうしてくれようか、ほんと」
はあ、と大きなため息をこぼす。
それを見て立希も我に返ったのか、黙り込んで目を伏せる――視線の先には、スマホがあった。こいつ何してんだ、と貴緒が再度小突こうとすると、
「まあ、それほど炎上はしてない……ですよ」
使い慣れてない感のすごい敬語だった。何かと思えば、テーブルの上に置かれたスマホの画面には、SNSのトレンドが表示されている。
「土曜五時のアニメの時間で」
「マジかぁ――良かったぁ。あんまり大げさにしたくなかったからこの時間を選んだんだけど、関係者には悪いかなぁと思いつつ――命拾いしたわぁ……。日曜五時ならより確実にもみ消せてたけど、贅沢は言うまい……」
貴緒にはいまいち実感がなかったが、先ほどの配信はある意味で全世界的に公開されていたのだ。それも、チャンネル登録者数・SNSフォロワー数ともに数十万を超える人気作家・配信者の起こした放送事故である。ネット上には様々な反応が生じ、その成り行きによっては最悪、イズミヒサトのキャリアに大きな傷がつくかもしれない事態だったのである。
「……まあ、元々イズミ先生はアイドル的な売り方をしてた訳でもないし、他の配信者に比べればガチ恋勢もそれほどいないと……」
「それはそれで、なんだかあれだけれども」
「それに、この検索候補」
イズミヒサト_男
「……これは何かな? 私が男だと思われていたということなのか、それとも私に男がいたということなのか……」
自分で言っていて何か思い出したのか、美聡の顔が紅潮する。身を竦める。
「と、とにかく、それほど大事にはなっていない訳ね。一安心だわ……。あとは、さっきの件をきちんと説明して――その流れで言うのもあれだけど、スケジュール的にも発表しなくちゃいけないか……」
「別に、izmnが何かやらかした訳じゃないので、発表しても不謹慎とかにはならないのでは?」
「それもそうね、この問題はイズミヒサトのもの……izmn関係ないもん」
人格が二つかそれ以上あるのではないかという変わり身の早さである。声色も違った。
「でも、それはそれとして――」
と、美聡は貴緒と立希の顔を交互に見て、言ったのだった。
――本番数分前、貴緒はトイレを借りることにした。
この部屋のトイレはドアを開けると照明が自動で点くようで、ドアの上部にあるすりガラスの小窓からその光が確認できる。人の有無がわかりやすい。もしかすると、さとりちゃんとの初対面の大失敗にもこれが絡んでいるのかもしれないな、となんとなく思った。
用を済ませて、顔を洗って――美聡と立希の待つ配信部屋に戻る。
SNSで事前に告知したうえで、配信枠を取り直しての――説明配信である。
貴緒と立希は、美聡ことizmnに、「イズミヒサト先生の、交際相手の、息子とそのお友達」と紹介された。事実そのままだが、事情を知らない一般視聴者からすればすぐには理解できない複雑な立場の紹介となった。
……まず、イズミヒサトに交際相手、つまり彼氏がいるという告白が一つのスキャンダラスな発表である。それに加え、その彼氏には子どもがいる――というかそれ以前に、イズミヒサトが女性だったということもまた一部の視聴者には驚きだったようなので、全て合わさったその衝撃のほどは計り知れない。
「要するに、身内に身バレしました、的なやつ! です! ――ということでお二人、コメントをどうぞ」
「「先ほどは大変お騒がせしました」」
謝罪する。この声、配信にのってるんだ――と思うと、変に緊張してしまって、声がうわずってしまった。
「先ほどの配信は後半のどたばたを編集したうえで後日、アーカイブをあげる予定です。んでぇ……このタイミングで発表するのもどうかと思うのですが、ここでみなさんに一つ、いえ二つ、重大発表がございます」
えー、ごほん。咳ばらいをすると、声の感じが変わった。
「わたくし、イズミヒサト――結婚します! ……あと、izmnの3Dお披露目あります!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます