5 突撃!隣の生××




 そうして、貴緒たかお立希りつき美聡みさとのいるであろうマンションに戻ってきた。


 GPSの反応は動いていないという。やはりこのマンションに美聡はいるのだ――


「な、なあ、見ろよ、今度は謎の女性が部屋から出てきた――」


「じゃあやっぱり『仕事場』なんだろうよ。昼ドラみたいな展開にならなくて済みそうじゃんか――いい加減、トツったらどうだ?」


「仮に個人事業的なあれで、ほんとに『仕事場』だとしたら……業務中に入るのはほら、迷惑になるだろ――」


 などと言い訳しながら、もう何時間になるだろう。マンション近くの公園から美聡の部屋が遠目にだが確認できるため、貴緒はそこからしばらく様子見をすることにしたのだが――


「このまま美聡さんが出てくるまで待つつもりか? そして誰もいない部屋に空き巣みたいに忍び込む、と。そこにもし、まだ人がいたら大問題になるな。……まあ、私はもうどうでもいいよ。配信始まったし」


「む……」


 ベンチに座る立希はイヤホンを耳にしていて、既に始まった生配信をスマホで視聴中だ。


 ……正直な話、人の出入りを見ていると、やはりあそこは真っ当な『仕事場』で、美聡は何かしら人を雇うような仕事をしているのではないか――そう思うならもうお宅訪問なんてしなくてもいいのでは? などと、時間をおいて冷静になったためか、そんなことを考えて二の足を踏んでいる。


 そうやって貴緒が意味もなくその場で足踏みしていると、


「電話してみるとか」


 と、立希がスマホから視線を外さないまま、ぽつりと言った。


「お前のスマホに電話して、美聡さんが出る。そうやって聞こえてくる向こうの様子から情報を探る」


「それは名案だが、もっと早く出なかったのかよ」


「……今、凸待ちやってるから、それで」


 配信を観ていて思いついた、ということか。時折イヤホンから音が漏れていた。


「しかし残念ながら、お前に言われた通りマナーモードにしてるんだ……。通知の類も切ってるし。途中でスマホが気付かれないようにって……」


「……だから、今日は諦めて帰って、また出直す」


「でも、また今日みたいなチャンスがあるとも限らないしな……」


「『仕事場』の場所は分かってるんだから……」


「それまで、もやもやするのもな――」


「じゃあ行けよ」


「…………」


 まったくもってその通り。でなければ、美聡への嫌疑は晴れたものとして、今日は引き返すべきだ――


(あぁでもこのまま引き返したらなんかなぁ、ここまでやっといてっていうのもあるし。後ろめたさだけ残るっていうか、俺の方がなんかアレな感じだし――結局何も分からないままっていうのもなぁ、またあとでいろいろ考えちゃいそうだし――)


 今後の関係を考えるなら――ここで引き返した方が無難だろう。

 ただ、それではいつまでも腹を割って話すことが出来ないかもしれない――


「……よし。行くぞ」


「そっか、がんばれ」


「お前も来いよ。……スマホ探しにきたって体を貫くから、GPSで追ってきたってのが自然だろ。なんならそのスマホだけ持ってくが」


「……はあ」


 渋々といった感じに、立希が立ち上がる。相変わらずスマホから顔を上げない。時折口元が緩んでいるが、このまま歩きスマホで行くつもりらしい――いや、ベンチから腰を上げはしたが歩き出す気配がない。貴緒は仕方なく、立希の手を引いていくことにした。


(まあ、無理やり巻き込んでる訳だし……今度なんか改めてお礼しよう――)


 立希を引き連れ、貴緒はマンションに向かった。……歩きにくい。後ろめたさの表れなのかもしれない。


 郵便受けの表札で改めて部屋番号を確認し、階段を上る。


 心拍は高まるが、頭のなかは落ち着いていた。ある意味、頭のなかが真っ白になっているともいえる。


 四階はすぐだった。通路を進み、一番端の部屋――404号室に到着する。


「……よし。チャイム鳴らすぞ」


「ん」


「…………」


 わざわざ立希の返事を待って、備え付けのチャイムのボタンを押してみたのだが、なんだか反応がない。


「……チャイムって、中で音するよな」


「何を当たり前のことを」


「……壊れてるっぽい」


「ノックすれば」


 ボタンを押すのとノックをすることに大した違いはないのだが、なぜだろう、後者は少し勇気が要った。チャイムを鳴らそうとして空振ったせいもあるかもしれない。


 恐る恐る、拳をドアに打ち付ける。


「聞こえんだろ、それじゃ」


「……留守かもしれない」


「じゃあ帰れば」


「……お前さ、ドア開けられるよな?」


「は?」


 立希が顔を上げる。


「ほら、昔、ピッキングだっけ? やってたじゃん。部屋のドアで」


「あー……黒歴史」


 一瞬だけ呆けたような顔をしたあと、立希はふと何か思いついたというように、


「そういえば、マンションの部屋の鍵がうちにあるんだよ」


「は……?」


 今度は貴緒がきょとんとする番だった。


「合鍵。部屋出るときに返し忘れたっぽい。ずっと言おう言おうと思ってたんだ。今度……月曜に渡すから、お前、管理人さんに返しといて」


「なんで俺が……。いや、まあ、いいけど――ところでピッキング、」


「どうして最初から空き巣みたいな真似する気まんまんなんだよ」


 そう言うと、立希はためらいなくドアノブを掴んだ。


「……開いてるぞ」


「お、おお……。これはもう、入って中を確かめてこいっていう天の思し召しかもしれないな……」


「お前さ、最初からそうするつもりだったんだろ……」


「……ノックしても反応なかったから、とりあえずドアを開けてみた、というのはごく自然な流れだよな? ドラマでもよくある……」


「その流れだと死体が発見されるだろ」


「そういうことも、あるかもしれないし……。落としたスマホを悪用されてるかもしれないから、強行突入した……ということで、どうだ? いけそう?」


「まあ、中にいるのは美聡さんなんだから、問題にはならないだろ。最悪、お前がこの先ずっと気まずい思いをするだけだし」


「……それが一番つらいところなんだけど――とりあえず、電話もかけてみた、という既成事実をつくっておいてくれ」


「それはもうやった」


「準備がいいな――なら、よし」


 落としたスマホを取り返しに来た、という言い訳が成り立つかは怪しいが――ノブを握ったままの立希に頷いてみせる。


 ノブが回る――ドアが開く。


「…………」


 奥行きの狭い玄関――少し前まで最低でも三人の人間がいたはずだが、今はそこに一人分の靴があるのみだ。横に靴箱があるため、幅も人ひとりがなんとか通れるといった広さしかない。


 廊下の向こうは照明があって明るいが、ひと気はなかった。そのぶんこちら側が薄暗く感じる。入って右手側に『WC』と札のかかったドアがあり、その隣が収納だろうか。左手側は浴室らしい。


(この感じだと、奥がダイニングキッチンに、ベランダ。他に人がいそうなのは……)


 奥の右手側、襖があるようだ。和室でもあるのかもしれない。


 とりあえず、「誰かいませんか」と声をかける。返事はないが、耳を澄ませてみると、奥の方から人の話し声が聞こえる。襖ごしのせいかくぐもっていて、美聡かどうかは判らない。


(電話中か……?)


 それにしては、なんだか――


「……チャイムも押したし、ノックもした。声もかけた」


 ……しかし、やはり最後の一線が越えられない。玄関で立ち往生したまま、あっちから出てきてくれないかと淡い期待。それに今ならまだ、引き返せる――


 その時だった。


「ぎゃぁああああああああああ!?」


 ――!?


 部屋の奥から、叫び声が聞こえた。


 まさか、と貴緒の脳裏を駆け巡る様々な可能性――


(警察……フラグ……刺される……! 昼ドラ、浮気、恨み、修羅場……事件!)


 全身に電流が走ったように、貴緒は部屋の中に駆け込んだ。靴を脱ぐという当たり前さえ抜け去っていた。廊下を突き進み、そして右手側にある襖を思いっきり開いた。


「美聡さん……!?」


 そこは案の定、和室だった。

 ただ、そう広くない空間に畳が敷かれているのだが、その上にはテーブルであったり収納ラックであったりといろいろ置かれていて、とてもじゃないが〝和室〟のイメージからはかけ離れた、近代的な雰囲気を醸している。


 入って正面には背の低いテーブルがあり、その上には大きなモニターが数台、それらから伸びたコードがPCらしき筐体と繋がっている。他にもいろいろな機材と接続されているようだ。

 部屋の壁際には本棚や収納ラックがあり、専門書のようなものが山ほど詰め込まれている。漫画や小説もちらほらあって、フィギュアだったりぬいぐるみだったり、見覚えのあるドールなどが飾られている――


 ……まるで、現代的な若者の私室のようである。


 立希の部屋がこんな感じだな、と現実逃避気味に貴緒は思った。


 さて、その部屋の主はといえば、背の低いテーブルの前、つまり複数のモニターに囲まれるような格好で、部屋の真ん中に座っていた。椅子ではなく、座布団の上にあぐらをかいていた。頭にはヘッドホンをしている。


 もしかしたら、聞こえなかったのかもしれないな、と――貴緒がゆっくりと後ずさるのと前後するように、部屋の主もまたゆっくりと、首を後ろに巡らせようとしていた。


 畳の縁を越えて貴緒が洋式の床の上に移動したとき、ようやく部屋の主――美聡と目が合った。


「なんか、すみません……」


 おじゃましました、と貴緒は音もなく、しかし素早く襖を閉めた。


 …………。


 まるで思い出したかのように、心臓が激しく脈動する。呼吸が苦しくなり始めた。


「あぁ、これは、あれだ。やっちまった。恥ずかしいやつ」


「…………」


 いつの間にか、立希も部屋にあがってきていた。靴はきちんと脱いでいる。


「たぶん、ゲームか何かしてたんだ。通話中だったんだ。そうとは知らずに声かけちゃった訳ですよ。うわぁ、恥ずかしいわ俺……事件とか、ミスリード」


「…………」


「前も似たようなことやらかしたわ。親父が電話してるとは知らず、俺に話しかけてるものと思って返事してたんだよ。でも今回はあれだ、相手の人にも俺の声聞かれたわな……うわぁ」


 貴緒は自分のやらかしをはっきりと自覚していた。一目でそうだと分かったし、それは実際、的を射ていた。しかし、貴緒の現状認識はまだまだ甘かったのである。


「いや……、」


 立希が珍しく言葉を濁していた。スマホもそっちのけで、片耳のイヤホンが外れているのにも構わず、何か物言いたげな顔で、けれど喉が干上がって声が出ないといった感じに口をぱくぱくさせている。


「っ」


 かと思えば、貴緒の腕を掴んで引き寄せると、目の前にスマホの画面を押しつけた。


 そこには、立希がさっきまで熱心に眺めていた配信画面。中性的なキャラクターの姿があって、中央にはゲームらしき画面。その横には『来てくれた人』と書かれた一覧と、もう一方にはコメント欄。ものすごい勢いで流れている。


 タイトルは、『チャンネル登録者70万人記念凸待ち(重大発表あり)』――


「?」


 これがどうした? と貴緒は、まるで今にも泣き出しそうなほど感情溢れる顔をした立希に「どうどう」となだめるためのジェスチャーをしながら、距離を置く。スマホを持った手でそのまま殴ってきそうな勢いがあった。


「いいか、お前は今、人生最大の失敗を犯した。これから、その現実を告知する」


 絞り出したように発せられた立希の声は、とても淡々としていた。その表情と違って実に無感情で、そのアンバランスさがなんだか不気味だった。


「よく聞け。美聡さんは、イズミヒサトだ」


「……は?」



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