4 カワイイとかいうクライシス
「さとりちゃんがカワイイ生き物なのは、お前も認めるな?」
「その表現がちょっと引っかかるが、概ね同意だ」
冷めつつあるポテトをつまみながら、
「お前はこれまで青春から離れた生活をしていた。女子とも積極的にかかわろうとはしていなかった。だからお前はこれまで、恋愛だとかそういうものとは縁遠かった」
「……素直に頷くのに若干の抵抗はあるが……」
「そんなお前の前に、現れた訳だ。カワイイ幼女と、天然系のエロさを滲ませる年上の成人女性が」
「……お前さ、ひとの父親の交際相手のことそんな風に思ってたん?」
「そういう二人と、いきなり一緒に暮らすことになれば――性的なストレスが溜まっても仕方ない」
「……何その言葉、一般用語なの? 名上さんも言ってたぞ」
「いちいち茶々を入れるな」
怒られ、
「お前、今言ってたな。父親の交際相手って。
……時々むせそうになる。
「お前がさとりちゃん相手に変な気分になるんなら、それはそういうことだと私は考える。まさに倒錯だな。これはもう、仕方ないと言えるだろう。お前に責任はない。だから自分を責めるな」
なんだろう、こいつどういう気持ちで俺を諭してるんだろう、と思いつつ、真面目にこちらの相談に応えようとしているつもりがあることは実感した。
「加えて言えば、お前の中で錆びついて眠っていた、カワイイものに対する感受性、センサーが、初めて覚える〝カワイイ〟に驚いてるというのもあるんだろう。漫画やアニメといった二次元に関しては、私やおじさんの仕事の影響もあって、お前は見慣れてる。ごく自然なものに感じてる」
確かに、
立希がいろいろと観たり読んだりしているものに関しても、「立希が好きそうだな」とは思っても、それ以上はない。どこか客観的で、フィルターのようなものを挟んで物を見ているような感覚だ。
「でも、三次元はそうじゃない。そりゃドラマなんかをよく観てるのは知ってる。美人な女優とかアイドル、それこそベッドシーンに何かしら感じはするだろうが、それらはしょせんフィクションだ。テレビの向こう側の話だ。だけど、さとりちゃんはそうじゃない。リアルな、身近にいるカワイイ存在だ」
「…………」
「しかも、あれは特殊だ。意味は違うが、2.5次元の存在と言っても過言じゃない。そういうカワイイがある。傍目に見るぶんには普通の可愛らしい小学生だが、身近にいて、生活を共にし、その生態を知ることで見えてくるものがある」
……そうだ。最初は、初対面の印象があれで、不気味な子としか思えなかった。しかし――
「お前にとって、初めて心の底からカワイイと感じたもの――それが、さとりちゃんだったんだ」
「――――」
おめでとう、とでも言わんばかりの視線を送られた。もぐもぐしていて反論は出来なかった。
「初めてだから、どう受け止めていいか分からないんだ。だからよけいに、変な気分になる。性的なストレスと混同して、自分はロリコンなんじゃないかと錯覚してしまったんだ」
「…………」
そう言われてみると、なんだかそんな気もしてくる。騙されやすい性格なのかもしれないと、ちょっと自分のことが心配になってくるが――そうあってほしい、と信じたい気持ちがあるのかもしれなかった。
半分ほど食べたハンバーガーを、いったんテーブルに置く。
「じゃあ――つまり俺は、ロリコンではない?」
「世間一般で言うそれではないだろう。仮に他の小学生を見て何か思うところがあるとしても――たとえば、
「…………」
「実際、お前はもう一冊の漫画にだって興味を示したし、年上の成人女性をエロいと感じるんだから、ロリコンではない」
「……ううむ……」
それらを素直に認めるのはやはり抵抗があったが――
「今だって、まだなんの証拠もないのに、美聡さんがそういう仕事してると決めつけてかかってるだろ。お前の頭はもうまっぴんくなんだよ」
「……まっぴんく……。それはそれで別の問題がないか?」
「ともかく、大丈夫だ。小さい子にしか欲情できないっていうなら問題ありだが、そうじゃないんだから」
「……お前さ、今どういう心境なの……?」
「保健体育の授業を受けてる気分だ。そういうつもりで話してる。お前もそういうつもりで聞け」
「……さー、いえっさー」
「ふざけてんのか?」
「……大真面目です、はい」
ずずず、と、溶けた氷をストローで吸いとる。頭が冷えた。
「とにかく、だ。まとめに入ろう。お前はロリコンじゃなく、特殊な家庭環境となったせいでそう錯覚してるだけなんだ。……これはもう、慣れるしかないことだ」
「……彼女とかつくればいいって話か?」
「自分で発散できるなら、それに越したことはない」
「…………」
……これは保健体育……。
「ロリコンかどうかを確認するために、私の胸を触らせてやってもいいが、」
「ぶっ、」
「私相手ではお前も興奮しないだろうから、今度うちの姉貴に頼んでみるか」
「いやいやいや」
「冗談だ」
「そっちこそ真面目にやってもらえます?」
どこまで本気か分からないから対応に困る。体温を下げるため、氷を口に含むことにした。
「お前はまず、愛情表現を覚えるべきだ」
「……愛情、表現?」
「可愛がりだ」
「……その口調で言われると、いじめを彷彿とさせるんだが?」
「カワイイ子を前にすればいじめたくもなるだろうが――要するに、さとりちゃんとコミュニケーションをとるんだ。……あの子と話すのが難しいのは、私にも分かる。だから、ボディタッチだ」
「……アウトじゃんか」
「ほら見ろ、そうやってすぐエロいことを連想する。お前に性的なストレスが溜まってる証拠だ」
「……ぐぬぬ」
「ボディタッチっていうのはつまり、頭を撫でたり、抱きしめたり……そうやって、カワイイに対するストレスを発散するんだ。世間一般ではこういう事態に対し、『推しに貢ぐ』という対処法をとる。グッズを買い集めたりな」
「聞いたことある、推しに貢ぐ……課金か」
「他にも、SNSで周囲がドン引くような感想だとか考察だとかお気持ちを述べたり、自分がどれだけ〝推し〟を愛しているかを様々なかたちで表現したりする。祭壇だとか痛車だとか、いろんなコンテンツで推しへの愛を表現する訳だな。そういう意味では、お前にはすでにその兆候があった。大量のお菓子を買い込んだりしただろう」
「おお……なるほど。言われてみれば……俺はすでに課金していたのか」
「そうだ。話は戻るが、もっとも簡単で分かりやすいのは、ハグとかキスとか、欧米式スキンシップだ。そうすれば、さとりちゃんとの関係も良い方向に行くだろう。最初は気味悪がられるかもしれないが、やりすぎなければいずれはお前の気持ちも伝わる」
もっとも初歩的だが、しかし理に適っている――
「それにな、相手は〝つるペタ〟だ」
「……お前さ、このまえ俺に言ったよね? その言葉そっくりそのまま返そうか?」
「お前みたいに大声は出してない。ちゃんとお前にだけ聞こえる声量で、周囲に神経研ぎ澄ませつつ話してる」
「……そう、っすね」
「とにかく――お前が仮にロリコンだったとしても、だ。相手は小学生、胸も背中も変わらない。なんだったら、胸なんてしょせんは手のひらの延長線上にあるものだ。同じ肌なんだから、手を握ればそれはもう胸に触れてるのと同義といっても過言でない」
「過言に過ぎると思うが?」
「そういうつもりで、頭を撫でたりすればいい、という話だ」
「……なんかさ、それはそれで、こう……変態的っていうか……」
「もうどうしようもないって時は、変態になれ。置換するんだ、頭のなかで」
「……痴漢……?」
「傍からすればなんでもないスキンシップの中に、ストレスの発散先を見つけろ。お前が頭のなかで何を考えていようと、顔とか口に出さなければそれは誰にもバレないんだから」
「…………」
しかしそれを立希は知っている訳で、今後貴緒がさとりちゃんに接しているのを見たとき、この幼馴染みはそういう風に捉えている、ということにならないか。
「赤の他人の小学生にそんなことしたら犯罪だが、これは家庭内の問題なんだから」
「でも……うーん……」
「後ろめたさがあるのなら、それはお前がそれだけ、さとりちゃんのことを大切にしたいって気持ちがあるという証拠だ。……当たって砕けろとは言わないが、とにかく一度、抱きしめてみればいい。……それでコワがられたり、気持ち悪がられて避けられても、責任はとれんが」
「おい」
「とにかく、これが私が今出せる解決策、対処法だ」
ジュースに口をつけて、一呼吸置いてから、
「あとは……美聡さんの件だが、これはお前が納得するまで行動する他にないんじゃないか。こっちはもう、当たって砕けろ。そうやって行動することでストレスも発散できるし、痛い目に遭えば自分を戒める効果もある。負い目、黒歴史をつくるんだ」
「……
「お巡りさんのお世話になったことで、お前が多少なりとも自分を抑えることが出来るようになったんなら……積極的に交番の周りをうろちょろして、顔を覚えてもらうとかしたらどうだ?」
「不審者感ハンパないな……」
「それにしても、警官のコスプレしてたのか、その人。おまけに、手錠に繋がれるとか……私の知らないところでとんでもない非日常を体験してたんだな、お前。ちょっとした大人の階段じゃん」
「嫌な成長だなそれは……」
「話変わるが、私は昔、ゴスロリな服を着た人を街中で見かけて、軽い衝撃を受けた。コスプレとか、写真は見たことあるし、都会には普通にそういう店とかあるのは知っていたが、まさか地元で出くわすとは思わなかったからだ」
「……そういえばそんな話を聞いたな、昔。俺にはお前の興奮が理解できなかったが……」
「自分で着ようとは思わなかったが、ネットでいろいろ調べたな。……今のお前と同じで、どう受け止めていいか分からなかったんだろう。キャストドールとか、イズミヒサトのイラストを知ったのもそれがきっかけだった。だからお前も、情熱の赴くままに一度突き進んでみるのもありかもしれないな」
すごいアクロバティックな話の繋ぎ方だが、実体験を交えられると納得の度合いも増すというものだ。
「それが若さっていうものだ。――……自分で言っていてあれだが、私は人生周回してるみたいだな」
「ほんと何様って感じだよ。でも――」
相談してみるものだ。客観的に分析されるのは変な気分だが、自分では思いもしなかった自分の一面を知ることが出来た……のかもしれない。
「……ありがとな、立希」
「気持ち悪いな」
「こいつ……」
ともあれ、だ。持つべきものは幼馴染みだと実感したところで、これからどうすべきか、改めて話し合う必要がある。
「私は帰りたいんだが?」
「ここまで来たら責任もって最後まで付き合えよ」
「最後までって、何するつもりだよ。当たって砕けろとは言ったけどな……今日はこれで引き返して、帰ってきた美聡さんと腹割って話すのがいちばん無難だと思うが?」
それがいちばん難しい訳だが、と言いたげに視線を逸らして、ポテトをつまむ立希である。
「家で話しても、本当のことを言ってくれるとは限らないだろ。……現行犯逮捕だ。決定的な証拠を押さえたい」
「……で、浮気だったり風俗だったりした場合は?」
「……その時は、その時だ」
「思考放棄するのはやめろよ、自爆に私を巻き込むんじゃない」
「一人で行ったら何しでかすか分からないから、ついてきてください」
「……はあ――私はお前の保護者か?」
などと言いつつ、立希はついてきてくれるのだろう。
であれば――お昼をとり次第、マンションに突撃だ。
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