3 汝はろりこんなりや?
時刻は正午を少し過ぎたところだった。
冷静になるためにも、ここらでお昼でも食べよう、と――
「……部屋を借りて、そこでお客さんと……そういうことしてるかもしれないって訳だよ。そういう、仕事なのかも」
「それよりはまだ、さっきの男と浮気してるって考える方が自然じゃないか?」
「……言うなよ、そういうこと」
「枕営業の方がマシってか? ……枕営業じゃないか。……風俗?」
「…………」
頭を抱えたくなる。いずれにしても、美聡がいるかもしれない部屋に、謎の男性が入っていったのは確かなのだ。これは無視できる話じゃない。
「裏側に回ればベランダがあるだろ。向かいのビルなんかの外付けの非常階段から屋上に上がって、そこから部屋の中を覗けるか試してみるか?」
「お前なんかノリノリだな、おい……」
「うじうじ悩むくらいなら、そうでもして事実確認すべきだろ。……というか、こういう事態も想定してたんじゃないのかよ」
「……想定はしていても、対処できるとは言ってない」
はあ、と大きなため息をついた。目の前にはLサイズのポテトが広げられていて、ハンバーガーの包みもあるが、貴緒はジュースを飲むばかりでそれらに手を付ける気分にはなれなかった。
立希はフォークをサラダにぐさぐさ刺しながら、
「別に、さっきの人がお前の言う〝お客さん〟とは限らないだろ。仕事仲間かもしれないじゃん」
「まあ……」
「でも確かに、おじさんとの出会いのきっかけがそういうことだっていうのも、ないとも言い切れないな。それならおじさんも美聡さんの仕事を認知してる訳で、口止めされてるって話も分かる」
「……上げて落とすのやめない? 情緒おかしくなる」
「まあ、家族でドラマ観てる時にベッドシーンなるとチャンネル変えたり、倍速再生しだしたりするのと同じ心境で、別に口止めも何もされてなくて、ただ気まずかっただけかもしれんが」
「それはそれで変にリアリティあって嫌だなぁ……!」
「なんにしても、だ」
ぐさりと、層にしたサラダにフォークを突き刺して、
「美聡さんがどういう仕事をしてたとしても、お前には関係ないだろ。おじさんも分かったうえなら、こっちが口を挟むようなことじゃない」
「それは、そうだけども」
「部屋が他にあるなら、家に客を連れてくることもないだろうし。……変なトラブルにならないとも限らないが、そういうことはどんな仕事でも起こりうることだ。なんなら、結婚を機に引退とかするかもしれないだろ」
「…………」
「まあ、あれか……さとりちゃんの父親が不明っていうのも、そういう仕事をしてるなら納得できるところだな」
「……あ、それは大丈夫。善意の……中立な立場の第三者から、さとりちゃんと美聡さんの関係は聞いてる。叔母なんだってさ」
「ふうん――そういう情報提供者まで見つけ出したのか。お前もう探偵目指せば?」
ずずずーっと、ストローが音を立てる。もはや氷だけしか残っていない。
「他に何か問題があるか? 美聡さんの仕事がなんにしても、お前には直接関係ない。美聡さんとさとりちゃんとのコミュニケーションも、まあおいおいやっていけばいいだろ。……昨日も言ったけど、再婚には賛成なんだろ。だったら――」
「……ちょっと、分からなくなってきた」
「最近のお前はほんとに情緒めちゃくちゃだな。……まあ、お昼代ぶんの話は聞いてやらないでもないが」
「……似たようなセリフを昨日も聞いたな……」
「私としてはさっさと解決して、家に帰って落ち着いて配信観たい」
「ゲンキンなヤツめ……」
どういう理由にせよ、聞いてくれるというなら相談してみるのもいいかもしれない。口にすることでさっぱりすることもあるだろう。これまで立希には断片的にしか話していなかったが、ちゃんと説明すれば自分の中でも整理をつけられるかもしれないし、貴緒がこれだけ美聡の調査にこだわる理由も理解してもらえるだろう。
「昨日の、パンツの件あっただろ」
「ん……? あれは、犯人見つかっただろ」
「実は、あれには黒幕がいたんだ」
「は……?」
「とりあえず、聞いてくれ。順を追って説明する」
はじめに――校門前で「小学校に不審者が出た」という話を聞き、さとりちゃんを心配してそのあとを追いかけたこと。その結果としてお巡りさんのお世話になったが、そのお巡りさんはニセモノで、実は貴緒をハメるための陰謀だったということ。
「……お前がさとりちゃんの友達だっていう小学生を探してたのは、そういうことか」
「そういうことなんだよ。どういうつもりかは知らないけど、俺に対して悪意を向ける第三者がいる。『ゆかり』って名前の中学生だ。で、その子は間違いなく、結婚の件に絡んでる。あわよくば俺をロリコン扱いとかして、結婚を阻止しようとしてるんだ……。あの、人形に入ってたカメラの件、あれも『黒幕』の仕業じゃないかとも疑ってる」
「……中学生にそこまで出来るかは怪しいが――まあ、祝福してくれる人がいるならともかく、明らかに邪魔しようって人間がいるんなら……素直に賛成も出来ないか。二人が結婚してそれで終わりって話でもないだろうしな。最悪、離婚させようとしてお前が標的になるかもしれない訳だ」
「お前、言ってたじゃんか。ゴサイギョウとかなんとかって……。仮に美聡さんがなんか悪い仕事してたとして、それで『ゆかり』って子の父親とトラブルがあって、恨みを買っていた――だから、美聡さんが結婚して幸せになるのを許せなくて、こういうことをしてるんじゃないか、とか……」
いろいろと考えた末、とにかく美聡の一番の〝隠し事〟であるその仕事について調べようと――仕事については以前から気にはなっていたが、今日、ストーカー紛いの強硬策を決行したのはそういう事情からだった。
「……そもそも、やっぱり財産目当てだったりするんじゃないか、とか……。他に男がいて、うちの親父はカモに過ぎないとか……。なんなら、さとりちゃんを押し付けて、本命の男と夜逃げしたりとか――」
「まあ、美聡さんがどういう人間かっていうのはさておくとして――その『黒幕』とやらの正体も分かってるんだな。風評被害はあるだろうが、それもこれもいま私に話したみたいに、おじさんたちに説明すれば変な誤解をされて離婚に発展、なんてこともないだろ」
「……それが出来たら苦労はしないが……?」
「相手がなんて言おうが、しょせん冤罪だろ。お前がさとりちゃんに手を出さなければ、やがては普通に関係が築ける。『黒幕』の説得が出来なくても、普通に家族やってればいずれ諦めもつくんじゃないか」
「……それも、あるんだよ……」
「それってなんだよ」
「最近の俺にはもう一つ、悩みがあるんだ……」
「…………」
ポテトをつまんでいた立希の手が止まる。貴緒は氷を溶かそうとするようにストローで容器の中身をかき混ぜながら、
「……俺は自分がロリコンなんじゃないかと、悩んでいる訳ですよ」
「ふむ」
立希は頷くと、ポテトを口に運んだ。ケチャップはつけない派なのだった。
「……正直、このまま結婚ってことになって、本格的に一緒に暮らすことになったとして――それで俺は大丈夫なんだろうかと、思わなくもない訳だ。それならいっそ、なんかこう……美聡さんのスキャンダルを押さえて……」
「ロリコンっていうのはだな」
「……?」
「たとえば、ネコはカワイイ」
急に何を言い出すんだ、と思いつつ、黙って続きを促す。
「カワイイから、思わず手が出る訳だ。撫でたりする訳だ」
「……ネコっていうのは幼女の比喩か?」
「いや、そうじゃない。ロリコンっていうのは、ネコ相手に興奮する人間のことだ。少なくとも世間一般的には、そういう異常者だと認識されている。……お前はネコに興奮するのか?」
「……相手はヒトなんだけれども」
「だから、これはたとえだ。まあ、私の界隈から言わせてもらえば、」
「……お前の界隈とは?」
「ロリコンっていうのは単に小さい女の子、つまり幼女が好きな連中のことだ。取り立てて異常者って訳でもない。ネコはカワイイ、だから手を出す……というように、幼女がカワイイから、愛でる。なんやかんや言いつつも、一線は越えない人種のことだ」
「…………」
「さて、話を戻すが――お前の状況は、そのロリコン連中が夢にまで見るようなシチュエーションな訳だ。幼女な妹が出来て、好き放題できる」
「好き放題て」
「だが実際には、相手との関係とかで悩んだりして、一歩を踏み出せない――大事な一線は踏み越えないんだ。ああ、ラノベでありがちなやつだ。お前は今、やっぱりラブコメをしてる訳だ」
「……なあ、立希よ、お前は今どういうつもりで何を話してるのかな?」
「私なりにお前の相談に乗ってやってるつもりだ。……つまりな、お前はなんやかんやで肝心な一線は踏み越えない。仮にお前がロリコンだとしても、だ」
「それは……」
この幼馴染みが自分のことを信頼しているのは分かる。でもそれは、そういうことはしない人間だという、ある種の偏見だ。しないという自信がないと、はっきり明言しておくべきだろうか。
「もしも踏み越えることがあるとすれば、それはもう合意のうえだろう」
「……合意……」
……それもまた、一つの問題だ。何をもって合意とするのか。今のさとりちゃんの様子を思うに、こちらが望めばなんにでも応えてくれそうなので合意かどうかなんて――
「その時には家族になってるかもしれないから、問題はある。ただ、別に血はつながってないんだから、」
「いやいやいや」
「相手が小学生であれ……未成年同士なんだからぎりセーフだろ」
「お前の倫理観……!」
「まあ、それは冗談だとして、」
「こう言うのはなんだけど、真面目にやってくれます?」
「私が思うに、お前はただ冷静じゃないだけだ。その自覚はないだろうが、混乱してる。お前は今はじめて、実感してるんだ――カワイイというのが、なんなのか」
「……カワイイ?」
「つまり、ネコに手を出したくなる感情の話だ」
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