第4章
1 深まる高まる、ヤツの名は
土曜日の朝――学校もないため、
しかしその日、貴緒は昼前には家を出ていた。
「あ、
「うん。今日は貴緒くんは……デート?」
「いや、
たまたまそういう約束になっていたのだ、という風を装って――美聡の外出に合わせたのである。
目的はもちろん、昨日も遅くに帰ってきた美聡の『仕事場』を突き止めるためだ。
……実を言えば、昨日も登校時に軽く美聡の尾行をしてみたのだが、さすがにバスにまで同乗することは難しく、早々に諦める羽目になった。そのため普段より遅れて登校することになったのである。
(今日も『仕事場』に行くのかは分からないけど……確か、昨日の朝の話だと、仕事の納期が土曜までってことだしな……)
仕事場というからには、「職場」とは異なり泊まり込むことも出来そうなイメージだ。実際昨日は朝帰りしていたようだし、残業は可能なのだろう。
納期が迫っているなら家と仕事場の往復は時間の無駄のように思えるが、それにしては昨日も一昨日も、美聡は一度〝帰宅〟している。切羽詰まっているのか、それとも余裕があるのか、よく分からない。丸一日留守にしないようにという配慮なのだろうか。だとすればそれは、さとりちゃんのことを想ってか、今後の生活を意識してなのか。単純にお風呂など、リフレッシュするためか。
美聡の仕事内容が今もって不明であるため、なんとも言えないが――母子家庭であるため、さとりちゃんのことを考えて帰宅しているというなら、好感が持てる。貴緒と
しかし――それならなぜ、自分の職業について教えてくれないのか。
美聡の仕事がなんなのか、それを知らなくても貴緒の生活には特に支障はないだろう。休日や帰りの時間なんかはおのずと分かってくるだろうし、これといった問題は思い浮かばない。だから教えなくても構わない、という判断だとしても――孝広に口止めする必要まであるのか。
それはつまり、美聡は自分がどんな仕事をしているのか、貴緒に知られたくない、ということ。知られて困る仕事とは、いったいなんなのか――いろいろと邪推してしまう。〝隠し事〟があるということが、美聡を今一つ信用できない〝しこり〟になっている。気持ちの悪い、据わりの悪いその疑惑を解消すべく――
(時間が解決してくれる、としても……)
時計の針は努力次第で進めることも出来るはずだ。いざ告白されたときに驚いたり変な反応をしないよう、事前に知っておく、心の準備をしておこう、という考えなのである。
「…………」
……とまあ、いろいろと理論武装を固めて自分の行為を正当化してみるのだが、やはりやろうとしていることは尾行であり、ともすればストーカー紛いの後ろめたい行為である。美聡にバレれば、今後の生活にも影を落としかねない――昨日、学校で今日の計画を相談した際、立希にそう警告されている。
『再婚には賛成じゃなかったのかよ』
『賛成だけど、それとこれとは別問題なんだよ。それに――あっちも、こっちのことを信用してない訳で』
仕事を隠すとはつまりそういうことで、そして――これは完全に別件だと思っていて、予想外のことだったのだが――
『さとりちゃんの例の人形、壊しちゃったっぽくて。これなんだけど、どういうものか分かるか?』
『……なんだこれ』
立希に写真を見せたところ、思わぬ答えが返ってきたのである。
『隠しカメラ? そういう仕様では、ない?』
『お前がキャストドールをなんだと思ってるのか知らないが、こんなものが頭のなかに入ってる訳ないだろ。……子どもを見守る系のやつじゃないか? 元は美聡さんのものなんだろ? ……だとしても、ドールの頭に入れるとは考えられないが……』
疑問の余地はあるが、可能性の一つとして、美聡がさとりちゃんを――ひいては同室の貴緒を見張っていた恐れがあるのだ。先に後ろ暗いことをしていたのは、美聡の方だ。
(……だから、これはお相子なんだ……)
……と、自分に言い聞かせ、早くなる鼓動を治めようと密かに深呼吸。
現在、走るバスのなか、隣の座席には美聡が座っている。席はそれなりに空いているが、これから混んでくるのはお互いに想像できる。だから隣に座るのは何もおかしなことではないだろう。むしろ、変に距離をとる方が不自然だ。
「……ふわぁ」
緊張は保っているつもりなのに、バスに揺られていたせいかあくびが漏れる。
「貴緒くん、もしかして眠れてないの?」
「……えっ、あ、まあ――」
「そっか……」
今のやりとりは、なんだろう。不意打ちでゾッとしたが、何か探られていたのか、それともさとりちゃんと相部屋であることに関しての気遣い的なものか。
「…………」
そこで会話は途切れる。美聡の考えを察するにはやりとりが足りないし、この隙間時間を沈黙で埋めるには相当な精神力が必要だ。
(かといって、不自然にならない話題が浮かばない……)
美聡はスマホを見ているからいいだろうが――今朝の貴緒はそうもいかないのである。
(話題……)
寝不足の頭ではパッと思い浮かぶものでもない。
(……昨日、
……疑ってたの?
(……ダメだ。確かに疑ってはいたんだが……これはちょっと切り込みすぎだ)
名上といえば、昨日あの後、貴緒は名上の住むアパートに戻り、彼女から美聡とさとりちゃんの関係について聞き出すことが出来た。
(さとりちゃんのお母さんは既に亡くなっていて、美聡さんはさとりちゃんの叔母にあたる――実の親ではないけど、血縁関係はある。「ふとりちゃん」問題とも矛盾しないし、美聡さんがさとりちゃんの父親を知らなくても不思議じゃない……)
名上も美聡の職業やさとりちゃんの父親については知らなかったが、みのりちゃんの爆弾発言に答えをもらえたのは実に大きな収穫だった。それだけでも心の重荷がだいぶ軽くなった気がする。
思い返せば、自分の娘を「さとりちゃん」と〝ちゃん付け〟で呼んだりと、いろいろ気になる点はあったのだ。そういう親もいるだろうと大して意識してなかったのだが、実の親子でないとすると納得である。
(……結婚に関して、さとりちゃんがいろいろ我慢する理由も……)
そういう事情が関わってくるのだろう。
(まあ、あれだ。この件については別に、美聡さんも隠してたとか、そういうつもりはないんだろう。初対面で言うことでもないし、実の娘のように思ってたらそもそも気にしないだろうし。親父はたぶん知ってるんだろうけど……)
他意はないのだろう――と、理屈では分かっているのだが、やはりどうしても〝隠し事〟をされていたような気がしてならない。
(俺からたずねでもしない限り、言い出すタイミングもないんだから……。「本当のお母さんじゃないクセに!」……みたいな話の流れでもないと、こっちからもたずねづらい話題ではある)
なので、このバスで移動している隙間時間に、他に乗客もいるなかで「美聡さんって叔母さんなんですか?」とはききづらいところだ。「おばさん……?」と、あらぬ誤解をされて雰囲気が悪くなるのも困る。
(場合によっては美聡さんは〝再婚〟じゃなくて、初めての結婚って線もある訳なんだよな……)
子連れ同士の再婚とはまたいろいろ違ってくるはずだ。既に一児の保護者とはいえ、初婚でいきなり高校生の息子が出来る親の気持ち……貴緒にはまったく想像できないが、それなりの覚悟が要ることは理解できる。誤解でも「おばさん」呼ばわりされたら――
「…………」
昨日の朝も失敗しているために、貴緒はすっかり尻込みしてしまっていた。考えは悪い方向にばかり進むし、悪い想像ばかりが膨らむ。もはや明るい会話を繰り広げるビジョンが描けない。
『お前な……いろいろ考えたりこそこそ探ったりしてないで、もっと会話しろよ。家族になるんなら、それくらい普通に出来ないでどうすんだ。
『そうですよ。まあそれに関しては私のトークが上手いのもあるんだろうけどね』
……と、昨日の学校でのやりとりが脳裏をよぎる。まるで頭のなかのイマジナリー幼馴染みと春羽さんに励まされているような気分になる。
(そうだな……別の切り口から攻めてみるのもありか)
名上はなんだかんだ『黒幕』の正体を教えてはくれなかったが、いろいろアドバイスをくれた。
『なんであの子が君のことをロリコン扱いしてるのかは謎だけど、問題の本質は別のところにあるって線もあるわ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつね』
『……ボウズ? ケサ?』
『つまり、君のことが嫌いだから、君の着ている制服と同じ制服の人にもガン飛ばすし、君の趣味嗜好の全てに対して憎悪するようになるってこと』
『…………』
『今のは他意のないたとえよ。要するに――美聡さんの結婚が嫌だから、それに関するもの、関係する人たちにも嫌悪感を覚えるってこと。とにかく偏見を抱く訳ね。君はそういうとばっちりを受けてるだけって線。とにかく悪い印象として、君のことをロリコン扱いしてるのかもね』
『なるほど、そういう考えもある訳か』
『ロリコンかどうかは大した問題じゃない。……まあ、仮に結婚を阻止したいとすれば、君がロリコンっていうことはかなりのウィークポイントになるわよね。相手の男性、つまり君のお父さんにちょっかいかけるよりはまだ射程範囲内だし』
『……まあ。俺がロリコンなのが前提みたいに話されたのがちょっとイラっときましたけど、言ってることそれ自体はごもっとも』
『問題の本質が別にあるとすれば、説得できる可能性も少しは出てくるわよ』
問題は、その問題の本質がなんなのか、だが――
(俺でなく、美聡さんの方にある可能性……)
それも、無きにしも非ず、なのだ。
(俺個人が恨みを買ってるって可能性よりは、よっぽど納得できるけど――)
ともあれ、だ。そちらは今考えても埒が明かない。
(なんにしても、『黒幕』は美聡さんのことを知ってるって訳だ)
名上が教えてくれなくても、こちらから攻めれば――ちょうど、たずねても不自然でない出来事が昨日あったばかりである。
「そういえば、美聡さん」
さも今思い出した、思いついたといったような口調で、
「昨日、さとりちゃんの友達がうちに来てたらしいんですけど……中学生くらいの」
「中学生? ゆかりちゃんかな?」
「ゆかりちゃん」
聞きたかったのはまさにそれだが、あまりにもすんなり、ごく自然に出てきたものだから、つい口に出して繰り返してしまった。挙動不審じゃなかっただろうか、と緊張しつつ、
「どういう……お友達で……?」
「ご近所さんだったの。同じアパートでね……私たちより先に引っ越しちゃったんだけど、新しい家もそんなに離れてなくて、さとりちゃんと仲良くしてくれてて」
……なるほど、名上の証言とも一致する。
「私が手が離せない時にさとりちゃんのこと見てもらってたり、いろいろお世話になってて――あ、そういえば貴緒くんと同じ学校じゃないかな。中等部だけど。今は学生寮に入ってるんだったかな――」
「!」
貴緒の興奮は最高潮に達していた。しかし、なるべくそれを表に出さないよう努める。
(こいつだ! 間違いない、『黒幕』! ゆかりちゃん! 苗字も聞ければなおグッドだが、さすがに不審! まあフルネーム分かったところでって感じだけども!)
これは大きな前進だ。昨日からだいぶ進んでいる。
(中等部、しかも学生寮にツテはないが――春羽さん経由で、
早速彼女たちに連絡をとりたいところだが――逸る気持ちを抑えて、今は聞き出せるだけ『黒幕』についてを――
「そういえば、貴緒くんはどこまで?」
「え? あ、えっと――」
このまま美聡が降りるバス停まで同乗――は、さすがに無理があるとは思っていたが、美聡の方からそこを突いてくるとは思わなかった。
(同じところで降りるのは怪しまれるかもしれない。でもこの感じだと、そろそろ目的地なんだな。じゃあこっちが先に降りるのもありか)
ちょうどバスが速度を落とし始めた。駅の最寄りのバス停が見える。美聡もこの辺りで降りるのかと思っていたが、どうやら彼女の『仕事場』とやらはそこまで遠くはないらしい。
(電車に乗ることも覚悟していたが――)
貴緒はそのバス停で降り、美聡と別れた。
そして公衆電話を使ってある人物と連絡をとり、合流した。
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