8 なんだか変な空気になった




 ニセお巡りこと名上ながみ幸子こうこの住むアパートは、公園からそう遠くない場所に建っていた。


 貴緒たかおは移動中、スマホで春羽はるばに連絡をとって、小学生二人を送ってもらうよう頼んでいた。せっかく呼び出したのに話を聞けなかったのは残念だが、そのぶん、こちらで取り戻そうと――名上に改めて事情を説明し、自分を陥れようとしている『黒幕』について追及した。


 そして現在、貴緒は名上と、アパート二階にある部屋で、テーブル代わりの段ボール箱を挟んで向かい合っている。


 名上は制服姿のままだが、周囲に人目がないからか着替えるつもりはないらしい。そもそも、現在二人のいる居間の他に部屋と呼べそうな空間がなかった。壁際には畳まれた敷き布団があるから、ここは寝室も兼ねているようだ。名上の後ろにふすまがあるが、恐らくは押し入れだろう。窓が開いていて、服や下着が干されている――いろいろと目をやってると、さすがに睨まれた。


「さて、何から話そうかしら」


「『黒幕』の正体」


「だから――」


 個人情報だから、ということで『黒幕』個人については言えないと、ここまでの道中にさんざん言われた。それ以外なら可能な限り情報を提供してくれる、という話である。


「とりあえず、順を追って話すけど――私は家庭教師のアルバイトをやってたのよ。同じアパートに住んでる子のね。そこで、きみが言うところの『黒幕』と知り合った」


「ということは、このアパートのどこかに……!?」


 言ってから、『黒幕』は学生寮に住んでいるのだったかと思い出す。


「私が前に住んでたアパートの話よ。それに、その子の家族はとうの昔に引っ越してるし、そのアパートだってこの前の台風で壊滅よ。だから私はここに引っ越してきたんだから……」


「だからこんなに段ボールだらけ――……台風で? それって……、」


「聞いてるのね。そう、私と居曇いずみさん家はご近所さんだったのよ」


「じゃあ、さとりちゃんとも面識がある?」


「そう。さっきの二人は私のことを知らないけど、さとりちゃんとは知り合いってわけ」


 つまり、先日の公園での一件も――さとりちゃんは、相手がニセのお巡りさんだと知っていたということか。知ってて黙ってたことがやや気になったが、もともと喋らない子である。


(だから……美聡みさとさんが来る前に、逃げるように去っていったんだ、この人……)


 納得がいった。


「私はただ『さとりちゃんのことを付け狙ってる不審者がいる』としか聞いてなかった。その不審者を脅かすために、警官のフリをしてほしいって話だったのよ。リアル警察を巻き込むような大ごとにはしたくなかった訳ね」


「……それくらいの常識はある訳か、『黒幕』も」


「まあ――というより、さとりちゃんは前に家出したことがあって、警察のお世話になってるから。これ以上なにか公的機関から目を付けられるような事態にはしたくなかったんでしょうね」


「…………」


 しれっと、思いもしなかった話が出てきて、貴緒は思わず押し黙る。


 そういえば、あの時は美聡の様子も変だった。


「……でもまさか、呼び出されたのが、美聡さんの再婚相手の息子をシメるためとは思いもしなかったわよ、私も。きみから聞かされるまで、そっちの事情は何も知らなかったんだから」


「……じゃあ、あんたは――名上さんは、別に俺をハメようっていう、『黒幕』一派ではない?」


「とんでもない誤解よね。むしろ、私こそ巻き込まれた側だわ。……だけど、本気で社会的に抹殺するつもりだったら、リアル警察を絡めるのが最善策よね。そうしないあたり、たしかに常識はあるのかも……」


 またしれっと、恐ろしい話が飛び出してきた。見逃されていただけで、あの時点で貴緒の命はもうなかったのだ……。


「それにしても、私も驚いたわよ。まさかきみの鞄から、私のあげた成人向けコミックが出てくるなんて……」


「……なんて?」


「『お義母さんと恋人セックス』と『妖女ようじょえっち日和』よ」


「ぶっ……!?」


 水でも出されていたら、盛大に噴いていた。良かった、おもてなしされていなくて。


「あのエ口漫画……!」


「私があの子に……『黒幕』にあげたものよ」


「はあ!? いや、待て……あ、相手、そいつ、中学生なんじゃないの? 中学生の女の子! 未成年に何あげてんだよ!?」


「だから、よ。男の子なら教育上よろしくないとか、問題になるけど……ほら、現実とフィクションの区別がつかなくてー、とか、刺激が強すぎてー、とかで。でも相手は女の子なんだし、男性向けの漫画なんだから」


 悪びれる様子もない。常識がないのはこっちじゃないかと思ったが、貴緒は何も言えなかった。


「いや、だって、最近の少女漫画とか、ねえ?」


「ねえ、と言われてましても……」


「テレビなんかでも、男性の裸は映すけど、女性のは映さないでしょう? あれはやっぱり、男性には刺激が強すぎるから。触発されて事件を起こしたりするからよ。二次元と三次元の区別がつかなくなったりね。きみも言ってたじゃない、刑事ドラマよく観るとか。ドラマはドラマなのよ? フィクション」


「はあ……」


「女性はその点、そうそう興奮しない訳よ。同年代の男の子に比べて、女の子の方が精神的に成熟してるもんなんだから」


「……あの本、読んでるんですよね? というかあんたの持ち物だったんですよね? あれってどっちかっていうと、女性の方から、」


「ほら、二次元と三次元の区別がついてない」


「じゃあエ口漫画読んでもなんとも思わないんですか」


「ちょっとはどきどきするわよ」


「…………」


「…………」


 なんだか変な空気になった。


「と、とにかく……別に、性的なものとしてじゃなく、イラストがかわいいから、とか、そういう理由で欲しがってるって思ったのよ、私は」


「ううむ……」


 身近に同じことを言ってる人間がいるため、納得はできないが反論もしづらい。


「でもまさか、それもきみをハメるためだったとは……。大方、家の中でエ口漫画が見つかって、きみを実家に居づらくさせようとか、そういう魂胆だったんでしょうね……」


「……あの、パンツも?」


「あの時のパンツは知らないけど、狙いは同じでしょうね。……そうだ、気を付けた方がいいわよ。このまえ私、あの子のお金で大量の下着を購入してきたから。学生寮で下着ドロがあったんでしょ? あれもあの子の自演よ。きっと今度は下着泥棒に仕立て上げられるわよ、きみ」


「…………」


 もう、なんというか、どこから突っ込めばいいのか――


(てか、俺の周りのトラブルぜんぶ、この人きっかけじゃんか……)


 いったい彼女と『黒幕』はどのような関係なのだろう。家庭教師を引き受けていただけにしてはかなり親密である。たずねても「個人情報だから」と答えを濁されるだろうから、別のことをきいてみる。


「……あのエ口本を黒塗りにした理由を聞いても?」


「そういえば、私がニセモノだって分かったってことは、ほんとに交番まで取りに行ったんだ?」


 はっ、といった感じに鼻で笑われた。おもてなしされてなくて、本当によかったと思う。でなければ飲み物をこの女にぶっかけていただろう。


「あれはね、私なりの譲歩、妥協よ……。配慮と思ってくれてもいいわ。さすがに高校生男子にあれは刺激が強すぎる……。けど、きみの家庭環境を鑑みると、必要な時が来るかもしれない……もし本気で必要になれば、自分から取りにいくだろうと、交番に預けたのよ」


「……何を言ってるんですかね、この人は?」


「だってそうでしょう。きみの家には今、可愛らしい年上女性がいるのよ? 年頃の、思春期真っ盛りの男子にはツラい環境だと配慮したのよ」


 名上はいたって真面目な顔で続ける。


「それに……あの子はきみのことをロリコンだと信じてる。私は半信半疑だったけど、でも場合によっては本当にさとりちゃんに手を出すかもしれない……。あの漫画がきみの理性の最後の砦になると思ったのよ。だけど〝そのまんま〟を渡す訳にはいかないから、仕方なく黒塗りにしたってわけ」


「…………」


 余計なお世話だが、こちらを気遣ってのものだと言われればさすがに怒ることも出来なかった。


「……むしろ、俺がそれでよけいに変なことするかも、とは? さっきさんざん言ってたし」


「そこは、あれよ。……自分の目を信じたのよ。それくらいの良識は持ってるだろうと。親の再婚とか、今後のこととか、ちゃんと考えられるだろうと。それに、警官にかかわったというフラグがちゃんと効いてたようだしね」


「まあ……」


 ここまでずっと名上への疑念を抱いていたが、どうやら彼女は本当にただ『黒幕』に協力していただけで、貴緒に対して悪意をもっている訳ではないようである。もう少し心を開いてもいいのかもしれない。


「それに……あの子は、あれだから。ちょっと思い込みが激しいっていうか……。なんできみのことをロリコン扱いしてるのか、たずねてはみたけど、いまいち要領を得ない感じだし。だから私はきみが、あの子の言うようなロリコンの変態クソ野郎だとは思ってないけど――」


「……けど?」


「まあ、今後も何かあるようなら……相手してあげてもいいわよ」


「え?」


「ん?」


「……あ、はい、話し相手ってことっすね」


「他になんだと思ったわけ……?」


「…………」


「…………」


 なんだか変な空気になった。


「ま、まあ、あれよね、私も説得してみるつもりだけど、たぶん言うこと聞かないから、あの子――きみへの嫌がらせをやめさせるには、きみがロリコンじゃないことを証明しなくちゃいけない」


「む……」


 それはもう、悪魔の証明というやつにならないか。こちらが何を言おうと、相手に聞く耳がないのでは話にならないだろうし。


「仮にきみがさとりちゃんに『お兄ちゃん』と認められて、受け入れられたとしても……」


「…………」


 年上の女性が口にする「お兄ちゃん」という言葉に、なんだかちょっとどきっとした。だいぶ変な気分になっている。


(『お兄ちゃん』か……。そうか、俺はお兄ちゃんになるんだ――)


 ……他にもいろいろと根掘り葉掘り聞きたいところだが、少し頭を冷やす時間を設けた方がいいかもしれない。


「あの子はきみがさとりちゃんに無理やり言わせてるとか思うだろうし。……なんだかダメな気がしてきたわね、いろいろと……」


「だから、俺が直接説得するんで『黒幕』の正体を教えてくれって話なんですけど」


「だから、それだけは無理って言ってるじゃないの。ロリコンかどうかは置いておくとしても、自分に嫌がらせした犯人をきみは探してる訳でしょ? 見つけたら何をすることか――いやほんと、きみに復讐とかする気がないにしても、まったく話を聞かない本人を前にしたら、さすがにプッツンしちゃうと思う訳よ」


「…………」


 そう言われると、さすがにこれ以上の追及は躊躇われた。


 となると、なんとか自力でその正体を突き止めるしかない訳だ。

 それから、『黒幕』を説得し――


(……説得も何も、何をどうしたら解決ゴールになるんだろうな……?)


『黒幕』による一連のトラブルもそうだが、美聡に関する疑問も未だ解決していない――しかし、名上からは美聡やさとりちゃんについても何か話を聞けそうなので、あまり悲観はしていない貴緒である。彼女が例のアパートの住人だったというのは棚からぼたもちというか、寝耳に水、思わぬ収穫だった。


 ……ただ、こうもうまくいっていると、逆に何かトラブルの種を見落としているのではないかと不安にもなる。


「そういえば……なんで俺があの子たちと会うのを監視するのに、名上さんが駆り出されたんですかね。ヒマなんですか? 『黒幕』のやつは何を……、」


 何かこう――


「言葉の端々に嫌味を感じるわね……。私があの子の居所について漏らすとでも思ってるの? ……なんか、きみに人形を壊されたとか怒ってたけど、やっぱりきみ、どこかで恨み買ってるんじゃないの?」


「……ん?」


 瞬間、ビビッときた。




 十数分後――春羽からの連絡で、公園に置き忘れていた鞄を回収してから――貴緒は自宅に駆け込んでいた。


 リビングにはさとりちゃんがいて、奥の部屋には孝広たかひろだけがいた。


「親父……! 誰だ!? どんなヤツが来てた!?」


 走りながら電話した時には詳しく聞けなかったが――


「ん……? さとりちゃんの友達だっていう、中学生くらいの子で、」


「いつ帰った!?」


「さあ……? 仕事してたからな――」


「まだ近くにいるか……!?」


 貴緒は家を飛び出したが、自宅に来ていたであろう『黒幕』の姿を見つけることは出来なかった。



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