6 デフォルト/鬼ごっこ
――あんな目をしているのは、
ブラックホールのように一切の
死んだ魚を彷彿とさせるが、ただ生気がないのではない。
立希が普段から仏頂面をしているように、それがデフォルトなのだと思っていた。
春羽がニコニコしていなければ普通に美人であるように、いつの間にかそれが彼女のデフォルトになっていた。
何があっても
だって、それ以前の彼女を知らない――
『父親が分からないっていうのは――たとえば、精子提供とかで妊娠した場合とか』
『もしかしたら人間じゃないのかも……。ロボットだったりして?』
『……いや。普通に養子とかなんじゃないの……』
などなど、今朝、
「
毅然とした、強い意志を湛えた瞳でこちらを見据え、みのりちゃんは言う。
「それって、おにーさんに原因があるんじゃないの!」
「いや、待って、そんな……それはただ、再婚が嫌だからとか、」
「嫌なのは当たり前じゃないの! だって、知らない人たちと暮らすことになるのよ? 知らないおじさんと、おまけに知らないおにーさんと! ……それでも、普通の人たちならまだガマンできるわ」
我慢できる――実際に会ってみて、大丈夫だと安心できれば、あんな目をすることもなくなると――
「だけど、おにーさんはロリコンだった……!」
「う……」
「それでも……子どもは
「――――」
再婚が必要なこと――さとりちゃんの将来にとっても意味のあることだとは、本人も理解しているだろう。あの子は、賢い子だ。それに、住む家がなくなり、他人を頼らなければいけない状況だった。自分の我がままなんて、言えるはずがない。
だから――少なくとも、そういう風に見えるなぁ。
懐いているふりを、仲の良いふりをして――気に入られようと。
『して――……いい、よ』
――そうやって、貴緒の望みに応えようとして。
自分の心を殺して、人形のように――死んだ目を。
「…………」
膝から崩れ落ちそうになる。地面に膝をついていて、助かった。そうでなければより悲惨なことになっていただろう。
(仲良くなろうなんて、そもそも無謀な話だったのか……。再婚が嫌で――いや、全部、俺のせいか――)
強い風が吹いている。少しだけ、肌寒く感じた。
背中をつつかれた気がした。振り返らずにいると、頬にスマホの角を押し付けられた。見れば、
【愛美】「ちょっとお花摘みに行ってまいります」
意味は分からなかったが、こくん、と頷く。空気が読めない人だ。あるいは、気を遣ってくれたのか……。
(アイス……食べてたもんな……)
どうでもいいことを考え、現実逃避。しかし逃すまいとするように、みのりちゃんは更なる事実を突きつける。
「……居曇さんがあんな目をしてたのは、お母さんが亡くなった時以来よ――いえ、あの時よりもっとヒドいかも……」
「…………」
「お姉さんが言ってたわ……それもこれも全部、ロリコンの、ヘンタイクソヤロウのせいだって……つまりおにーさんのせいだって! おばさんが結婚して家族になったら、もう手遅れ……居曇さんに好き放題ヒドいことするんだって……。だからあたしたちは、おにーさんをハイジョすることに協力してるのよ……!」
そうか、全部……俺がロリコンの、変態クソ野郎だから――最近、自分でもそう思う。
「……え? 待って……今、なんて?」
「おにーさんがいなくなれば全部解決するって言ってるのよ」
「いや、そうじゃなく……、さっきの――あれ? なんかいろいろツッコミどころが……?」
「おにーさんが出ていくとか、学生寮とかにいけばいいの。そうじゃなければ……おばさんには悪いけど、結婚は諦めてもらうしかないわね! そのために……おにーさんにはタイホとかされてもらうけど、
「そこは小学生なのか、自分がとんでないことをしようとしている自覚がないようだな……?」
とはいえ、みのりちゃんのトンデモ発言によって、逆に冷静になることが出来た。
(いろいろ気になることはあるが――)
自分自身、ロリコンではないかという疑いを持っているから、悔しいがその点だけは現状なんとも言えない。しかし、まだ何もしていないのに――まだ、決定的なことはしていないはずだ。にもかかわらず犯罪者扱いされた上、孝広と美聡の結婚まで阻止しようというのは許せない。
(みのりちゃんに悪意はないんだろう。この子はたださとりちゃんを助けたいだけだ――でも、この子にあることないこと吹き込んでる黒幕……! お前だけは許さないからな……!)
気持ちを切り替える。少年漫画の主人公みたいな気分。当初の目的に戻ろう。
「……そっちの気持ちは分かった。俺が何を言ったって君たちの耳には入らないんだろうな。俺がロリコンだって……あぁ、いいよもう。……場合によっちゃ俺も、家を出ることを考える。けどな、結婚に関してはうちの親の問題だ」
さとりちゃんのことは、今は置いておく。彼女の本心がどうであれ、その前に片付けるべきことがある。人の事情に首を突っ込み、余計な口を挟む外野の正体を突き止めなければ、さとりちゃんときちんと話をすることも出来ない――
「一つだけ、教えてくれ。その『お姉さん』っていうのは、どこのどいつだ? そいつと話をさせてくれ。……会えないなら、電話でもいいから」
「電話番号も個人情報よ」
まあ、そうなるだろう。黒幕が最初からその気なら、他人を利用し、いろいろと陰謀をめぐらせることなく、自ら貴緒に文句を言っていたはずだ。そうしないのは――
(……みのりちゃんのあの言い方だと、案外、再婚に偏見を持たせるために、さとりちゃんにおどかすようなことをそいつが言っていた可能性もある――そういう後ろめたい〝裏〟があるんだ。だから、俺の前にも姿を現さない。正体を隠す――)
見つけ出してやる――
「でも」
「ん……?」
「あたしと〝鬼ごっこ〟をして、勝ったら教えてあげてもいいわ」
「……鬼ごっこ?」
場違いな言葉が出てきて、素直に戸惑う。確かにここは公園だが……。
「これからあたしが大声で叫びながら逃げるから、おにーさんは鬼らしく、あたしを捕まえて口をふさいで黙らせるの」
「おいおいおいおい……! 捕まえたら、今度は俺が捕まるんだが!?」
そして捕まえられなくても、叫ぶ女児を追い回していればもうそれだけでアウトだろう。なんて理不尽な――
(いや待てよ、逆に考えろ。誰にも見つからずに捕まえることが出来れば――ダメだ、リスクが高すぎる。どうせ俺が捕まえてるところをこのみちゃんが撮影とかする手筈だ。ここは……そうだ!)
名案が思い浮かび、トイレの方に顔を向ける。春羽さんは、いつの間にか戻ってきていた。どこから話を聞いていたかは知らないが、
「話は聞いてたよね? 俺の代わりにその子を捕まえてほしい! 男の俺だと問答無用でアウトでも、女子なら言い訳できるから! 前科もないし!」
「えー――」
と、不審者ルックの彼女は不服そうな声を上げてから、
「私、こっちの子を抑えとくよ。大丈夫、何かあっても証言してあげるから」
みのりちゃんの背後に回り込み、後ろに隠れていたこのみちゃんの肩に手を置く。
「走るの面倒なだけですよね――でも」
二人揃って逃げ出す可能性もあるし、味方がいるのは心強い。連れてきて良かったと改めて思った。
「よし、そうと決まればやってやろうじゃんか! 俺が勝ったら『お姉さん』について喋ってもらうからな! 喋んなくても、スマホ没収して――ちょぉっ!?」
「わあああああ……――! たーすーけーてー……!」
防犯ブザーのピンを引っこ抜くやいなや、本当に大声をあげながらみのりちゃんは走り出した!
「あ、この、くそ……!」
スマホをポケットに突っ込み、空いた手でそれぞれ別方向に投げ捨てられたブザーとピンを拾う。慌てて騒音を止める頃にはもう、みのりちゃんの背中は公園の出口に到達していた。
「おーかーさーれーるー……!」
「なんつーことを!? ていうかもうちょっと声のボリューム落としてくれないかな……!? ご近所迷惑ッ!」
走りに自信はないが、小学生なんかに負けるはずがない――
「……!?」
公園を出てすぐ、路地の向こうに曲がり角が見えた。みのりちゃんはそこに向かっている。視界から消えるのはマズいが、角にはカーブミラーがあった。すぐに見失うことはないだろうと一安心したのもつかの間、
「車……!」
鏡の向こうに現れたトラック。みのりちゃんは逃げるのに必死で気付かない。追いかけなければ、止めなければ――しかしそうすればするほど、彼女は必死になって、
――走り去る二人を見送ってから、
「…………」
サングラスとマスクを外して、彼女は素顔を晒した。
何かを企んでいるようなニコニコとした笑みを浮かべていなければ、彼女は清楚で、子どもに好かれそうなお姉さんといった雰囲気を醸し出す。
「このみちゃん?」
普段とは異なる柔らかな笑みを湛えた彼女は、怯えるように俯く女の子の前に屈みこみ、その顔を覗き込む。肩に乗せた手に、そっと力を込めた。
そして、彼女は――春羽
「ね、お姉ちゃんに何か、言うことなぁい?」
……このみ? と――。
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