5 デフォルト/不信感
先日トラブルのあった忌まわしき公園に辿り着くと、ランドセルを背負った小柄な少年が駆け寄ってきた。
「ヘイ、にーちゃん! ……にーちゃん、だよな?」
「おお、なんか久しぶりだなオイ。俺の顔を忘れたのか」
「いや、マスクしてたから」
やってきたのは、立希の弟・
「遅いじゃんかー。引き留めるのに苦労したぜ。……ま、小四なんてコンビニスイーツで簡単に言うこと聞かせられるんだけどな!」
と、自信満々に言ってから、頼志は
「……誰?」
「やっぱそういう反応するよな……。いや、気にしないでいいから。それより――」
貴緒は財布を取り出す。
「さっすがにーちゃん。そうだろうと思って、オレも経費に糸目はつけなかったぜ」
「だよなー。やっぱり依頼料って必要なんだよ。安心はお金で買えるんだ。……よし、これで取引成立だ」
「じゃ、オレは帰るけど――これ犯罪とかじゃない? 大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。後ろの人は怪しいけど、ちょっと話聞くだけだから。そして俺は風邪ひいてたからマスクしてるだけです。……立希から聞いてるだろ、うち、再婚するんだよ。その前に身辺調査をな、ちょっと」
「そっかー、なんか知らんけどにーちゃんも大変だなー。また何かあったらオレに言えよな! それじゃ」
不審者(
一方、こちらも人見知りするのか、
【愛美】「小学生のオトコノコにお金渡すのは犯罪じゃないの?」
「学校でも言ったけど、俺にとってはそれだけ価値のあることなんです。これは相応の対価で……ところで、なんでライン?」
【愛美】「今日はこういうキャラでいこうと思って」
突き出されたスマホには、そんなメッセージ。
昨日すぐに返信しなかったことを根に持っているのだろうか。ここにきて突然口をきいてくれなくなった。まあ、これから大事な話をするので、そこに余計な茶々を入れられるよりはマシかもしれない。
「さて……」
公園の片隅、ベンチに二人の女児の姿があった。……二人、だ。それぞれの足元にランドセルが置かれている。その二人はこちらに気付くと腰を上げた。貴緒はそちらに向かって歩き出す。
「やっぱり、おにーさんだったのね……!」
ちょうど公園の真ん中、砂場の横で合流すると、みのりちゃんは瞳に敵意を浮かべ、貴緒を見据えた。
「あ、あっちで話さない……?」
「そうやって人目につかないところに連れ込んで、いやらしいことする気なんでしょ! マスクで顔隠してるのがその証拠よ!」
「とんでもない誤解だ……。というか、俺が昨日寝込んでたの知ってますよね?」
子どもが遊んでいてもおかしくない時間だったが、公園には他に人の姿はない。なるべくならベンチに座って落ち着いて話をしたかったし、人目につかないことが望ましいのだが、これなら問題はないだろう。こちらが我慢すればいいだけだ。
(相手が俺だってわかってても、呼び出しに応じてくれたんだ……。話をする意思がある。それだけでも上々。贅沢は言ってられない……)
みのりちゃんと目線を合わせるため地面に膝をつき、向き直る。鞄や制服が汚れるのも構わない。こちらの誠意を示したかったのだが、後ろからシャッター音。振り返ると、マスクにサングラス姿の春羽さんがスマホを構えていた。みのりちゃんがあからさまに警戒する。
「この人……何?」
硬い声だった。彼女を連れてきたのはやはり失敗だったのか……。
「いや、この人は、その……俺のクラスメイト――友達です。親しい仲なんです」
事前の打ち合わせ通り、こくこくと頷く春羽さん。
「分かりますか? 御覧の通り、俺には女子の友達がいます。ガールのフレンドです。つまり、ロリコンではないんですね」
ロリコンではない、自分は安全ですと訴えておいてなんだが、
「君たちも、他に人がいた方が安心できるかと思いまして」
そう付け加え、とりあえず様子を窺う。
「ほんとに……?」
「な、何が……?」
何か、疑われるようなことがあっただろうか。やはり、彼女役が豪華すぎたのか。
「本当に、女……? 実は男じゃないの? 女装してるんでしょ……! だって、おにーさんの友達なんだから!」
「ひどい言いがかりだ!」
「じゃあなんでそんな怪しい格好してるの!」
まったくもってその通り。ぐうの音も出なかった。
一応、春羽さんが怪しいのは顔だけだ。制服のブラウスを着てるし、女性らしいふくらみもちゃんと確認できる。スカートから伸びる脚だって女性的だ。それでも、怪しいものは怪しい。偏見や先入観もあるかもしれないが、貴緒ですらそう感じるのだからみのりちゃんの感想はもっともである。
「……あのさ、今からでもそのカッコやめてくんない?」
春羽さんは首を横に振る。試しに自分のスマホを見てみるが、何も書かれていない。もういいか、いないものとして扱おう。
とはいえ、連れてきた甲斐はあったのかもしれない。
今日はなんと、このみちゃんが大人しいのである。昨日のことを黒歴史として、恥を忍んでいる可能性もあるが――見知らぬJKを前にねこをかぶっているのか、単に人見知りしているのか。
(俺に彼女がいたことを知ってショックを受けている可能性も――いや、ないか)
何はともあれ、最大の障害と思われたこのみちゃんの相手をしなくて済むのは助かる。
みのりちゃんだけならまだ御しやすいはず――
「いい? これはただうるさいだけのブザーじゃないわ。スマホに通知が行くのよ。GPSだってついてるんだから!」
このみちゃんを庇うように前に出て、この紋所が目に入らぬか、といった感じに防犯ブザーを突き出している。
後ろにいるのが黄門さまなのかもしれないが、そちらはあまり乗り気ではないようで、「あんまり調子に乗らない方がいいよ、みのりちゃん……」と、マスク越しにくぐもったか細い声を出す。やはり元気がない。もしかして風邪をこじらせてしまったのだろうか。
「二人がかりで襲おうたって、そうはいかないんだからね……!」
「……頼むから、その物騒なものを仕舞ってください……。間違って爆発したらどうするんですか……。我々に交戦の意思はありません。先日の、君たちによる無礼も、美聡さんにあることないことまくしたてていたことも、俺はもう怒っていません」
ツインテールが逆立ちそうなほどの警戒を示していたみのりちゃんも、多少は冷静になってくれたようだ。未だに表情は硬いし、訝しむような目つきではあるものの、凶器を持つ手を下ろしてくれた。
「こちらの方はちょっとシャイなだけのお姉さんなんです。ほんとはお茶目なんですよ。そして俺はただ話がしたいだけ」
「あくまで、女だって言い張るのね……」
「反応するところ、そこ? 女だよ、女性だよ。見れば分かるだろ。俺にだって女子の友達はいるよ」
「ただの友達なのね。やっぱりロリコンだから、同級生を恋愛対象として見れないんだわ……」
しみじみと呟く小学生である。憐みすら感じる。
【愛美】「おさわりは5000円からで要相談」
スマホの通知音を切っておこう。これは間違いなくスパム。
「まずはその誤解から解こうか。確かに第一印象が悪かった。コワい思いをさせたんなら謝ります。でも、前も説明したけどさ、あれには理由があるんだ。小学校の近くで不審者が出たって聞いて……」
それでさとりちゃんのことが心配になったのだと、改めて先日出くわした経緯を説明していて、ふと、
「あ!」
「わ!? な、何よもう……」
「……い、いや、なんでも――」
ふと、電気でも走ったかのように、ある光景が脳裏をよぎったのだ。
校門前の――中学生。
あれはそう、先日、ちょうど校門を出たところだ。中等部の生徒が話していた。その、偶然耳に入ったやりとり――でも、あそこは高等部の校門前だ。なぜそんな場所に、中等部の子がいる……?
(高等部の誰かを待ってたって可能性もあるけど――俺はあの話を聞いて、小学校に向かって……)
その結果、公園で不審者扱いされ、お巡りさんのお世話になり――今に至る訳である。
(偶然か? ほんとの本当に、偶然か? まあ確かに? さとりちゃんのあとをつけたのは俺の意思だけども……!)
あとをつけたというか、帰り道が同じだっただけというか――言い訳はよそう。結果が全てだ。
しかしその結果が、誰かに仕組まれたものだとしたら? あのやりとりが、貴緒が小学校に行くよう誘導するためのものだとしたら……?
(しかもあの日だよな、春羽さんがパンツ持ってきたの……。そしてエロ本ともどもお巡りさんに見つかった……それも一応、俺の不注意が招いたことではあるが)
ちら、と問題の人物を窺うが、スマホに視線を落としているようでこちらには気付かない。何かメッセージでも入っているかと自分のスマホを確認するが、特に何も入っていない――
「……ちょっと! 人を呼び出しておいて、スマホばっかり見てるのって失礼じゃないのかしら!」
一挙手一投足が不審がられて困る。不信感が凝り固まりすぎて、これはもうロリコン疑惑を解くのは無理なのではないか、そんな落胆を覚える。
ただ、今の声は自分に構ってほしい感のある可愛らしい声だったので、もしかするとまだ、諦めるには早いかも――
「……盗撮してるんじゃないでしょうね!」
訂正、小憎らしい。
「ええと、そういえば、今日はさとりちゃんは?」
まさかどこかでこっちを見ていたり――などと考えて、見ているのはもっと他の人物なのでは? という不安に襲われた。それはお巡りさんかもしれないし、黒幕本人かも……。
(もしや、このみちゃんが大人しいのもそれが理由か? これは頼志を使った呼び出し……黒幕にとっても想定外のはず。見張ってないとしても、黒幕の計画にないことだから、不用意なことを言わないよう、このみちゃんは口を閉ざしている――そうなると、このみちゃんのこれまでの悪ふざけも全部、計画の上だからこその……?)
我ながら理に適った考えなのではないかと思っていると、
「
この可愛くない咳払いはまさか、今の推測が当たっているのでは――慌てて周囲を窺うが、目に入るところにはサングラスにマスクをした不審者しか見当たらない。
(まさか……?)
首を傾げる春羽さんである。
(ついてきたのも、自分に不都合な発言をさせないため……だから顔を隠して……、いやなんで? むしろ顔出して「見てるぞ」って威圧してた方がいいよな)
ふるふると首を振って、目の前の女児に向き直る。
考えるのは後だ。邪魔が入る前に、今は聞き出せるだけ情報を引き出そう。
「さとりちゃんとの付き合いは長いの?」
「少なくとも、おにーさんよりは長いわ」
「……そりゃそうだ。じゃあ、さとりちゃんの……お父さん! お父さんは知ってる?」
「個人情報よ」
「いや、知ってるかどうかだけでも……」
「知らないわ。そんな人いないもの」
「……はい?」
思わず後ろのこのみちゃんの方を見てしまうのだが、彼女はさっきからずっと目線を落としていてこちらの視線に気付かない。まるで親に叱られている子どもみたいだ。さすがにちょっと気になってきたが、今はそれよりも、
「いないって……離婚とか、そういう――」
「ねえ、おにーさんは何が知りたいわけ? 何がしたいの?」
こちらを真っ直ぐに見て、毅然とした態度でみのりちゃんは言う。
「聞きたいことがあるなら、居曇さんや、居曇さんのおばさんに直接聞いたらいいじゃない! こうやってこそこそしてるのって、何か後ろめたいことがあるからなんじゃないの!?」
「う――」
正論すぎて、言葉に詰まる。
「俺は、その……あれだよ、まず君たちの誤解を――」
「あたしたちが何を誤解してるっていうの!? それっておにーさんがロリコンだってこと? そんなのはどうでもいいのよ。問題は」
どうでもいいって……――頭が真っ白になる貴緒に、彼女は告げる。
「おにーさんのせいで、居曇さんがあんな目をしてるってことじゃないの!」
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