2 あやしいふたり




 普段より少し遅れて登校した貴緒たかおは、何やら不自然な沈黙に迎えられた。


(え? 何? しばらく登校してこなかったヤツがやってきた……みたいな、その反応? 俺が休んだの一日だよね? 何この浦島気分……)


 教室に入れば、こちらを振り返って目が合った生徒から次々と黙り込む。熱は下がったとはいえ昨日の今日なので、念のためマスクをしてきたのだが……それがいけなかったのだろうか。不審者ぽかったのかもしれない。さっきまで何かお喋りをしていたグループも、貴緒に気付くとあからさまに声のボリュームを落としてしまう。


(朝のホームルーム直前みたいな……俺は教師か?)


 その疑問の答えは、進路にいたグループが道を開け、視界が開けた時――自分の席が目に入った瞬間、明らかとなった。


「?」


 机の上に、何か……布のようなものが積まれている。色とりどりの、ハンカチのようなものが、こんもりと堆積している。


(まさか、これは……パン――)


 自分の席に近づくことが躊躇われ、思わず足を止める。

 前の席に座る立希りつきが椅子ごと振り返り、こちらを見ていた。


「私が来た時には、もうあった。とりあえず、現場保存しといた」


「……片付けようとしてくれた人がいたのか、それは良かった……。ところで、なんですかこれは?」


 つまみ上げて確認したいところだが、下手に触ると何が起こるか分からない。実際、立希の隣の女子が冷ややかな目をしている。視界の隅ではお隣さんがニコニコしているが、クラスメイトたちの反応は概ね前者に近い。


「わーば、くん」


「…………」


「おはよー」


「……あ、うん、おはよう……春羽はるばさん」


 すぐ真横にいた春羽さんから逃れるように――あるいは背中を押されたように、貴緒は自分の席に近づく。椅子を引き、必要以上に机から離して、座った。


 すると、待ってましたというように、


「で、和庭わばくん、これ何?」


 笑顔の春羽さんである。人の不幸が楽しくて仕方ない、そんな感じの小悪魔的な笑み。


「なん、でしょうね……? 俺にも、さっぱり」


「説明の義務があると思うんだよねー」


「なんで……?」


「私、和庭くんが登校してくるまでずっと、このパンツの山が隣にあったんだよ? もう、とんでもない辱めだよね」


「そう言われましても……」


 それ、俺でなく立希が悪いのでは? という思いもあったが、実物不在のまま、謎の沈黙に出迎えられるよりはまだマシだったのかもしれない。少なくとも、居心地の悪さの理由は分かった。


「俺より、これと同じ時間を共有していたみなさんの方が詳しいのでは? 何? 昨日はなかった感じ?」


「なかったねー。ところで和庭くん知ってる? 今年のさー、ゴールデンウイークくらいにね、学生寮で不審者が出たんだって」


「? 下着ドロの話? 中等部の……」


「とはちょっと違うけど、たぶん同じヤツかなー。中等部に不審者が出たっていう騒ぎがあったらしくて、その後に、下着がなくなったーっていう騒ぎがあったそうな」


「そうなんだ……。それで……」


 話の脈絡から、彼女が言いたいことを察することは出来る。クラスメイトたちも、発見から時間が経っているのだ、だいたいそのような結論でまとまっていることだろう。


「持ち物検査とかしたら、案外その犯人、分かっちゃうかもねー?」


 と、春羽さんが言う。貴緒が反射的に抱きかかえてしまった鞄に意味ありげな視線を寄越しながら。


(何この人……! まさか、まだあのプレゼントのこと気にしてんの!? 俺ですら今の今までそんな爆弾抱えていること忘れてたのに!)


 マズい、入ったままだ。あんなもの見つかったら、間違いなく犯人扱いされる。


「いや、待って――みんな、理性的になろう? な? まず――仮に、俺が下着泥棒だとして、だ」


「仮に、だね? 認める訳ではない?」


「話を最後まで聞いてくれますか……。普通さ、自分の机にこうして置く? 自分が犯人だって認めてるようなもんじゃない? そんなこと、犯人はしない……よね?」


 むしろ犯人じゃないと思わせるための自演――なんていう可能性が浮かんでしまって、思わず語尾が弱くなる。


「こ、これは、嫌がらせですよ! いじめですよ。誰かが俺をハメようとしてるんだ……!」


「和庭くん、誰かの恨み買ってるの? 裏でヤバいことしてる感じ?」


 当然そんな自覚はないものの、恨みなんてどこで買ってるか分かったものじゃない。

 それに、自慢じゃないが、貴緒はどちらかというと、人付き合いが悪い。放課後は遊びに誘われても断り、家に直帰したり夕飯の買い物をしたりする。家事は孝広もやってくれるが、それでも遊びに行くのは躊躇われるのだ。とはいえ時間を持て余し、授業の予習復習をしているから成績は良い方――こういうところを、気に食わないと思う輩がいても不思議ではないのかもしれない。


「和庭クンってば最近、リア充気味だからナー」


 と。


「誰かが妬いてるのかもしれないねぇ……」


 クラスの男子がしみじみと、攻撃とも援護ともつかないフォローを入れる。


「らしいですよ、和庭くん」


「リア充かどうかはともかく、まあ、最近これまでにない体験をしているのは事実だけど……」


 仮に恨みを買っているのだとしたら――今、こうして、春羽さんが話しかけてくることにも原因があるのではないか、とちょっと思うが口には出さない。


(なんにしても……)


 先のプレゼントといい、悪意のある何者かがいることは確かだ。同じパンツ絡みだし、今回のこれもそいつの攻撃の一環に間違いない――


(ところで)


 貴緒の前で、さっきから恐れ知らずの幼馴染みがパンツの山を眺めている。つまみ上げるだけでなく、手に取って広げたり、裏返したりしている。いったい何をしているんだ。


「これを見ろ」


「セクハラだぞ……」


「タグの跡じゃないか? 値札がついてる、ほら、あのヒモみたいなやつ。その切れ端がついてる」


 言われて見てみれば、確かに……。立希の示すいくつかの下着にそのようなものがくっついている。春羽さんがクラスを代表して確認し、周囲に頷いてみせる。

 しかし、それがどうしたというのか。


「これ、どれも新品だ。つまり、誰かがどこかで大量購入してきて、それをここに置いたってこと」


「つまり……盗まれたものでは、ない?」


 てっきりこの幼馴染み、とうとう女子の下着にまで興味を持ったのか――いやまあ女子だし、下着に興味があってもおかしなことではないが――変な趣味から観察していたのではなく、擁護しようという意思があったことに安堵する。


「店から盗まれたものではない、とは言い切れないが……少なくとも未使用品だな、どれも。全部が全部とは限らないけど……」


「言い方がちょっと気になるが――らしいですよ! みなさん。これはれっきとした嫌がらせであって、下着ドロの濡れ衣を俺に着せようとする陰謀なんです!」


 つまり自分は関係ない、被害者ですと主張する。


「あるいは、そうやって濡れ衣を着せつつ……パンツを隠すならパンツの中、この中に本物の盗品を紛れ込ませて、証拠隠滅しようという算段なのかもな」


 困った時に頼りになる幼馴染みである。立希の証言によって、クラスに立ち込めていた居心地の悪い空気も若干やわらいだようだった。


(嫌がらせって認めるのもあれだが……それより問題は、誰が、こんなことをしたのか、だ)


 教室に持ち込めるということは、部外者とは考えにくい。では、このクラスの中に犯人がいるのか?


「こんなにいっぱい、さすがに男子には買いにくいよな……?」


「通販という手もある。ただまあ、タグの跡があるしな。店で買うなら女子の方が都合がいいよな」


「俺に恨みのある女子が……? 仮にいたとしても、やることがかなりぶっ飛んでるが……」


 この中に――などと教室を見回すと、同じようにクラスメイトに目を向ける隣の春羽さん。さっきから視界の端で主張が激しいのだが、この人、怪しくない?


「いや、やったのが女子だとは限らないぞ」


「……というと?」


「これは直感みたいなものだが……中等部、学生寮、下着ドロ――これらのワードからちょっと、連想することがある」


 名探偵・立希の意見を窺う。


「萌甘先生のあの本、幼女……小学生だけじゃなく、女子中学生も扱ってるよな? あの人の守備範囲はどちらかというと中くらいのサイズ……。そう、思春期の少年少女を描くのが上手いと評判なんだ……」


「???」


 ちょっと何を言っているのかよく分からないが、立希にとってエロ漫画とは実用書ではなく美術品なのだろうか。そういう目で見ているのか。


「前に下着ドロの話題が出たのはそう、あいつらがあの本を持ってきた時だ」


「あいつらって、まさか……」


 あの本って? あいつらって誰? と隣で興味津々な人がいるが、今は無視。さっきもフォローを入れていた例の二人を気にしつつ、声のボリュームを落として、


「そういう本を持っていたということは、あいつらのうちどちらかが、中学生に興味がある……可能性がある、ということだ」


「仮にそうだとして――なぜ……」


「周囲の疑惑の目をお前に向けさせ、じゃあ持ち物検査をしようと――本命である、鞄かロッカーに仕込んだパンツを発見させる。証拠が見つかればアウトだ。それでお前に下着ドロの濡れ衣を着せる……そういう計画だった、かもしれない」


「な、なんて悪質な……」


 しかし、理に適っている。ロッカーは知らないが、少なくとも鞄の中に危険物が入っていることは確かだ。


「だけど、俺になんの恨みが――」


「それこそ、本人たちが言ってただろ。あのタイミングで声を上げるのがそもそも不審だ。……という訳で、直接あたって聞いてこい」


「お、おう……」


 まさか本当に……あの二人が? あのエ口漫画をくれたのも親切ではなく嫌がらせだったのか? 俺たちは友達じゃなかったのか?


仲縞なかしま氏、葉縄はなわ氏」


 躊躇いながらも、貴緒は友人だと思っていた二人に声をかけたのである。



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