第3章
1 一夜去ってまた一悶
朝一番に思ったのは、
(……俺も、さとりちゃんが寝てる間にスマホのロックを解除すればいいのでは?)
そうすれば昨日の夜、さとりちゃんが電話していた相手のことも――電話……?
(……うーん?)
なんでそんなことを思ったのだろう。夢でも見ていたのか?
ともあれ、人のスマホを覗こうなんて、寝起きに考えることじゃない。いや、目覚めたばかりだからそんなふざけたことを思いついてしまうのか。
(……起きよう)
ぱちぱち、と
見れば、布団はもう片付けられている。壁際にテーブルが置かれていて、その上に澄まし顔のお人形が座っている。長い銀髪に、黒い刺繍の入ったドレス姿。曇りのないグラスアイがこちらを見つめていた。
(昨日、喋ってたような……?)
あれも一種のおままごと、なのだろうか? 具体的に何を話していたかまでは憶えていないが……。
「…………」
人形の横に、手のひらサイズの謎の機械が置かれている。レンズがついているそれは、間違いない、昨日、この人形の頭の中から出てきたものだ。
(……やべ。俺が壊したの、バレてる……?)
朝から気まずさに襲われる。人の物に勝手に触るべきではなかったのだ。
(弁償を視野に入れる時が来たようだ……)
とりあえず、モノがなんなのか分からなければ始まらない。お人形と、その中身を写真に収めておく。
(こっそり同じの買って、プレゼントとして渡す――イイコトしてるように見えて、完全にマッチポンプ)
枕元にあった体温計で熱を測る。……よし、平熱だ。今日は登校できる。
さとりちゃんのいないうちに、パパッと制服に着替え、部屋を出る。
(ん……? 何やら良い香りが……)
ダイニングに来てみれば、なんと、テーブルの上に料理が並んでいるではないか。一瞬、夢でも見ているのではないかと目を疑った。
白米と味噌汁はもちろん、ハンバーグ、から揚げ、シューマイというお子様大喜びなメニューに、焼き魚やほうれん草のおひたし、肉じゃが、野菜炒め――さすがに朝からは厳しいが、家庭的で豪勢な食卓である。
かつてあっただろうか、自宅のテーブルを埋め尽くさんばかりの品目が並んだことなんて。
「ふふん」
と、見れば、こころなしか得意げな顔をした
「今日は学校行けそう? ……良かったー。お弁当も用意してあるからね!」
「…………」
なんだろう、朝から。
そういえば、昨夜、夕食の席に美聡の姿がなかったことを思い出す。その時はぼんやりしていたので深くは考えていなかったのだが、思えば、朝はともかく夕食はいつも四人で食べるのが習慣になっていた。
(もしかして……朝帰り? やっぱり夜のお仕事なのか?)
それで、徹夜のためハイテンション? 料理しちゃおうなんて思っちゃったのだろうか。カフェインでもキメたのかもしれない。
ところで、キッチンはどんな惨状だろうと恐る恐る確認すると、意外に片付いており一安心。以前、美聡が石をつくった時なんか――途中から
……
「いただきます……」
味は……。
(そんなに舌が肥えてる訳じゃないが――)
満足そうにもぐもぐしている美聡には申し訳ないが、普通だ。というか――
(まあ、追及はしまい……。これも立派なテクニック。時短ですね)
ただ、どうせやるなら品目を抑えてほしかったところ。あとで冷蔵庫の中身を確認しなければ。
(さとりちゃんは普段こういうのを食べてたのか――……あぁ、それで?)
さとりちゃんの初コメント、「にんげんの味がする」の意味が分かったかもしれない。一応これも、人間がつくったものだとは思うが、どうだろう。
「…………」
さとりちゃんが空になったお椀を手に立ち上がった。おかわりではなくご馳走様らしい。お椀を流しに置くと、そのまま洗面所兼脱衣所に行ってしまった。
美聡と二人きりになる。お互いもぐもぐしているので沈黙も不自然ではないが、多少の気まずさはある。ちなみに、孝広の分のお椀も用意されているが、食べるのは昼だろう。
「美聡さんは……」
「ん……?」
「昨夜は……徹夜で?」
「まあね……。ちょっと、仕事の納期が……土曜までで」
「はあ、明日ですね――」
このあいだの電話はそれだったのか――そういえば、誰かも締切がどうのと言っていなかったっけ。
「え? 土曜は明後日だよ? 今はまだ木曜日の31時」
「…………」
あ、目がヤバい。この人、仕事のし過ぎで大変なことになってる……。
(今なら……何聞いても答えてくれるのでは? どんな仕事をしてるのか――)
頭の中をいろいろな考えが駆け巡り――寝起きのせいだろうか、自分でも思ってもみなかった言葉が口を衝いた。
「さとりちゃんのお父さんは……何してる人ですか?」
「え、」
「どんな人、だったのかなー……と」
嘘みたいに硬直する美聡である。こちらまで緊張してしまう。美聡のお箸が指の隙間から零れ落ち、テーブルの端にぶつかる。その音でハッと我に返り、床に落ちる前に慌ててお箸を掴んだ。ふう、と一息。その一部始終を見守っていた貴緒も胸を撫で下ろす。
「……で? どんな人だったんですか……?」
その追及は、自然に口から出た。緊張が解け、うっかり本音が漏れるような。
すると、美聡はあからさまに動揺した。視線が泳ぐ。泳いだ先に顔が向く。猫じゃらしに弄ばれる猫みたいな動きだった。何を追っているのだろう。何かを捜しているのか。逃げ道はないぞ、というつもりでお箸を置き身構える。
(質問してしまったからには……答えを聞かないと、落ち着かない。ここで変にごまかされたら余計に――あぁでも、やっちまったかなぁ……)
すぐに後悔した。今からでも何かの言い間違いだとごまかしきれるだろうか。悪知恵を働かせてみるのだが、追及してしまった以上は難しい……。
息が詰まるような沈黙と、エロ本でも見つかったかのような気まずさに襲われる。時が止まってしまったかのように、口を開くことも、どこかに視線を逃すことも出来ない。
そんな空気を破ったのは、不意の静けさ。
そう、さっきまで水の流れる音がしていたのだ。
歯磨きを終えたさとりちゃんが洗面所から戻ってきた。その気配にハッとする。お互いの緊張が切れた一瞬に、この話はこれでおしまい、とでもいうかのように美聡は黙々と食事を再開する。さとりちゃんに話を聞かれていただろうか、と今になって貴緒は焦る。
「……分からないのよねー……」
ボソッ、と。
着替えにいくのだろう、さとりちゃんが部屋に向かったタイミングだった。
そちらに気をとられていたために、うっかり聞き逃してしまいそうだったが、
(ん……!?)
思わず美聡を見る。顔を伏せるようにしながら食事を続けていた。こころなしか、お箸を動かす手が早い。もぐもぐもぐもぐ。これはもう話を聞ける雰囲気じゃない。
(地雷……だったか? 俺の立場でさとりちゃんの父親を聞くのはマズかったか? まあ、なんの脈絡もなかったし……)
仕事の話で、とっさに昨日配信を観た時の考えが浮かんだのだ。父親……もとい、美聡の元旦那のもとにいるであろう、さとりちゃんの『お姉ちゃん』について知りたいという想いもあったのだが――
(変に遠回りしないで、ストレートに「お姉ちゃんいますか?」って聞けばよかった……。いやそれだと、美聡さんの姉の話になるか。美聡さんが何してるか聞けるだけでも収穫だったのに……)
せっかくのチャンスを棒に振ってしまったような残念さはあるが――藪から棒というか、藪蛇というか、思わぬ返事を得てしまったのは事実だ。
(分からないって……どういうことだ? 父親の仕事? どんな人間だったか? それとも――父親が、分からない……?)
曖昧な返事は、余計に貴緒の頭の中をややこしくさせる。
父親が分からないのだとしたら、それは……美聡が昔、遊んでいたとか?
それともやはり、夜のお仕事――仮にそうだとしても、特に偏見はないけれど……。
(まあ、なんの仕事をしていても自由……でも――じゃあ、納期って? 夜のお仕事が具体的にどんなんなのか知らんけど――)
別に、美聡の職業がなんだろうと貴緒には関係ない。そう自分に言い聞かせてみる。実の親である孝広の仕事だって、他人に質問されてもとっさに答えられないのだ。なんとなく、何をやっているかくらいしか知らない……。それでも、生活に支障はないのだ。
貴緒に話さなくても問題ないと美聡が判断しているのなら、それが今後の生活に影響を及ぼすこともないのだろう――
しかし、ここで昨日の、「口止めされている」という孝広の言葉が嫌な気持ち悪さを帯びてくる。隠す必要がある、知られたくない仕事って何なんだ。貴緒に知られたら、結婚に反対されると考えるような、美聡にとって恥ずかしいことなのか?
(昨日も、今日も……聞くんじゃなかった……。一から十まで知らなくたって、この数日だってそれなりにうまくやってたじゃないか、俺……)
むしろ今ので、お互いのあいだに必要のない溝を刻んでしまったのではないか。
――胸の内のもやもやは消えない。
時間が解決してくれるのだろうか?
いつか、本人の口から聞けるのだろうか?
思い切ってたずねられれば、それにきちんと答えてくれるのなら、何も悩む必要はないのに――今の雰囲気からは、とてもじゃないが秘密を打ち明けてくれるとは思えなかった。
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