8 コイと病熱5(後) -完全敗北・OSIMAI-




 ――限界が近かった。


「ロリコンじゃないんならー、シスコン? でもどっちみち、小学生が好きなんだよねー? おにぃさんっ」


 不意に、このみちゃんが隣に寝転んだ。


「それとも、さとりちゃん?」


「く、ぅ……っ」


 体の上の圧迫が消えた安堵はあったが、それと同じくらい、なんともいえない苦しみが下腹部からこみあげてくる。


「いいんだよー、正直になってもー」


 言いながら、スマホを掲げて、ぱしゃり。小学生と同じベッドで眠る高校生の一枚。


「さとりちゃんのこと好きなんだよねー?」


「……違います……」


「じゃあ、嫌いー?」


 抵抗する気力も湧かないのは、熱のせいだろうか。思ったより重症なのかもしれない。


 病は気から、という。では体が弱っている時、メンタルの方はどうなのか。


 ……もうボロボロである。


「でもね、さとりちゃんと家族になりたいんなら、ガマンしないとねー?」


「…………」


 家族に――そうだ、再婚の話は水面下で進んでいるはずなのだ。孝広たかひろも引っ越しを考えていた。それは、家族四人で暮らす新居――


「あ、それとも、さとりちゃんと家族になりたいって、さとりちゃんと、ケッコンしたいってこと?」


 こんなところで、負ける訳にはいかない――!


「俺は――」


 ……自分でも、何を言おうとしていたのか分からない。


「ガマンできないんならー――」


 そして、それは分からないまま――



「このみー……!」



 ドンドン、と。


「あ」


「え――」


 ノックの音が聞こえ、貴緒たかおの心臓は早鐘を打つ。


「みのりちゃんだねー?」


 マスクがなければきっと、「にやり」と歪んだ口元が見えたことだろう。


(ヤバいヤバい――この状況はヤバい! 女児とベッドはアウト!)


 何を今更な感もする辺り、慣れとは恐ろしいものだが――それを、みのりちゃんという第三者に見られることがアウトなのだ。


「このみー? トイレじゃないのー?」


 今のノックは、向かいのドアだった。トイレの方だ。きっと姿の見えないこのみちゃんがトイレに入っていると思ったのだろう。そして、そこに不在だと分かれば、みのりちゃんのことである――間違いなく、貴緒の部屋のドアに手をかける。


(ど、どうする――この子、ドアにカギかけてるか?)


 見られたらお終いだが、実は見られなくてもアウトだったりする。

 もしも、ドアにカギがかかっていた場合――このみちゃん不在という状況。みのりちゃんは、貴緒の部屋にこのみちゃんがいると……中で、何かされていると勘繰るはず――


「……このみ? まさか、おにーさんの部屋じゃ――」


(うわああああああ……!)


 貴緒はとっさに、このみちゃんに覆いかぶさった。そのまま布団を被る。状況だけ見れば完全にアウトだが、見られなければいい――


「んむ……っ」


 このみちゃんが声を上げないようにマスク越しに口を塞ぐ。なるべく密着したくなかったが、そうしなければ不自然に布団が膨らんでしまう。全身を使ってベッドに押し付け、身動きできないように抑え込んだ。


 ――ドアが、開く。


「……このみー……?」


 恐る恐るといった感じの問いかけに、貴緒は呼吸を止める。枕に顔を埋め、うつ伏せになって、さも眠っていますというような格好を心掛ける。部屋に電気が点いていることだけが不審だが、それ以外はなんとかごまかせているはず。


「……やっぱり、トイレかしら……」


 言い訳するようにつぶやいてから、みのりちゃんはドアを閉じた。


「――――」


 顔は枕に、胸にはこのみちゃんの頭がある。片手でその口を塞ぎ、肘をベッドについて体勢を維持している。なかなかキツい格好で、下は完全に密着している。そうしなければ、いつ暴れだすか分からない彼女を抑えきれない――


(……ガマンできないんなら、なんだ?)


 先の、彼女の言いかけていた言葉を思い出す。


(そういうのが気になる、お年頃なのか……? そういうのが何なのか、ちゃんと分かって言ってるよな……?)


 ――して――……いい、よ。


(……合意だったら、いいんじゃないか?)


 そもそも、なんで手を出してはいけないんだっけ?


 法律? 倫理? それは未成年同士でも、ダメなのか?

 年齢差なら、ほんの僅かだ。世の中には、もっと年の離れた夫婦もいるだろう。


 いもうとだから――いもうとに、家族になるから、ダメだ。


 じゃあ――してもいいと言ってる――ガマンできないんなら、してもいいと言っている――この子なら?


(もしかしたら、この子――)


 こういうことを、他でもしているんじゃないのか? 他所でもやっているなら、他人もしてるなら――そうでなくても、他所でやらないように、年上をなめているこの小学生に教育を施すべきじゃないのか?


(……このクソ生意気な小学生を黙らせて――分からせて――)


 心臓が肥大したように、全身に脈動が伝わる。体重が加わる、ベッドのスプリングが軋む、それが理性にノイズを生み出す。


 お互いにしたいんなら――いいんじゃないか?


「んーっ!」


 このみちゃんがじたばたしだしてからやっと、貴緒は彼女を解放した。ごろんと、隣に寝転ぶ。そのまま転がってベッドから落ちてしまいたかったが、そこまで寝返りを打つ余力はなかった。


(り、理性がとろけてる……)


 隣で、このみちゃんの荒い呼吸。よほど苦しかったようだ。


(してもいいとか――そんなことを考えるのがもう――)


 ロリコンだって、ことなんじゃないのか。


「ぷはー……」


 胸が苦しい。心臓が痛い。


「苦しかったー」


 マスクを下げて素顔を晒した彼女は、顔を赤くして色っぽく、しかし子どもみたいに無邪気に笑う。


「でも、どきどきしたね?」


 頭が熱くなって、寝返りを打つように彼女に背を向けた。


「……そういうことは……大人になってから、好きな人とするものです」


 興味があるとか、してみたいとか、欲求不満だからとか――そういう理由でしていいものではありません、などと、まるで自分に言い聞かせるかのようにぶつぶつと呟く。


「好きだからねー、したくなっちゃうんだよ――」


 そう言って、彼女はくすりと、


「い・た・ず・ら」




 …………。


 みのりちゃん心配するから、またね――と、このみちゃんはあっさり部屋を出て行った。


「…………」


 ベッドの上で一人、仰向けに寝転んで、眩しい照明から――世間の目から逃れるように、片腕で顔を覆う。傍からすれば、静かに泣いているように見えるかもしれない。


 敗北感と羞恥心が胸の中で渦巻き、他に何も考えられなかった。


「……小学生、なんかに……」


 しかし、あの子を憎みきれない自分がいるのも、また事実――とてつもない弱みを握られてしまった、そんな心境だった。


(……スマホ……)


 全身から骨を抜かれたような気だるさを覚えながらも、ベッドの上に残されたスマホに手を伸ばす。あの子が写真を撮っていた。きちんと消しておかないと、また何があるか分かったものじゃない。


「――――」


 写真は何枚かあったが、どれも同じアングルからのものだ。つい、削除しようという意思が挫かれそうになる。


(小学生の……子どもブラなんか……)


 ぽち、ぽち。強い意志をもって、削除した。


 しかし――他にも撮られていた気がするのだが、まさか自分のスマホで撮っていたのか?


(ベッド写真とか、流出してスキャンダルになるやつ……)


 危機感を覚えなければいけないところなのだが、今はもうメンタルがボロボロで何も考えられない。


「……はあ……」


 スマホを持ったまま寝返りを打つ。いっそこのまま眠ってしまいたかったが、何かメッセージが溜まっているようなのでそれを確認する。


(そうだ……立希から、何か――あぁ、俺がお願いしたんだった。探すまでもなく、すぐそこにいるんだけど――)


 リビングに行けば、当然このみちゃんもいる。今は相対できるメンタルじゃないし、なるべくならさとりちゃん不在の方が都合がいい……。


 【たかお】「いろいろ気になって夜も眠れなくて風邪ひいたわけ」


 ――ここから未読メッセージ。


 【立希】「一歩間違えばストーカーだからな」


 【立希】「法廷に提出することになるぞ、このやりとり」


 【立希】「というか、気になって夜も眠れないとかお前」


 ――メッセージが削除されました。


「…………」


 削除されたメッセージは、先ほど偶然目にしていた。

 タイミングが良いというか、悪いというか――今はその気遣いが心苦しい。


(俺はラブコメしてたのか……)


 ――本音を言えば、まあ、そういう何かを期待していたのかもしれない。


 漫画やアニメ、ライトノベル――そうしたフィクションのような、非日常――親の再婚で、妹が出来る――女の子と一つ屋根の下で暮らし、巻き起こるハプニング――


 相手が小学生だったことが理想と違ったが……。


 それでも、つるペタ幼女(女児だった)な妹が出来た(出来る)ことに浮かれていたのだろう。立希に自慢したのだってそうだ――


(現実は残酷だった……。それとも、俺が理想を押し付けていたのか……)


 もしも本当にさとりちゃんから「変態クソ野郎」だと思われているのだとしたら、これから同じ部屋で――引っ越したとしても、家族としてやっていく自信がない……。


 仮にあれが別の誰かの、悪意ある第三者による言葉だとしても――


(……寮とか、一人暮らしとか、考えた方がいいのかな……)


 このまま再婚の話が進むのなら、真面目に検討すべきかもしれない。


 あるいは――あるいは、だ。




 …………。


 ――その夜、さとりちゃんが部屋に入ってきた。


 孝広のつくった夕食を食べ、薬を飲んだ。入浴はせずに体を拭くだけにし、それから貴緒はベッドに入っていた。さとりちゃんが来る頃には既に半分眠りかけていた。


 さとりちゃんが、何か喋っているのを聞いていた。


「どう……?」


 布団を敷き、壁際にテーブルを置いて、例のお人形を前に何か話しかけているのだ。


「ゆかりちゃん、見える……?」


 どうやらあのお人形の名前は『ゆかりちゃん』というらしい――眠りに落ちる寸前、貴緒はそんなことを考えていた。



『……ダメね。あの変態クソ野郎、よくもあたしのLingLingリンリンちゃんを……』



「汚い言葉、使っちゃダメ」


『……こほん。とにかく、明日直しにいくわね。うまく行けば、おヘンタイおクソヤロウさんを足止めできるはずだから……』


「ぜんぜんキレイなってないよ」


『まあ、それもこれもヤツが元気に登校してくれたらの話だけどね。……いっそこのまま永眠してくれないかしら――LingLingちゃんを遠隔操作できれば……』


「LingLingちゃん、動かせるの?」


『首を絞めてやりたいわ』




 ……その夜、貴緒は夢を見た。


「うう、う……」


 目を開けると、澄ました顔をした人形がこちらを見下ろしていた。


「くる、しい……」


 貴緒は首を絞められていた。



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