6 コイと熱病3 -この■■は検閲されました-
家に帰って、
「け、検閲済み……だと!?」
塗り潰されているのだ。
「ま、前にちらっと見た時は、こんなはずじゃ……」
肝心のシーンだけが……大事なところだけが、黒く塗り潰されている。体もそうだが、目線も口元も、最悪、顔そのものが子どもの落書きみたいにぐちゃぐちゃにされている。絵だけではない。台詞にも線が引かれ、吹き出しの外に書かれた「はっ、はっ」みたいな息遣いすら検閲対象となっていた。
『■■――っ! ■■■■■……!!』
もう何が何やら分からない。終盤になると面倒になったのか「……」とか「!」なども丸ごと塗り潰されている。吹き出しがまっ黒だ。
「な、なんてことを……」
そのくせ、日常の、行為に突入する前のなんでもないシーンだけは難を逃れているものだから、何者かの作為を強烈に感じた。だって、「成人向け」の表記まで黒塗りだ。もうこれは普通の――義理の母親が相手だが――ラブコメ漫画である。十八歳未満でも読める。
「……え? マジで全部? 二冊とも? モザイクよりひどくない? カバーも、カバー裏も?」
やったのは、誰だろう。こんなひどい仕打ちをしたのは……。
(さっきの男性警官……。いや、それともやっぱり、昨日の……)
あの女、いったい何者だ?
(くそう、誰が交番に持ってきたのか、ちゃんと聞くんだった。何なんだよ、昨日から……パンツの子といい、お巡りさんといい――)
身の回りに正体不明の何者かが多すぎる、と思ったところで、
(……マスクにサングラスなら、俺でもできる。誰でも変装できるけど……)
ちなみにサングラスは孝広のものを拝借した。眼鏡でも良かったのだが、ちょうど部屋にあったのでそちらを採用。今や
しかし、サングラスなんて、そうやって拝借でもしなければとっさに用意できるものではない。意識して正体を隠そうと、あらかじめ準備でもしない限り……。
例のパンツを持ってきたという、マスクにサングラスの不審者――自分の正体を知られたくないということは、やはりやましい理由があるのだろう。実際やましい理由から変装し、交番に向かった人間がここにいる。
(
不審者が複数いるのではなく、実は全て、同一人物――昨日のお巡りさんの陰謀――いや、さすがに大人が制服を着るのは無理があるか。万が一、着ていてもさすがに「中等部の子」とは言わないだろう。
(仮にそうだとしても、なんのメリットがあるんだ。何がしたいんだ……)
はあ、と大きなため息がもれる。もう、考えるのも疲れた。何も、お巡りさんでなかった確証はない。交番勤務ではないタイプのお巡りさんだったかもしれない。
「寝よ……」
しかし、エ口本をそのままにしておく訳にはいかない。どうしよう。ベッドの下にでも入れておくか。カバーが偽装されているので案外その辺に置いていてもバレないかもしれない。
「……あま……、もえ? なんだっけな、立希が言ってたな」
一冊のエ口本を見ていて、ふと思い出す。そういえばこの本を
「
恐いもの見たさというか、単純な好奇心から、貴緒はスマホを手に取った。妖女なエ口漫画の作者を検索する。にわかオタクなので詳しくはないが、有名な方の絵師ではあるようだ。
SNSを覗いてみる。投稿されているイラストは小さい女の子が多い。この絵柄はまさしく、あのエ口漫画のものだ。
「そういえば……Vtuberやってるんだったか」
男性だが、自分の描いた女性キャラをアバターにして動画配信をしている――いわゆるVtuberの一人だ。SNS上にも投稿された動画が載っている。人気配信者なのは間違いないだろうが、例の本が実は高額希少本とかいうことはなさそうで一安心。
(……ツイッターか……)
貴緒も一応アカウントを持っているものの、なんか周りがやっているから、という理由でアカウントをつくったはいいが、結局まともに触っていない。
(……美聡さんもやってたり……?)
家でスマホを触っている姿をよく見るが、あれは何をしているのだろう。もしかして、SNSをチェックしているのでは?
(……案外、灯台下暗しってやつで――)
検索してみたらあっさり、彼女の謎が解けるのではないか――物は試しだ。
みさと、美聡――いろいろ出てくる。よくある名前だ。女性の後ろ姿を映したプロフィール写真がちらほら見つかる。こういうのだったらちょっと嫌だなと思いつつ、
(たしか……
……それらしいものは見つからないが――
「イズミ……ヒサト」
限りなく近いそのアカウントに目が留まったのは、
『イズミヒサト/izmn@ロロロリ連載中』
という名前と、プロフィール写真にキャストドールが映っていたのだ。
「というか……おお、これ〝いずみん〟じゃん」
立希がよく見ているVtuberだ。ファンなの? とたずねれば――「画集が出るなら三冊は買う」と答えるくらいの。素直じゃない幼馴染みである。
(いずみん何してる人なのかよく知らんかったけど……こっちもイラストレーターか。漫画も描いてる……。さっきの萌甘さんともコラボしてる……立希が言ってたやつだな)
当初の目的からは逸れてしまったが、思わぬ発見にちょっと興奮した。
(なるほどな、あいつがドールについて詳しかったのも、そういう……)
イズミヒサトのツイートの中にはちらほらキャストドールの写真が載っている。それから、ドールの販売サイトの写真もリツイートしているようだ。よほど好きらしい。せっかくなので、リンク先のサイトをブックマークしておく。もしかすると、弁償する必要があるかもしれない。
(限定品じゃなくても、何か代わりになるものがあれば……)
画面をスクロールしていると、いろんなお人形が流れていく。本人のイラストや告知よりもドール写真のリツイートが多いのだが、仕事は大丈夫なのだろうか――
ふと、思う。
(イズミヒサト……ドール……。漫画家なら、ワンチャン……? 親父とも仕事してる可能性ある――)
孝広はデザインに関する仕事をしていて、小説や漫画の装丁などにも携わっている。貴緒の部屋にあるいくつかの書籍はそうした孝広の仕事の品、出版社からの献本だ。
その昔、立希が骨折して入院した時、お見舞いとして持っていた漫画もその献本の品で、立希がオタクになったきっかけともいえるだろう――と、包帯を巻いたドールを見ていて懐かしいことを思い出したが、それはともかく――
(美聡さんが、イズミヒサトだったりして――それなら、仕事関係で出会ったっていうのも――)
……いや。ページのトップに戻って、フォロワー数を確認する。
(ないか、ないない。だってこの人、フォロワー七十万いるし……。まあ七十万がどれくらいすごいのか俺には分からんけども、こんな有名人なわけはない……)
そもそも、イズミヒサトは男ではなかったか。先の萌甘さんと同じ、いわゆる「バ美肉おじさん」――中身は男性だが、バーチャルな美少女の姿をした配信者。実際、ツイートも男性っぽいものが目立つ。
(……元旦那って線も……? さとりちゃんのお父さんとか――)
Vtuberのいわゆる「中の人」について追及するのは野暮というものだが、「案外知ってる人かもしれない」というのも楽しみの一つだろう。
そんな訳でいろいろと妄想を膨らませていると、ちょうど新しいツイートが流れてきた。配信の告知らしい。タイトルは『原稿作業の衆人環視枠(ほぼ無言、アーカイブ残らないかも)』――
(というか、もう配信中じゃん――せっかくだし観てみるか。生っぽいし)
学校を休んでテレビを観る……そんな小学生の頃の謎の優越感が思い出される。懐かしい。今ごろ立希は授業中で、アーカイブが残らないこの生配信を観ることが出来ないのだ。
配信ページに移動する。画面の向かって右側に、白髪をショートカットにしたキャラクターが映っていて、時折身動きする。男の子かもしれないし、女の子かもしれない。男の娘という可能性もある。そんなボクっ子。それがイズミヒサトこと『izmn』だ。
『――っと、ツイートしましたよー』
高い男声とも、低い女声ともとれる中性的な声、口調である。貴緒はボイスチェンジャーを通した声が苦手でこれまであまり視聴してこなかったのだが、この声はあまり苦にならない。地声だろうか。
『えーっと……締切がヤバいので作業しております。コメントはたまに見てるよ』
どうやら次に出る単行本の表紙イラストを描いているらしい。画面のほとんどがよく分からない線画で埋まっている。たぶんズームで映しているのだろう。デジタル作画だ。本人の手とかは見えない。
『そういえば、うちの娘が五十万人突破しましたね――』
……娘? と過敏に反応してしまうが、この場合の娘というのはイズミヒサトが描いたキャラクター――Vtuberのことだ。その配信チャンネルの登録者が五十万を超えたらしい。相変わらず数字のすごさは貴緒にはよく分からないが、十万とか百万がある種の節目になることは知っている。
『しかしお祝いイラスト描いてる余裕がないほど修羅場してる母であった。……いやまあボクは子持ちじゃないんですけどね。あ、まくらちゃんいますね。おめでとー』
みんな大変なんだなぁ、ところでコメントに反応ばかりしてるが作業は? と他人事のように思いながら、貴緒はベッドから身を起こす。お腹が空いてきた。ラーメンでもつくろう。エ口漫画は枕の下に入れておく。
(誰もいない家で、一人でラーメン……あ、そういえば弁当あったな……温めて食おう)
昼間だが、電気もつけていないので薄暗い。こういう時間が落ち着く時もあるし、寂しさを感じる時もある。今は、寂しくはない。配信を観ているのもそうだが、この画面の向こうで今もリアルに活動している人間がいるということ――テレビとは異なる楽しみがある。
(まあ、他人が盛り上がっているのを傍から見てる寂しさも時にはあるけども)
弁当を食べ終えて、薬を飲む。ちなみに、薬の使用期限はまだまだ先だった。
熱も計っておく。食後だからかやや高いが、朝に計った時よりは下がっているか。
(今度こそ、寝るか――)
そうして――食後も続く作業配信を聞きながら、貴緒は眠りについたのである。
夢に、美聡が出てきた。
頭に切れ目が入って、血が流れていた。
開いた頭部から、カメラが出てきた。
ビデオカメラだった。
盗撮されていたのだ。
「みぃたーなー……!」
恐ろしい夢だった。
「ううう……」
人形が、体の上に載っている――
ぱしゃ
「……う?」
まぶしいフラッシュに目を細める。
少しして、スマホのレンズが見えた。
そして、こちらを覗き込む――
「あ、起きたー?」
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