5 コイと病熱2 -問題のある人たち-




 ぜんぶ熱のせいではないか?


 ……と、ベッドの中でうつらうつらしながら貴緒たかおは結論した。


(そういうことにすれば昨日のお風呂も夜のあれもぜんぶぜんぶ……)


 ……(自分のせいでは)なかったことに出来るのではないか――さすがに無理があるか。


(でも判断力が鈍って理性が機能しなくなっていたのは間違いない。というか、これはあれだ、いろいろ溜まってるんだ……)


 リフレッシュが必要だ。


(しかしどうしよう……)


 とりあえず、スマホに手を伸ばす。画面を点けると、いろいろ通知があって――その中に、



『【愛美】さんがあなたを友だちに追加しました』



 ……一瞬、心臓が止まりかけた。


「あ、あいみって誰だ……!? スパムか……!?」


 ちょっと邪な考えがよぎっただけなのに、まだ何もしてないのにもうスパムが来るのか――スマホで画像検索するのは止そう。そう心に決めた。



 【愛美】「やっほー、病気?」



 元気? みたいなノリだ。なんだこの気軽なスパム、と思ったが、よくよく通知の一覧を見れば答えが分かった。



 【愛美】「はるばです」



「はるば……春羽はるばさん? あいみ? まなみ? いや……なんで?」


 メッセージアプリを開く。春羽さんからのメッセージは通知されてる分だけなので、ことの真相を知っていそうな幼馴染みからの連絡を確認する。


 春羽さんにお前のID教えたから――とのこと。


「なんでやねん。……いやまあ、聞かれたから教えただけだろうけど……」


 そもそもなぜ聞かれたのか。謎である。つい昨日までまともに会話したことなかったのに。


(いうて、同じクラスになったばかり……これから親睦が深まっていっても不思議ではない、か……? それとも――例の謎パンツと関係が……?)


 問題の代物を持ってきたのは彼女である。他人から渡された、という風を装って、本当は彼女からの贈り物だった疑惑もある。なぜそんなことをするのかはさっぱりだが。


 とりあえず、春羽さんへの返事は保留しておく。また何かメッセージが来たら、その時に返せばいいだろう。それより、



 【立希】「先生にお前休みだって言ったら、知ってるって言われたんだけど」



 出席確認の時に申告したのだろうか。恨み節が綴られている。それを読んで少しほっこりした。メッセージを遡る。片手で目線を隠している女児の画像が出てきて驚いたが、自分が送ったものだった。とりあえず、人捜しの件は了解してくれたようだ。


(そういえばなぜ探してるのか説明してなかったな。俺の送った写真、何も知らなければ普通に怪しいもんな……。ぽちぽち、と)


 何も知らない幼馴染みに、昨日の公園での一件を報告する。ちょっとさとりちゃんの心配をしただけなのに、その友達から不審者扱いされてしまったこと。その誤解を解きたいし、出来ればさとりちゃんについて詳しく聞きたいという事情を説明。決して、女児に興味があるとか、復讐したいとか、そういう他意はない。


(そんなこんなで俺は気疲れが祟って熱を出したらしい、と)


 今は授業中だろうから、返信が来るのはだいぶ後だろう――送ったメッセージを確認し、スマホの画面を眺めていて、ふと、ある疑問が脳裏をよぎった。


「このアカウント名って……」


 春羽さんなら、【愛美】だ。下の名前だろう。立希りつきは【立希】となっているが、このアカウント名は本人が自由につけられるもののはずだ。その気になれば【田中太郎(イケメン)】とかも可能である。

 電話番号やメールアドレスの「名前」は、こちらの端末に登録したものが必要に応じて表示されるが、このアプリの場合、相手からメッセージがあれば、そこに表示されるのは相手の設定した名前――つまり、【愛美】や【立希】である。


「……【お姉ちゃん】って、なんだ……?」


 さとりちゃんのスマホに通知されていたメッセージ――あれも、同じアプリからのものだ。


(……自分で【お姉ちゃん】名乗ってるってことか……? さとりちゃんがそう登録してるならまだ分かるけど、この設定だと、そういう訳じゃない……。ということは、さとりちゃん以外にも【お姉ちゃん】で表示されることになるんだが……?)


 謎である。すっかり忘れていたが、あれはいったいなんだったのか。


(さとりちゃんにお姉ちゃんがいるんなら――両親の離婚で生き別れた、とか――なんにしても、みのりちゃんと話すことが出来れば……)


 状況は前進するだろう。早ければ、明日にでも。


(そのためにも今は寝て、風邪を治さなければ……。いやその前に、ちょっとトイレに――)


 ベッドから這い出す。


「…………」


 さっきまで孝広たかひろがいた位置まで来ると、孝広が眺めていた例のお人形が視界の端に入る。その目が、見ている。ガラスのような瞳。その視線が追ってきている。あくまで気のせいだが、こうも〝見られてる感〟が強いと、部屋では何も出来そうにない。なんだか、さとりちゃんにまで知られるような後ろめたさがあるのだ。ここはもう、さとりちゃんの部屋でもあるのだから。


 やましい考えを滅却しようと、お人形の前に正座する。


(親父はどうのこうの言ってたけど……)


 このお人形は、さとりちゃんが以前リビングで抱いていたものだ。あれで間違いないだろう。貴緒はこれ以外には見ていない。ちなみに、まじまじ見つめてみても高いか安いかの判別はつかない。


 銀色の長髪をした、四十センチ前後の大きさの女の子である。肌は人間離れした色白だが、頬はほのかにピンク色。よくよく見てみると、顔は描かれたものだ。孝広が言っていた表情メイクとはこのことだろう。女性の化粧メイクそのものだ。

 その顔は、思いのほか愛らしい、アニメテイスト。もうちょっと人を選びそうな、ゴシック系の顔を想像していたのだが、なるほど、これなら小学生も好きそうだし、二十万出してもいいと思う人も割といそうだ。


(服は手作りって話だけど……はあ……、すごいな)


 改めて見ても、さとりちゃんがこの家に来た時に着ていた服にそっくりだが、美聡みさとが似せて作ったというなら納得だ。なんならむしろ、さとりちゃんの服すら作っていそうである。


(服飾関係のお仕事……なら、口止めする必要はない)


 このお人形に美聡の秘密があるとは思わないが、なんとなく、手に取ってみる。持ち上げてから、孝広すら手を出さなかったので一瞬気後れする。しかし孝広の見立てによれば、こちらは高級品ではない様子。そこまで警戒する必要はないだろう。


(とはいえ、五万……)


 どう持つのが正しいのか分からないが、両脇の下に手を入れて持ち上げる。小さい子に「高い高い」する感覚。実際、それなりの重量がある。


(ふつうに可愛い……)


 二次元の存在が三次元こちらに現れたかのようだ。こうも再現性が高いと――


(フィギュアのパンツは買った人だけに見る特権があるという……)


 ちょっとだけ、ちょっとだけ――と、お人形を天高く持ち上げてみるが、スカートが邪魔をして肝心なところが見えない。では逆さにしてみたらどうだろう。


 ――それはきっと、若気のいたり、若さが招いた過ちだったのだ。


「あ」


 ふさっ……、と何かが床に落ちる。


 ……髪だ。


(ぎゃあああああ……!)


 銀髪がきれいに脱毛し、気付けばお人形はスキンヘッド。たまごみたいな形の頭部はつやつやである。なんなら切れ目まで入っているし、頭部が一部ずれている。


(グロ画像だスプラッタだ……!? 頭が切断されたみたいになってる……!)


 おまけに脳みそみたいなコードが頭の中から伸びていて……。


(こ、壊した……? いやそんな馬鹿な……)


 お人形を元の場所に座らせ、床に落ちた髪に手を伸ばす。拾うのには、多少の抵抗があった。だって、不気味だ。しかし、手に取ってみて気付く。これはいわゆるカツラではなかろうか。


(そうか、親父がなんか言ってたことがやっと分かったぞ。ウィッグか。好きな髪型に出来る訳だ。これを帽子みたいに被せるんだな)


 ズレた頭部も、どうやらマグネットが仕込まれているらしい。頭頂部がフタのような役目を果たしているようだ。位置を戻せば元通りなのだが、いったいぜんたいなんのための着脱なのか。


(そういう入れ物……? 頭の中に収納できる感じ?)


 覗いてみると、機械のようなものが入っている。コードもそれに繋がっている。


(なんだろう、目が光るとか音が鳴るとか、そういう装置か? 逆さまにしたせいで外れたっぽいけど、これどうしよう……)


 機械はともかく、頭のフタが外れる理由は分かった。どうやら首――ボディと接続するためにあるようだ。ヘッドパーツにボディパーツを固定するためと思しき金具がある。それから、眼球――アイパーツの交換も頭部を開いて行えるのだろう。

 そして、例の機械の一部は片方のアイパーツと密着していたようだった。それが今は、外れてしまっている。


(なんだこれ……? レンズ? カメラ? スマホ通して撮影できるとか? それともやっぱり目が光る感じか……)


 空洞の頭部内ぎりぎりに収まっている、謎の機械。見ようによっては小型のカメラのようである。最近の玩具事情には疎いが、こういうハイテクなら二十万はしても不思議でないかもしれない。


 ともあれ、これどうしよう――


「貴緒ー、」


「!」


 部屋の外から孝広の声。とっさに機械を突っ込みお人形の頭を戻してウィッグを被せ、急いでベッドに潜り込んだ。


「買い物ついでに物件探ししてくるから、大人しく寝とくんだぞー」


「お、おー……」


 ドアの開く音。孝広が出ていく――ひとまず、危機は去った。


(焦った……。パンツ覗こうとしてさとりちゃんのお人形壊したとか、最悪すぎんだろ……)


 それもこれも、いろいろ溜まっているせいだ。


 今更だが、お巡りさんに没収されたエ口本が惜しい……。


(……そういえば、返してほしければ交番に取りに来なさい、と去り際に鼻で笑われた――)


 出来るもんなら、みたいな感じだったのを思い出す。


(今後のことも考えると、俺にはあれが必要なのでは? そうだよ、むしろそのためのエ口本じゃんか。ちょうど親父も外にいったし、交番行ってさくっと返してもらえば――)


 ――やっぱり、熱があったのかもしれない。

 だから、そんなことを考えてしまったのだろう――




 交番を訪れるには不釣り合いな格好――目深に被ったニット帽、サングラス、マスクという不審者ルック――で、貴緒は人目を忍びながら近所にある交番を訪ねた。


 こういうことは初めてなので、いったいどういう風に声をかければいいものか迷ったが、とりあえず昨日のお巡りさんさえ見つければなんとかなるだろう、という甘い考えだった。そんな考えを抱かせるくらいには、昨日の彼女に親しみを覚えていたのかもしれない。


 交番にいたのは、男性だった。

 めちゃくちゃ気まずかったが、知らない女性よりはマシだったのかもしれない。

 不審な格好の上、こんな時間に何をと怪訝そうにされたが、風邪を引いていると答えるとあっさり警戒を解いてくれた。顔が赤かったためだろう。熱のせいばかりではないが。


「あ、あのう……お、落とし物をですね、取りに。えっと、女性のお巡りさんっていますか?」


「女性のお巡りさん?」


 微笑んでいるのか半笑いなのかよく分からない、人好きのしそうな笑顔である。お巡りさん、という呼び方が変だったのか。


「うちには、女性はいないよ」


「え」


 じゃあ昨日のあの人は――


「ははは、冗談冗談」


「…………」


「大丈夫、いるいる。今はちょっと出てるけどね」


 うわ、警察官コワっ。一瞬、違う交番かとも思ったが、どうやら杞憂だったようだ。


「落とし物っていうと、黒い袋かな?」


「あ、はい。たぶんそれです」


「中身は分かる? 一応、本人確認のためにね」


「え、えっと……ほ、本です……二冊……」


「うん、オーケイ。じゃあ……こっちの書類に記入をお願いしてもいいかな」


 落とし物を受け取るだけだからすぐに済むと思っていたのだが、事務的な手続きが必要になるようだった。どういうかたちであれ、警察の記録に自分の名前が残ると思うと、なんだか不安になってくる。拾得物・エロ漫画。


「書きました……。ごほごほ」


 咳が出てきた。演技ではない。


「じゃあ、これだね」


 と、見覚えのある黒い袋を渡される。


(ふう……。あとは外出したことが親父にバレなければ……)


 男性警官に挨拶をして、交番を出る。パトカーが停まっていた。ちょうどパトロールから帰ってきたのか、中から女性のお巡りさんが――


「……ん?」


 出てきたのは、知らない女性ひとだった。服装は、お巡りさんのそれだ。でも、昨日の女性じゃない。


「――――」


 ゾッと、鳥肌が立った。交番に戻って確認したい気持ちを抑え込み、帰路を急ぐ。寒気がした。


(〝落とし物〟はちゃんとあった。なのに、お巡りさんは別人……? いや、他にも女性がいるのかも……でも一つの交番にお巡りさん三人もいるものか……?)


 歩きながら、念のため袋の中身を確認する。重さや形から例のブツだと決めつけていたが、まったくの別物である可能性も――


(別物だぁ……!? 『ライトノベルの作法』に『アウトライン化で簡単創作』……だと!?)


 本のサイズは同じだが、例のブツとは似ても似つかない参考書――いや、待て。


(中身は……エ口本だ……)


 カバーだけ違っているが、中身は以前見たアレに間違いない。義母に妖女だ。ちなみに開いたのはたまたま日常のシーンだった。とはいえ二冊ともしっかり真面目なカバーをしたエ口本だ。むっつりスケベだ。


(お巡りさんの気遣い、か……? だからさっきの人も普通に接してくれた……)


 なんだか全身の力が抜けていくようだが、それはそれとして、だ。


(中身が本物なら――)


 昨日の彼女に、何かおかしな点はなかったか。


(……そういえば、やけに到着が早かったな? 防犯ブザーが鳴って、それで誰かが通報したとしても――たまたま近所にいた? 変質者の通報があったから――)


 思えば、落とし物一つでもあんな手続きがあったというのに、昨日は交番にさえ連行されていない。手錠の鍵を忘れてきたというのもおかしな話ではないか?


(……いや、いやいやいや……)


 疑惑は生まれるばかりだが、さすがにそれはないだろうと理性が否定する。あれがお巡りさんじゃなければ、他になんだというのか――なんのためにお巡りさんの格好を……。


(……へんしつしゃ?)


 ……お巡りさんの格好コスプレした――変質者?


(変質者は、お巡りさんだった……?)



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