2 独創的アリバイ構想
人を殺したら、こんな気分になるんだろうか――
湯上がり直後より幾分か気持ちが落ち着き、つい数分前に覚えた〝何か〟について冷静に分析することが出来た。
リビングで刑事ドラマを見ながら、
実際ちょっとぼんやりしていた。頭も二回洗ってしまった。寝ていたのかもしれない。嘘はついていない。それに救われた。
意識的に呼吸しながら、すぐ隣……同じソファに座り、テレビに顔を向けている女の子の横顔を盗み見る。
さとりちゃんには――間違って触れた、そういう風にもとれる、ぎりぎりのラインだったはずだ。まだ、何か言われるレベルではない――さながら、誤って人を殺してしまった直後に証拠を隠滅する犯人の気分である。
さとりちゃんがお風呂に入ってきたのは、どうやら見たいドラマがあって、その前にお風呂を済ませてしまいたいが、貴緒がなかなか出てこないため強行突入した……ということらしい。貴緒が出た時、ソファでは例のキャストドールが場所取りしていたのでそれは確かだと思われる。
(完璧な、事故だ。そう思われてる。なんなら、一緒に風呂入るくらい仲良くなったって、思われてる、はず。今だって、一緒にテレビ観てるんだ)
問題があるとすれば――
(さとりちゃんは……たぶん、何も、言わない。だから、中であったことは、大丈夫、バレない)
体の内側をなぞられるような、言い知れぬ気持ち悪さに襲われる。
しかし、過ぎたことだ。忘れよう。次は、ない。もう、こんなことはしない。この気持ち悪さを知ってしまったから、二度と、こんなことは――
(別のことを、考えよう。ドラマ、観よう。そのために、風呂、入った)
毎週、なんとなく見ている。特別好きという訳でもないが、見逃すとなんだか損をした気分になるから、欠かさず見ている。ドラマって大体そういうものだ。今放送しているような刑事ドラマは一話完結が多いので、一回見逃しても大した問題はないが、翌週になるとやっぱり見逃した感を覚えるものである。
だから、今日も見る。先日の別のドラマはソファを占拠されていたのもあり譲ったが、いつまでも録画している訳にはいかない。録ったはいいが観るタイミングもないし、今後のことも考えて「観る姿勢」があることをアピールしなければ――というのは完全に、普段通りを装うための言い訳で、いわゆるアリバイ作りに等しい。
ともあれ、観たい(そして忘れたい)のは事実。
テレビに意識を向ける。
今日の内容は、過去に起きた誘拐事件をきっかけに起こる殺人の話。過去と、現在、二つの誘拐事件がリンクするのだ。まだ平和だった頃……先週観た次回予告では、確かそんな感じのあらすじだった。
(自分の親が本当の親じゃないかもしれない、か――)
誰もが幼少期に抱くそんな妄想が、調べてみると事実だった……という内容だ。
別に共感なんてしないが、「死んだ母親が実はどこかで生きているかも」なんて想像はしたことがある。そんなことを思い出しながら、面白おかしい刑事たちのやりとりを眺める。
(……誘拐)
ちらり、と隣のさとりちゃんを見る。一人分のスペースを空けて、隣に座っている。テレビの真正面にあるソファなので、ドラマを観るために仕方なく座っているのだろう。でなければ、貴緒ともっと距離をとっていたかもしれない。分からない。この子が何を考えているのか。
(……家族が増えると、家族が誘拐される、なんていうシチュエーションも起こりうるのか……)
ただの妄想だが――そういえば今日、警察とかかわりをもってしまった。これが物語なら、ちょっとしたフラグとして機能するのではないか。
(……俺が小学校まで迎えに行ったのも、妥当な判断だよな……? 不審者出たっていうし、誘拐されるかもだし。というか――)
ドラマはドラマ、フィクションの話だと分かっている。高校生なので。しかし、考えずにはいられない。特にこうした不安定な心境が続いていると、ネガティブな考えに囚われやすくなる。
(不審者が仮にさとりちゃんを狙っているとしたら……それって、なんのためだ?)
ドラマの内容から、変な想像が生まれる。刑事たちの推理とも雑談ともつかないやりとりが、貴緒の中の何かを刺激する。
(……離婚して、子どもを手放した父親が……娘を、奪い返しに? さとりちゃんも人間なんだから、親がいるはずだよな? 父親――これっぽちも、そういう話は聞いてない。生きてるのか、故人なのか。そもそも、美聡さんは結婚してたのか?)
というか――逆、では?
(美聡さん、電話に出たのがお巡りさんだって聞いた時、めちゃくちゃキョドってたよな。電話聞いてた感じだと……声が上ずって、たぶんスマホ落として……まあ当然の反応かもしれないし、俺だってああなるとは思うけど――もし、もしも……何か、後ろめたいことがあったとしたら?)
最近特に後ろめたいことばかりの自分だからこそ、あの時の美聡には何か共感のようなものを覚えたのだ。
たとえば――美聡さんの方が、だ。
(離婚した時って、だいたい親権は父親側に行くよな。何か、問題がない限りは。少なくとも、生活能力のある方に。……美聡さんはどうだ? あるか? あの人たぶん、レシピ見て分量とか完璧に計らないと何も出来ないタイプだぞ? お菓子はつくれても、家庭料理は厳しい感じ。結局なんだかんだで俺と親父が料理当番してるし……)
あくまで、ただの想像だ。自分でもどうかしてると思う。
しかし、そういう疑惑を思い浮かべるくらいには――あるいは、そういうことを考えるようになって初めて、何か怪しい、と。
(俺は、美聡さんについて何も知らない)
最初から、立希が言っていた。明言こそしなかったが、暗に怪しいと告げていた。あれはたぶん、突然の親の再婚話について困惑しているだろう貴緒のため、あえて相手側を悪く言ったのだろう。立希なりの気遣いだ。半分は、ただの冗談だとしても。
(住むところがなくなったなら、一時的でも、別れた元旦那に娘を預かってもらう、とかしないか? 夫に問題があった? 暴力的な夫から逃げてきた……? さとりちゃんがこんなに無口で、目が死んでるのもそこに理由が……? そういえば、帰りに変な電話を――ううん……)
ヤバい。怪しさ満点だ。底なし沼みたく、考えれば考えるほど疑わしくなってくる。
一番気になるのは、
(うちの親父は何を、どこまで知ってるのか――好きな相手に貢ぐっていうのは、まだ許せる。恋は盲目っていうしな。むしろ盲目だからこそ……でも、騙されてカモにされるっていうのは、俺まで飛び火するからな。放っておけない。介入する、大義名分がある)
ちょっと、耳を澄ませてみる。顔はテレビに向けたまま、意識はダイニングで話している孝広と美聡に集中する。
二人はドラマを観るこちらを気にしてか声のボリュームを落としていて、おまけに二人揃ってそれぞれのスマホに目を落としているものだから、話す声はまるで独り言のようにぼそぼそとしている。
もしかして、今日のことを話しているのか? それを考えると嫌な感じに脈拍が早くなるが――うまく聞き取れないものの――
……病院どうだった?
薬は飲んだけど……。
明確に聞き取れたのは、それだけ。確認をとるため、相手に向かって話しかけていたからだろう。この部分だけ声も少し大きかったのだ。
(え? 病院ってなんだ? 薬? どっか悪いのか? どっちが? 美聡さん?)
というか――ふと、閃く。
(まさか、妊娠……?)
それは、単なる思いつきだった。CMに赤ちゃんが映っていたせいかもしれない。
(急に一緒に住み始めたのも、再婚を意識するようになったのも――子どもが、出来たから……? うわっ、あり得るぞ? あり得なくないか? 待て待て、気が早いぞ――むしろ、妊娠したって言って近付いてきた――前の旦那の子どもって可能性もある……)
これは
そう、考えすぎだと、笑い話にしてくれるはず――
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