6 こどものおもちゃ
「わーばくんっ」
――と、クラスの女子に声をかけられたことなんて、これまでの人生で一度もなかった。
そのため最初は何かの間違いかと思い、
「
朝の教室である。
貴緒は席に座った。物足りないって、何がだろう。というか今の悪口? いじめ?
隣で椅子を引く音がする。さっきと変わらない明るいテンションで、「無視すんな」と低めの声がした。ぎょっとしてそちらを見れば、ニコニコ笑顔。
「な、なんすか……? えっと、
ニコニコ顔の春羽さんである。隣同士なので口をきいたことはあるが、特に親しくはない。隣といってもすぐ真横にある訳ではなく、人ひとり通れるくらいの間隔が空いている。理由がなければわざわざ声をかけるような距離ではないのだが――春羽さんはこちらに腕を伸ばし、
「これ、プレゼント」
「?」
そういえば昨日も誰かから何かもらったな、なんだっけ――受け取ったのは、小さな紙袋だ。ファンシーな柄である。
「何これ?」
え? もしかして春羽さん俺に気があるの? ――と、前の席の幼馴染みに助けを求める。こちらを見ていた
「それ、和庭くんに渡してって」
と、春羽さんが言う。
「……誰が?」
教室に目を向ける。春羽さんと一緒に登校してきたクール系の女子がちょうどこちらを振り返った。春羽さんの前の席だ。確か、
「さっき、靴箱の前で……つるペタ幼女について話してたら」
「これ渡されたのー。そのつるペタの人に渡してって」
「朝からなんつー話してんの……。というか、つるペタの人って」
中身なにー? と聞かれたので、テープをはがしてみる。中を覗きながら、誰からもらったのかたずねると、
「マスクにサングラスかけてた」
「あからさまな不審者じゃん。そんなヤツ校内にいて、いい、の――」
「たぶん、中等部の子かなー?」
「ロリコン」
なんだか悪口を言われた気もしたが、袋の中身を見てしまったらもう、何も耳に入らなくなった。
「高一が中学生と付き合うのはロリコンになるのか?」
立希が珍しく擁護してくれているが、それも頭に入らない。
「で、なんだったのー? 配達料代わりに教えてよー」
「…………」
「青くなってんじゃん。……いやほんと、冗談じゃなくてマジで、見て分かるくらいに顔色悪いけど、どうした?」
「いや、なんでもない。うん。気にしないで」
機械的な動きで、紙袋を机の中に仕舞った。きょとんとしている女子たちに囲まれていたが、そんな状況を素直に喜べないような――恐ろしいものが、入っていたのである。
ことあるごとに「あれなんだったのー?」と普段まったく話さない女子にちょっかいをかけられ、「あいつがいない隙に覗こうぜ」とかのたまう幼馴染みを警戒しほとんど席を立てないまま――放課後を迎える。
実を言えば鞄には昨日のエ口本が入りっぱなしで、もうなんだか爆弾でも抱えている心地で貴緒は校門を抜けた。
すぐにでも帰宅したい――いやどこか、一人になれる場所で一息つきたい――
そんな時である。
「ねえ、聞いた? 近くで不審者が出たんだって」
「小学校の近くでしょ? 妹が心配だし……あたし、迎えにいこうかしら」
行きかう生徒の流れの中で、偶然耳に入ったやりとり。校門の傍で立ち話をしている、中等部の制服を着た少女たち。貴緒は思わず足を止めた。
(不審者……。小学校……。そういえば、うちの前でも――いや、でもあれは……――うーん……俺もさとりちゃんが心配だ)
心配といえば、あの子はいつも家に一人でいる。一応奥の部屋に
(友達とか……。俺ですら、母さん死ぬ前は普通に友達と遊んでたのに……)
そういう意味でも心配だ。行き違いになるかもしれないが、ちょっとそこまで、様子を見に行こう。いい気晴らしにもなる。
(ついでに、どこかいい感じの人目につかないところで、あれを捨てて……。さすがにうちには持ち帰れない)
という訳で、ちょっと距離はあるものの、さとりちゃんの通う小学校の方向へと歩き出したのだ。
――ある女の子が、自分たちの後をつける不審者の存在に気付いたのは、和庭貴緒が学校を出て十数分後のことである。
友達を誘って近くの公園に入りながら、女の子は声を潜めて、
「
そう言うと、女の子はランドセルにぶら下がっている――大量の防犯ブザーを取り外した。
そして、
「今よ!」
手榴弾のピンを外すように一気に紐を引き抜くと、防犯ブザーを周囲に投げ放った。
一斉に鳴り出す甲高いアラーム。警告音の大合唱。巻き込まれた和庭貴緒は思わず叫んでいた。
「違う! 俺は怪しいものじゃない!」
「走って! 立ち止まっちゃダメよ、居曇さん!」
一人の女の子が逃げる足を止め、叫ぶ少年を振り返っていた。
その目は死んだように生気が感じられなかった。
「ストップ! ストップ! ああもうこれどうやって止めるんだ!?」
公園のあちこちに散らばる様々な形の防犯ブザー。色も大きさも違えば、音を止めるボタンの位置も違っている。それらに貴緒が苦戦していると、
「そこの不審者……! 大人しくしなさい!」
どこからかそんな声が聞こえたが、防犯ブザーに気を取られる貴緒の耳に入らず、
「大人しくしろっつってんでしょ……!」
「ぐぇっ……!?」
突如として横合いから襲ってきた飛び蹴りをまともに喰らい、和庭貴緒は吹っ飛んだ。
――これは、夢だ……。
地面に体を押し付けられ、片腕を捻り上げられながら――和庭貴緒は思う。
恐らく騒ぎを聞きつけやってきたのだろう、お巡りさんらしき女性に取り押さえられている。その様子を、小学生の女の子たちに見下ろされているという、この状況。
女の子のうちの一人はといえば、父親の交際相手の娘……さとりちゃんだ。これが悪夢でなくてなんだというのか。
「お巡りさん、この人よ! さっきからずっとあたしたちの後をつけてたの!」
「通報にあった変質者ね」
……変質者は、俺だった……?
がちゃり――と、金属音。背中に回された手首に何かがつけられる。
(何……? この状況……?)
頭の中が真っ白になる。全ての感覚が遠ざかるように、防犯ブザーの音が一つ、また一つと止んでいく。このまま意識を失ってしまうのではないかと思ったが、ブザーが止まったのは単に、爆弾魔みたいな女の子が手ずからブザーにピンを刺して回っているためだった。
「あら……?」
と、頭上で声。
「勢いで手錠かけたのはいいけど、慌ててたから鍵を忘れてきちゃったわ」
あ、今ガチで手錠かけられてるんだ、と貴緒は思った。
「立ちなさい」
腕を引っ張られる。言われるままに立ち上がる。まだこの状況に頭が追い付かない。
どこへ連れていかれるのだろう。捕まるのか。それでも俺はやってない。何が? 何この状況?
「ここで大人しくしていなさい。すぐ戻ってきますので」
と、公園の片隅にある鉄棒に手錠の片方をかけると、お巡りさんは足早に公園から去っていった。
「…………」
あとには鉄棒に手錠で繋がれた男子高校生と、三人の女子小学生だけが残された。
鉄棒の握り棒の部分に手錠がかけられているため、貴緒は片手を上げるような格好で地面に座り込んでいる。意識して手を上げていないと手首が痛いが、小学生を見上げているこの状況は心が痛い。
貴緒を見下ろす三人は、揃ってワンピースタイプの制服を着ている。仲良しという訳ではなく、近所の小学校の制服だ。それでも、放課後一緒にいるということはそれなりに親しい仲なのだろう。さとりちゃんにも友達がいたのだ。
当初の懸念は解決したものの――
(あ、死にたい……)
一瞬だけ――さとりちゃんの冷たい瞳を見てしまって、貴緒は心底から気まずい想いに襲われた。もう顔を上げられない。目の焦点が合わないくらい眼球が震えている。底なしの失望を目撃した。地獄だ。最悪だ。
パシャっ、とカメラのシャッター音。
スマホのカメラだろうか――他人事のように聞き流していたが、
(え?)
思わず顔を上げると、小学生たちがスマホを手にこちらを見ていた。ツインテールの爆弾魔と、マスクをつけた垂れ目の女の子。パシャパシャと連写している。
「なっ……ちょっ、やめろ……! やめてください!」
動かせる右手で顔を隠す。逃げ出そうとすると手首が痛む。
フラッシュまで光っていた。連行される犯罪者を思い出した。ニュースで見た事がある。こういう気分なのか――この世で一番味わいたくない気分だ。
ひとしきりシャッター音が鳴り続けた後、とことんまで心を削られた貴緒の耳にこんなやりとりが届く。
「ほら、居曇さんも撮って! いざという時の保険になるわ! まあ、あたしたちが保存してるから大丈夫だけどね! ……いい? 居曇さんに何かしたら――」
ツインテールの女の子は得意げに、そしてその隣のマスクの女の子は貴緒と目線を合わせるように屈みこむと、
「わるーいこと、したら……この写真、ネットで拡散しちゃうからね?」
惨めな姿を晒す男子高校生の写真である。その女の子はスマホを軽く振ってから、もう片方の手で貴緒の頭をぽんぽんと撫でる。そして、マスク越しでも分かる、うっとりとした笑みを浮かべた。
「いい子で待ってよぅねー? ろりこんの、おにぃさん?」
――心底から、ゾッとした。
(ヤバい助けて、早く帰ってきてお巡りさーん――!)
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