2 小学生と同室ですか?




 日曜日のこの時間、普段なら夕食の準備を始めようかという頃――和庭わば貴緒たかおは、父と、その交際相手の女性と向かい合っている。


 父とはどこでお知り合いに? お仕事は何を? 

 ……等々に、孝広たかひろが「お見合いか!」「お袋か!」などと突っ込むなどしてそれぞれに緊張を解して、ようやく――


「それで、美聡みさとさんたちはなぜうちに来ましたのですかね?」


 日本語がおかしくなる。父に対して話せばいいのか、それとも美聡にたずねればいいのか、頭の中で混線してしまったのだ。そしてそんなどっちつかずな問いかけに、大人二人も困惑しながら、


「実はですね、わたくしども……現在、住むところがありませんでして……」


「それで父さんが『だったらうちに来ませんか』と誘って、今日から一緒に住むことになりました」


 ずっと言いたかったのだろう本題を口にして満足する孝広だが、物事には順序というものがある、というように横の美聡が肘で小突く。こういうやりとりが出来る仲なのか、と貴緒は少し感慨深くなった。

 本題についてはだいたい予想通りだったので驚きはないが、それがはっきりしただけでも人心地つけた思いだ。しかし「どういう経緯でそうなったのか」が判然としていないとまだちょっと落ち着けない。


「えーっと……先日、大きな台風がありましたよね」


 言葉を探すように視線を泳がせながら、美聡がゆっくりとした口調で話し始める。


 二週間ほど前にこの地域を襲った台風については貴緒もよく覚えていた。この辺りでも大雨に暴風が吹き荒れ、市内の他の地域では河川の氾濫で避難警報が出ていたらしい。後日、テレビを見ていると珍しく見知った地域の名前がニュースに出ていたのも印象深い。


「避難勧告が出てたんだけどね、まあ大丈夫っしょ、と高をくくっていたら――うちのアパートは川の近くだったので、思いっきり浸水してしまいました。おまけに、上の部屋の窓が石か何かで割れて、そこから雨が打ち込み、そのせいでうちは天井からの雨漏りに見舞われるという……」


 美聡が遠い目をしている。浸水被害の様子はそれこそニュースで見ていたので貴緒にも想像できた。


「その清掃やら何やらもありますが、そもそもが古いアパートでして……この際だからと、大家さんがリフォームを決めて……住むところがなくなった我々はいろいろ転々としていたんですが、さすがにこのままではいけないと、孝広さんに相談しまして」


「じゃあうちに来たら? ということになったのがつい昨日のことなわけだ」


 なるほど、事情は分かった。それはご愁傷さまです、と思いはしても口に出ることはなかった。話を呑み込むのにまだ少し時間がかかっている。処理中だ。

 二人がこちらの様子を窺うように遠慮がちな視線を向けているが、貴緒の視線は宙をさまよう。とりあえず、異論はない。うん、と頷く。それから、


「じゃあ……部屋はどうする?」


 たずねると、二人がほっとため息をもらした。


「私は……孝広さんと同じ部屋でいいんだけど――」


 まあ交際しているのだからそれでもいいだろう。問題は、さとりちゃんだ。


 このマンションは2LDKで、部屋の一つは孝広の寝室兼、仕事部屋。もう一つは貴緒が使っている。


 さとりちゃんは女の子である。見ず知らずの赤の他人(しかも年上の異性)である貴緒と同室なのは抵抗があるだろう。では、どうするか。孝広と美聡と同じ部屋、というのはさすがに狭すぎる。

 他人の子どものために自分の部屋を明け渡すというのはなかなか難しい選択だが、ここは大人の対応をすべきか、と貴緒は考えてみる。自分はリビングで寝起きするとして……しかし寝ているところを美聡などに見られるのは気恥ずかしい――いろいろと今後についてシミュレートしていると、


「さとりちゃんは……貴緒くんと同じ部屋でもいい、って言ってるんだけど――どうかな……?」


「え」


 思わずリビングに顔を向けるが、当の少女は相変わらずこちらに構う様子がない。今は少しうつむき加減になっている。寝ているのかと思えば、どうやらスマホを触っているようだ。今時の小学生といった感じである。


「いや、まあ――」


 理想を言えばきっと、美聡はさとりちゃんと、貴緒は孝広と相部屋にした方がいいのだろう。貴緒はといえば、今日会ったばかりの女の子と相部屋になるよりも、これまで通り一人部屋を満喫したい。


 しかし――この家の家主は、父だ。孝広だ。なんなら強権発動してこちらの意思など関係なく美聡たちを住まわせることも、相部屋にすることも出来ただろう。最悪、貴緒を追い出し独り暮らしさせることも出来た。そうはせず、突然連れてきたにしても一応こちらの意見を聞いてから今後について決めようとしていた。家族として、同居人として対等に、こちらの立場を尊重してもらっている。


 ならばここはもう、父の顔を立てて――ファーストコンタクトに大失敗したので正直めっちゃ気まずいのだが、貴緒はさとりちゃんとの相部屋を受け入れたのだった。


「じゃあ、そうと決まったら……部屋、片付けないと。いやその前に夕飯の……」


「へえ……貴緒くん料理できるんだ……へぇー、ほーぅ」


「せっかくだから今日は出前とるか! 寿司にしよう寿司。ピザでもいいぞ」


 何やら継母(予定)の意味ありげな呟きが聞こえたが、それは「どうせ男の料理でしょう? お手並み拝見といきましょうか」みたいな感じか? 舐めてかかっているのだろうか? それならこちらにも意地がある――とは思ったが、用意するのは四人分だ。量を増やすだけとはいえ、そもそも材料が足りるのか、アレルギーとか好き嫌いはないか。というか普段の適当な料理を振る舞うのはちょっと抵抗があり――


 部屋の片づけなどもあって、夕食は出前のお寿司を食べて珍しく贅沢し、緊張の反動か酒を飲み酔っ払った大人二人が静まり返った頃。


(小学生とはいえ、女の子と同じ部屋で眠る夜……)


 貴緒はベッドに、さとりちゃんは床に布団を敷いて、眠っている。寝息は聞こえない。どきどきと、自分の心臓の音だけが響いている。苦しい。息が出来ない。動けない。体が動かない。金縛りだ。緊張によるものだろうが、それだけではない。


(俺が動くと、ベッドのスプリングがきしみを上げる……慣れないものを食ったせいか呼吸すると腹が鳴る……)


 お腹の音を聞かれるのが恥ずかしいのもある。しかしそれ以上に、明日は月曜日だ。聞けば、さとりちゃんの小学校はここからだとバスを使って通うことになるらしい。遅刻は出来ない。それに、慣れない環境で眠るのだ。すぐには寝付けないだろう。貴緒だって部屋に他人がいるというだけでこうして悶々と頭を悩ませて眠りにつけないのだから、いくらさとりちゃんが子どもでも、いやむしろ子どもだからこそ……。


(あぁ……電気消すタイミング、ミスったかなぁ……。ちゃんと声かければよかった。布団敷いてたからもういいかなって思ったけど――)


 結局、一回も口をきいていない。まともに直視すら出来ていない。まるで無視するような態度をとってしまった。いろいろと、悩ましい――これからどうしよう?


(これから、これからか……。親父が美聡さんと結婚したら、この子、俺の義妹いもうとになるってこと、だよな……?)


 立希りつきに話したらなんて言うだろう。羨ましがるだろうか。明日会ったら朝一番に話そう。そう考えると沈んでいた気持ちも……、


(いやでも、『なんなら私も妹だが?』とか言われそうだな……? そうだ、ラインするか。あ、スマホつけるのはマズいか。起こすかも……)


 そうこうしているうちにいつの間にか朝になっていて、気づけば部屋には貴緒しかいなかったのである。




「いや、なんで緊張するんだよ。私と寝たことあるだろ」


 ――と、火薬たっぷりの発言で近くのクラスメイトをざわつかせながら、貴緒から昨日の出来事を聞き終えた立希は、


「なんなら姉貴とも寝てたじゃん」


 語弊しかない爆弾発言に、昼食中の女子が飲んでいたお茶を噴いた。


「それは昔の話だろ……。いろいろ気を遣うんだよ。俺も大人ですからね?」


 気を遣った結果、今朝は寝坊したのであるが。

 遅刻こそしなかったが、弁当の用意までする時間がなかった。昨夜の夕飯が出前だったせいもある。普段なら夕飯の残りを詰めるからだ。


 しかし、それにしても――なぜ誰も起こしてくれなかったのか。

 まあ遅刻する時間でもなかったし、そもそも孝広は貴緒より起きるのが遅い。それでも同じ部屋にいたさとりちゃんなら……。

 気付けば、さとりの姿はどこにもなかった。美聡もだ。おまけに朝はばたばたしていたのもあって、二人の存在をすっかり忘れていた。既に家を出ていたのか――あるいは、最初からいなかったのか、なんて。


 正直、今でも昨日のことは夢だったのではないかという気がしている。


「夜逃げしたのかもな?」


「お前なぁ……」


「いやむしろ、夜逃げしてきたのかも。家が浸水したなんて、それこそニュース見てでっち上げたのかもしれないし」


「…………」


「冗談だよ。でも普通思うだろ? お前のおじさん、引きこもりなんだから。いつ出会いがあるんだよ」


「まあ……確かに?」


 傍からすれば確かにそう思われても仕方ない。あれで一応、出る時は連日外出しているし、引きこもりとはいえ無職ではないのだが。


 一応、出会いのきっかけは「仕事関係で」とは聞いた。美聡はどんな仕事をしているのかとたずねれば、「自営業」だと答えた。今思うと、自営業なんて幅が広すぎて答えになっていない。立希なら「自宅警備員も自称・自営業」などと言うのだろう。


「それに、若い女が子持ちのおっさんに近づく理由なんて一つしかないじゃん。……まあ、相手も子持ちっていうなら納得だけど。子持ちって婚活とかで不利な条件だけど、子どもにご飯あげたりプレゼントを買い与える口実にはなる。相手の子どもに貢ぐことで良い父親アピールが出来るって点で、場合によっちゃ有利に働く訳か」


「なんか急に生々しくなったな……。うちの親父が貢いでたと君は言うのかね?」


「実際、昨日は寿司だったんだろ?」


「……確かに」


 寿司なんて、スーパーの値引き品以外で食べた覚えがない。最近の外食といえば、貴緒の卒業祝い兼、高校合格祝いで焼き肉に行ったくらいだ。


「案外、後妻業ごさいぎょうだったりしてな」


「ゴサイギョウ?」


「要は、遺産目的に結婚する女ってこと。結婚詐欺みたいなもん」


「いくらなんでも言いすぎだろ……。だいたい、うちにそんな金……」


「貯めこんでるかもしれないじゃん」


「確かに……」


 言われてみれば――昨日は雰囲気に呑まれてしまったが、あの親娘、不審な点ばかりである。


「放課後が楽しみだな……お前ん家、家財道具一式なくなってるかもしれないぞ?」


「やめろよ……なんかコワくなってきた」



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