第1章
1 小学生は幼女ですか?
……ハッ――と、目を覚ます。
場所は学校、教室。時刻は昼。昼休みだ。
……あれは、夢だったのか?
口元の涎を拭いながら、ぼんやりした頭のまま、周囲に目を向ける。みんな、お昼をとっている。その様子を見た
購買に向かう前に、トイレに立ち寄った。
この学校のトイレは照明が程よい明るさで、清潔感もある。高校に入学して早くも二か月経つが、今のところ一番落ち着ける場所だ。それがトイレという社会のエアポケット。お気に入りのおひとり様スポット。さすがに人がいると気まずいが、とりあえず今は自分だけ。ほっと一息ついてから、顔を洗って眠気を払う。
鏡を見ながらぼんやりしていると、何かを思い出しかける。何か、いい感じの夢を見ていた気がする。雲をつかむようなイメージ。手探りするように思い出そうとするのだが、追いかけるほどに逃げていく。何かこう、幼女が……。
廊下から人の気配がしたので考えを打ち切り、貴緒はトイレを出た。そのまま真っ直ぐ校舎一階の購買へ向かう。普段ならお弁当を持参するのだが、生憎と今朝は寝坊してしまい準備する余裕がなかった。それでも、普段からそもそも早起きのため遅刻こそしなかったが、寝不足だったのか結局この時間まで居眠りしてしまった次第である。
無事に購買で昼食を確保し、急ぎ足で教室へと向かう。忘れていた夢の輪郭を思い出したのだ。
貴緒の席は窓際の一番後ろ、五十音順でこのクラスでの一番最後の『わば』のためだ。そしてその前の席には『
金髪だし目つき悪いしでヤンキー然とした雰囲気をした少女だが、実はただの隠れオタクである。今もお昼なのに早弁するかのように教科書を立ててスマホを隠し、イヤホンを繋いで動画を観ている。後ろからは丸見えだが。『izmn』という配信者の動画だ。
貴緒はそんな彼女に声をかけた。
「なあ
「…………」
無視である。
貴緒は自分の席に座り、買ってきたパンの袋を開けながらめげずに声をかける。後ろから背中をつつくなどする。これが他の女子なら自主規制もするが、相手は幼馴染みなので特に遠慮しない。
「どうせアーカイブだろー、リアルな友人とのライブなトークを大事にしようぜー」
「はぁ……」
あからさまなため息をもらしてからイヤホンを外し、真渡立希はようやくこちらを振り返った。
「なんだよ。朝から人がいくら話しかけても反応しないかと思えば、今の今まで眠りこけてた人間のクズが」
「そこまで言う……? いや、まあ、その、ごめんなさい……」
きっと貴緒が半分寝ているとも知らずに一人でいろいろ話しかけ、反応がない理由を知って赤面したことだろう。くすくす笑う周囲の様子まで想像した。幼馴染みを恥ずかしいヤツにしてしまったことに多少の申し訳なさを覚える。いやまったく、自分なら恥ずかしくてもう、まともに顔も上げられなかった。
「で、なんだよ」
ぶっきらぼうな口調だが、これがデフォルトなので特に機嫌が悪いとかではないようだ。
「聞いて驚け――」
宝くじが当たったような喜びを表現しようと多少のタメをつくってから、
「俺に、つるペタ幼女の妹が出来たんだ……!」
じゃーん、と心の中で効果音。
「……は?」
真顔で返される。
「だからな、つるペタ幼女な妹が、」
「繰り返すな、声のボリューム落とせ馬鹿っ」
抑えた声で割と厳しめに突っ込まれた。周囲から……特に近くの席に女子たちから、「つるペタ……?」「幼女……?」などという声がちらほら。さすがに場を弁える。
「それとな、お前は何か勘違いしてるようだから一応言っておくけど、『つるペタ』は幼女につける枕詞でもなんでもないからな。"見たら"、リアル犯罪だからな。……見たのか、お前?」
「……、い、いや……」
ジッと睨まれると思わず目を逸らしてしまうが、神に誓って何も見てません。
「それと、『幼女』なんてワードは社会一般では『幼女誘拐』とかそういう不穏な使われ方するんだよ。迂闊に口にしていい言葉じゃないんだ。……分かったか? 分かったら私はアーカイブに戻るから」
「いやちょっと待てよ。冗談じゃないんだ。これ、リアルな話。すごくない? 妹」
貴緒としてはそれこそ宝くじにでも当たったような喜びというか、盛り上がる話題のつもりだったのだが、幼馴染みの反応は実に淡白で、
「一応言っておくとな……理論上、弟や妹は、出来る。私にも弟がいるし、なんなら姉もいる」
「……そう、っすね……」
俺には金髪ハーフの幼馴染みヒロインがいる、などと謎の対抗が浮かんだが、「お前に攻略できるレベルじゃないから」と魔王面されるのが目に見えていた。
「まだ苗字が変わったって話の方が面白い。……これまでお前のこと『和庭』って呼んでた連中が、急に『
「…………」
なんかもう言い返す気も起きなかった。
「……苗字は、変わりませんね……。なんなら、再婚すらまだしてませんね……」
「そもそも、妹が出来たから、何? どうなる? うちは弟が出来たから引っ越すことになったけど、特に面白い話でもないだろ。実は転校生とか、年が近いならともかく、相手は子どもなんだろ? ラブコメにもならん」
「…………」
きれいな宝石、宝物だと感じていたそれが、実はただのガラスの破片だったと知ったかのようながっかり感。なんだか論破された気分だ。
「というか、再婚すらしてないんなら、まだ妹じゃないじゃん」
「ド正論……」
泣きたくなった。
夢を見ていたのかもしれない。
「夢じゃねえの? 寝てただろ、お前」
「…………」
夢だったかもしれない。なんだか、そんな気がしてきた。
――改めて、トイレで顔を洗った。
それから、父親のいるダイニングに向かう。
ダイニングのテーブルには父・
なんだか両親からお説教でもされるような絵面になっているが、どちらかというと立場は逆である。聞きたいのは、なぜこうなったのかという経緯。説教でもするような気難しい顔になって、貴緒は訊ねた。
「えーっと……これは、どういう事態で?」
父とはどういう関係で? ――なんだか息子の連れてきた女性に詰問するお母さんみたいだな、と思いつつ。
休日の昼過ぎ、突然自宅を訪ねてきた謎の女性。手荷物というには多すぎる荷物を伴ってやってきたのはいったいどういう了見か。そしてリビングに見えるあのシルエットはいったい。
「まず、」
と、最初に口を開いたのは孝広だ。
「この人は、父さんがお付き合いしている、
やたらと口調が硬いのは、親父も緊張しているのか。「美聡さんという人です」と美聡さんという人が続けて頭を下げる。
「で、あっちにいるのが……」
「娘のさとりちゃんです」
美聡がそう言って、ペコリとまた頭を下げる。
さとりちゃん――リビングでソファに座ってテレビを見ている女の子。それとなくこちらの様子を窺っていたようだったが、貴緒がそちらに顔を向ける時にはもうテレビに視線を戻していた。
「…………」
しばし、間があった。
自己紹介が済んで、会話が途切れてしまった。ここは自分も名乗るべきか、と一瞬思うのだが、相手は既に貴緒の名前を知っている。何も知らないのは自分だけだ。じゃあ何かたずねるべきか、と思い至り、
「あのー……いくつ、ですか?」
「え?」
美聡が固まる。隣の孝広が口パクで「お前は何を言ってるんだ」と突っ込んでいるし貴緒もやらかしたと背筋に冷たいものが走ったが、聞きたいのはそういうことではなく、
「え、いや、あれ……あの――さとりちゃん? 何年生、なのかなーって……」
小学四年生――と。
それを聞いた立希が難しい顔をする。
「小学生は幼女なのか?」
「え?」
「女児だろ。児童だろ。小学生はもう幼女じゃないだろ」
「えー? そうかー?」
「たとえばな、『コナン』の少年探偵団。あれが小一。
「幼女……では? うーん……」
「ちなみに、まる子ちゃんと、わかめちゃんが小三だ。……幼女か?」
「……女児、かなぁ……」
というか、同い年なんだ。そっちの方が驚きだ。立希は別に知っていた訳じゃなく、手にしているスマホでいま調べたのだろう。それにしても、とっさに出てくる例えが実に絶妙だった。
「で、うちの弟と、
「児童だなぁ……」
ここまで聞いてくると、同じ国民的アニメで、
さとりちゃんは、小四だ。
「お前の妹は幼女じゃない」
「俺の妹は幼女じゃなかったのか……」
「そもそも、まだ妹じゃない」
まだ赤の他人だった。まだ。ここは強調しておきたい。
「……それで? それからどうなったんだよ。私としては、小学生女児より義理の母の方が気になる」
「お、おう」
幼馴染みが乗ってきたので嬉しくなって、貴緒は昨日の話を再開した。
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