16 お山

「時空のおっさんを信用するのもどうかと思うが、現状これしか頼りになる情報がないのも事実だ」

 安野から〈お山〉に菊花がいると聞き出したと、安野に自我があることを伏せて百舌に伝えると、怪訝な顔をしながらもそう口を開いた。

 安野に自我があることは菊花も私以外には話していない。口外しないほうがいいだろうと判断した結果、情報の信頼性が大幅に低くなって伝わってしまったが、百舌の決断は早かった。

 私が現世で死ぬはずだった原因である黒い太陽――空亡。それを操っているのが〈お山〉の現世清浄僧団という集団だと、たしか菊花が言っていた。

 空亡はもともと、日本怪異妖怪保全会が作り出した最終兵器だという。だが情報寄生体との戦いに敗北した結果、空亡を奪われ終末兵器として転用され、今では別の異界の手に渡っている。

 そのため、〈きさらぎ駅〉と〈お山〉には浅からぬ因縁がある。ひとのものを盗ったら泥棒という至極当然な憤りを〈きさらぎ駅〉はずっと腹に据えかねている。

「〈お山〉にいるならこっちから動ける。あそこに行くためのルートは、実はずっと確保してあるからな」

 百舌の言葉に少しばかり背筋が冷える。いつかカチコミをかけるために虎視眈々と機会を窺っていたということではないか。だが百舌は菊花を連れ戻すため、即座にそのチャンスを放棄することにしたらしい。

「さて、じゃあ私が〈お山〉に行くことになるが、あんたはどうする? 美桜」

 異界の中では魑力は使えず、魑解のみ使うことができる。だから直接異界に乗り込むメンバーは、魑解に至った者にしか務まらない。〈きさらぎ駅〉で魑解に至ったのは、いなくなった菊花、百舌、そして私の三人しかいない。

 ならば当然。

「行きます。というか、百舌さんこそここを離れていいんですか?」

「あのアホを連れ戻すためなら仕方ない。もちろん私はあのアホみたいな漂流は絶対にしない。今回は菊花が〈お山〉にいるという情報があって、私らに行って帰ってくる手立てがあるからこその特別措置だ。だからもし、〈お山〉で菊花を取り逃がしたら、そこで〈きさらぎ駅〉としての追跡は終了」

 思い詰めた私の顔を見て、百舌はやれやれと溜め息を吐く。

「だから今ここで全力を注ぎ込む。成功率を上げるためにも、人数は多いほうがいい」

 うなずくと、電車が到着した。

「電車で行けるんですか?」

「だったら楽なんだけどな。一回現世に出て、そこから〈お山〉に向かう」

 百舌とふたりで電車の座席に腰かけ、見送りにホームにやってきた〈きさらぎ駅〉の面々と無言で決意をひとつにする。別の異界に向かう私たちは、決死隊と同義であった。

 まだあまりひとが乗ってきていない時点で百舌は立ち上がる。次の駅で降りると言われ、私も立ち上がってドアの前に移動する。車内案内に表示された駅名を見て、私はなんとなくこの先の険しさを察した。

 電車を降り、インチキICカードを使って駅を出る。緑と土と水の匂いがむわっと全身を包む。

 この駅は、誰も使わないことである種有名だった。駅舎を取り囲む木々というよりは森に押しつぶされそうな居心地の悪さを覚える。標高が高いせいか気温も低い。空気はたしかに澄んではいるのだろうが、それ以上に濃厚な生と死骸の醸し出す空気が重くのしかかる。

 見ての通りのとんでもない山の中。かといってキャンプ場やハイキングコースがあるわけでもない。少し山を下ったところにある小さな集落の利用客のためだけに残されている秘境駅。

 百舌はあろうことか、集落とは逆方向に歩き出した。いや、予想はしていたが、まさか、本当に山に突っ込んでいくのか。

 案の定、すぐにアスファルトの道から外れて、鬱蒼とした山の斜面を登り始めた。現世にいるおかげで魑力によって足腰をブーストさせることはできたが、それでも装備も何もない状態で山登り――というより山狩りを敢行するのは無茶がすぎる。

 いったいどれくらい無言で斜面を登り続けただろうか。私が声を出そうとする都度、百舌はさっと手を出してそれを制してきた。周囲は見渡す限りの木。そこから落ちた葉が腐った土を踏むふかふかとした感触は、一刻も早く菊花を見つけだそうとしている私をむやみに苛立たせる。どこを見ても山の中。これだけの時間登ってきたのなら、もう頂上に着いていてもおかしくない気がする。

 急な斜面を登り切ったところで大きく息を吐く。同時に、それまで私を支えていた足腰が急に力を失って大きくよろける。この斜面を落ちればほぼ間違いなく死ぬ。

「やっと着いたな」

 百舌が私の手をつかんで引っ張り上げる。そのままふたりして平らな地面に腰を落とし、しばらく息を整えた。

「魑力が使えないだろ?」

「あっ――」

 大した体力もない私をここまで動かしたのは、魑力によるブースト頼みだった。魑力は現世でしか使えない。今まるで足に力が入らないのは、魑力の巡りが消え去ったから。

「〈お山〉はその名の通り、かつて私たちにとって最も身近で最も恐れられた異界だ。山の中。そこで見当識を失うことが、ここに迷い込む条件だったんだけど……さすがに疲れた……」

 初めてほかの異界に入ったが、特にこれといった変化は感じなかった。〈きさらぎ駅〉で生活していた時も変化らしい変化はなかったと認識しているが、異界はその異界が持つ世界観を中の人間に強制することを知っている身としてはどうしても身構えてしまう。

 そんな私の顔を覗き込んで、百舌はほう、と唸る。

「答えはまだ聞いてなかったけど、どうやら聞く必要もなさそうだな」

「なにがですか」

「ほら、美桜が〈きさらぎ駅〉に協力する気があるか、っていうの。〈お山〉に入っても〈お山〉の世界観が適用されてない。一度固定された異界の世界観は別の世界観で上書きできない。あんたはもうこっち側だったってこと」

「それは――〈きさらぎ駅〉の世界観が勝手に適用されてるだけなんじゃ?」

「それもある。あるが、世界観が固定されるっていうのは、その異界にどっぷり浸かってないと起こりえない。異界に迷い込む話でもとの世界に戻ってきた当人がその話をできたというのは、異界の世界観が適用される前に帰還できたからだ。もちろん異界に行って発狂した話もたくさんあるが」

 あるんかい。

「だけどきさらぎ駅というのは、駅ということからもわかるとおり、行ったことが体験談として消費できる程度の異界ということになる。私たちが開拓した〈きさらぎ駅〉の世界観が固定されるということは、協力してもいい、という意志が固まったからだと判断していいからそう判断しとく」

 話し終わった百舌は立ち上がり、異界と化した山の中を見渡す。

「じゃあ行くか。カチコミ」

 百舌の視線の先には、巨大な塔が建っていた。

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