15 そういうシステムですから

 異界という世界には涯がある。世界と世界の間に浮かぶ泡のようなものが私たちがいる異世界で、真っ直ぐに歩いていけば世界を一周せずに、境界面と呼ばれる端っこにたどり着く。

 その境界面付近に湧いて出る異界の監視システムが時空のおっさんであり、本来彼らに意識は存在しない。おっさんの姿をしているが実態はシステム化された怪異のようなものであり、こちらの言動に合わせて相手をもとの世界――この場合は今いる異界の中心部に戻そうと会話を行うようになっているだけ。

 百舌から説明を受け、だからやめておけと言われたが、私は確信を持って時空のおっさんに会いに向かった。

「安野さん!」

 駅から離れた道路で声を張り上げる。

「何」

 目的の男はすぐに現れた。あからさまに不機嫌な顔をして、ぼさぼさの半白頭と上半身スーツ下半身ジャージといういつもと変わらない恰好。

 時空のおっさん――安野。この男には、人間としての意識がある。なにより、菊花に魑力の扱い方を教えたという過去からも、百舌たちの認識する時空のおっさんとは一線を画す存在だとわかる。

「菊花がどこ行ったか知りませんか?」

「知らない」

 即答。だが言葉の間と声音から、すぐに気づく。安野は『菊花がどこに行ったか』を知らないと答えただけにすぎない。

「菊花、ここに来たんですね」

「けども」

 やはり菊花は別の異界に渡るため、安野に助力を求めに来ていた。あとはこのおっさんからどこまで情報を引き出せるかが勝負だ。

 安野の――人間としての――しゃべり方は、主語や述語を容赦なく省き、最低限の単語数で会話を行おうとする。幸い私はまだそのしゃべり方についていくことができているが、一瞬でも気を抜けばあっという間に置いていかれる。なにより重要なのは、こちらの言葉で安野の返答をわかりやすく誘導すること。

「菊花が別の異界に行こうとしていたこと、知ってましたか」

「止めた」

 おそらく何段か先に跳んだが、まだ大丈夫。

「でも今日、安野さんに手助けを求めに来たんですよね」

「断った」

「それで、菊花はどこに――」

「知らない」

 最初に戻ってしまったが、これまでの会話で得られた情報から堂々巡りにはなっていないと判断する。

「もし、私が菊花を追いかけようとしたら、どうしますか」

「駄目」

 と、言う――ということだろう。

「ってことは、菊花はもう、別の異界に渡ったあとなんですね」

「む」

 安野が少し眉を上げる。私の洞察に驚いたのではなく、自分の発言に先回りされることに慣れていないだけのような気がする。

「でも菊花がどこに行ったのかは知らない――ここから別の異界に渡ると、やっぱりでたらめな場所に出るってことですか」

「うん」

「じゃあ私も、何度も異界を渡っていれば、そのうち菊花に会えるってことですよね」

「駄目」

「菊花は行かせたのに?」

「止めても」

 無駄だった――と言いたいらしい。

「なら私も同じです。まだあいつをぶん殴ってないので」

 溜め息。そして、急に笑顔。

「こんにちは。こちらは時空のおっさん管理システムです。内部からの不正なアクセスを確認中です。システム内部に発生した異常のため対応には若干の時間がかかります。時空のおっさんの異世界広汎監視リアルタイム情報へのアクセスを許可しますか? 魑力認証システムにより対象人物の現在地を特定。警告。これ以上の不正アクセスは時空のおっさん全体のシャットダウンを招き――」

 また急に真顔に戻る。呆気に取られた私に向かって、安野は短く告げる。

「〈お山〉」

 そこに菊花がいる。安野は危険な橋を渡ってまで、菊花の居場所を突き止めてくれた。感謝すべきなのだろう。だが、それ以上に。

「それ、なんで菊花にやってあげなかったんですか」

 菊花が出奔した理由は、千歳という女を捜しだすためだという。安野は時空のおっさんのネットワークに侵入し、異界全体から菊花を見つけ出した。同じことを千歳を対象に行えば、すぐに行くことは難しくとも、菊花は目的地を設定することができた。

「無駄」

「はあ?」

「あの女は」

「時空のおっさんの監視網を使っても見つからない――ってことですか」

「うん」

 時空のおっさんの監視網がどれほどのものなのか私は詳しくないが、菊花を即座に発見するほどの精度があるのはたしかだ。その監視に引っかからない女――千歳。菊花が捜しているのは、幽霊みたいな相手だということはわかった。

 いや、「みたい」なんてレベルじゃなくて、とっくに死んでいてもおかしくない。異界に入った時点で私たちはみんな死んでるようなものだけど、そういう意味ではなく、もっと単純な、ここに構築されている肉体の死。

 安野に真実を聞くのはためらわれた。聞いたところで素直に答えてくれるとも思えないし、今のところ死んでいると明言していないのがどうにも怪しい。時空のおっさんといえど異界のすべてを把握しているわけではないだろうし、安野の手にすら余る存在だとしても不思議ではない。

「ありがとうございました。一回みんなにこのことを伝えて、〈お山〉に行けないか聞いてみます。駄目だったら、手ぇ貸してください」

「やだ」

 心底いやそうな顔をして、安野は荒れた道路の先で消えた。ひょっとしてあそこが境界面なのだろうか。最悪あそこを乗り越えて、異界を漂流することになるのかもしれない。少なくとも、菊花はそれをやった。

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