第6話 内包

アカツキとの修行から一週間経ち、セイドは再び地下の修行場に来ていた。まっすぐここに来ていいとは言われたものの、ここに来るまでに当然アカツキと顔を合わせた。そこで先に行っているよう言われたため、ここで待っていた。


そこからそこまで待つことなくアカツキが現れた。ただ前回と様子が違う。前回通りならば木刀を持っているはずだが、今回は赤い麻ひもが巻かれた大きな瓢箪ひょうたんと透明なガラスのコップを持っていた。


「それはなんですか」


そう聞くと、アカツキはそれに答えるよりも前に気になっていたことを聞いてくる。


「それより君は僕に対して敬語になったりタメ口になったり安定しないね。それはいったいなんでだい?中途半端に敬語使うくらいならタメ口でいいよ」


その瞬間自分の口角が上がるのがわかった。このときはじめてアカツキは自分が尊敬されていないことに気づいていたとわかったのだ。我ながら鈍いなと感じるが、これは自分のアカツキに対する歪な認識のせいだと無理やり結論付ける。


「わかった。ならそうさせてもらう」


こうして口調が安定したところで改めてアカツキから説明がなされる。


「この瓢箪には仙水という特殊な液体が入っている。今回はこれを使った修行だ」


これに対し俺は異を唱える。今日も模擬戦をするつもりで来たのだ。そのためのシミュレーションもこの一週間で何度もした。しかし今回の修行は何よりも優先されるものだ。アカツキからそこまで強く言われてしまったうえ、この修行が終われば模擬戦をしてもいいということで従うことにした。


「まったく。それが教えを乞う者の態度かい?まあいいや。まずはその場に座ってくれるかい?君が一番自然体でいれる姿勢がいいかな」


その指示に従い俺はその場で胡坐の姿勢で座る。すると唐突に頭の上にアカツキの持つガラスコップが置かれた。すると落とさないようにねと釘を差され、そこからコップの中に瓢箪の中の液体、仙水が注がれる。


「俺はいったい何をさせられてるんだ?」

「今から君にはその姿勢のまま無心になってもらうよ」

「……それだけ?」

「それだけ」


色々聞きたいことがあったし納得もしていないが、この状態で質問するのも煩わしいため後回しにする。


頭上のものを落とさないよう気を付けながら目を閉じて無心になる。普段のイメージトレーニングの弊害か何も考えないようにするのに苦労したが、それでも時間が経てばだんだんとコツがつかめてくる。


30分ほどかけて、ついには完全な無心状態になった俺。それによって周りの状況どころか自分がどうなっているのかも掴めなくなった。


(予想はしていたけど、これは想像以上かもな)


アカツキの目の前では衝撃の光景が広がっていた。セイドの周りに漂いだす黒い靄。それは意志を持つかのように自由に、それでいてセイドから一定以上離れることなく存在している。するとその黒い靄は吸い込まれるようにして仙水に溶け込み、仙水は漆黒に染まる。これこそが仙水の効果。近くのものの負の感情を顕現、視覚化したうえで吸収する。




そんな不思議な光景になっているとも知らず、俺は無心状態の中、力が抜ける感覚に襲われていた。かといって胡坐が崩れそうになる感覚もない。それでも何とか無心を保とうとするがそんなことは関係とでもいうかのように懐かしい景色が現れる。


それは俺がまだ力も知恵も持たないガキの頃。俺を救ってくれたあの日のアカツキの姿。理解の外の動き。まったく目で追えない、でも次々倒れる敵。その背中に憧れた。


(そう、これだ。俺はこれを守りたい。取り返したいんだ)


久しく忘れていた純粋な感情。きっとこれが、俺の行動原理。いつしか目的だけを追うようになったことでなくしかけていた。今の俺にはなぜこんな状況に、そしてこんな感情が湧いてきているのかわからないが、アカツキの仕業、仙水とやらのせいだろうとは察しがついていた。


そんなふうに俺が察し始めたところで、目の前の景色のアカツキがこちらに向かって手を差し伸べる。その手を取ろうとした瞬間俺の手は空を切り、目の前の景色が一瞬で消える。




気づけば今現在のアカツキが目の前に現れる。どうやら意識が戻ったらしい。「目覚めたみたいだね」と笑いかける彼の手には漆黒の液体が入ったガラスのコップがあった。するとそんな俺の視線に気づいたアカツキが自分の持つ液体の説明をする。


「これはね、君の負の感情を溜め込んだ仙水だよ。これだけわかりやすく負の感情だけを抜き取った君は、いわば純粋だったころの状態なわけだ」


しかしそのあと「まあ、正確には違うけどもね」と続ける。というのも感情が自分の中で生まれるためには原因が必要になる。セイドが負の感情を抱える主な要因は傲慢さ。自分が気に食わないことを、具体的で効率的な道筋を立てて確実に捻じ曲げようとする。傲慢さは感情ではなく生来の特性。ちょっとしたことでも顔を出し、今もなお着々と負の感情を生成する。それでもかなりピュアな状態には変わりないが。


「それで、こんな状態になってどうするんですか?」

「次は君の能力を底上げするために『錬気』の操作をマスターしてもらうよ」


憧れの感情がかなりの割合を占めるようになったことで自然と敬語になってしまった俺が、このあとの動きについて聞く。すると『錬気』という聞いたことのない単語が出てきた。そこで『錬気』についての説明がされる。




『錬気』とは体内をめぐる不可視のエネルギーのことで、これをうまく操作できるようになれば、基礎能力の底上げができるという便利なものだ。一般的にはあまり広まっていないものだが、相当センスのある者であれば自力で辿り着いていたり、無意識で操っていたりすることもある代物である。知識がなくとも操れてしまうケースが存在するのには明確な理由がある。それは『錬気』が生成される仕組みに秘密がある。


「心は元気だが、体がついていかない」や「体はまだまだ動くが、精神的に参っている」ということが普段生活していれば誰しも体験したことがあるだろう。心と体のエネルギー残量が同じである状態を理想とするならば、前述した二つの例は無駄があるといえるだろう。このときに発生する差分こそが『錬気』である。

心の錬気を鍛えるか、体の錬気を鍛えるかはそれぞれ人にあったほうを選ぶ。簡単に言えばその人の好みと向いているかどうかを判断基準とする。心の錬気を鍛える方法はストレス負荷と発散のループ、体の錬気を嫌える方法は体の細胞破壊と再生の繰り返しだ。


そして今回セイドが鍛えるのは心の錬気。しかし心の錬気を鍛えるためには負の感情が強すぎた。負の感情は心を鍛えるうえでの負荷、ストレスとしてカウントされるのだが、セイドの場合はこれまでにストレスが発散されたことがない。そのためにアカツキは荒療治を施したのである。




アカツキの説明された『錬気』について心当たりがあった。俺がいつの間にかやっていた謎のエネルギーの循環。そのエネルギーの正体が『錬気』だったに違いない。そしてなかなか実践投入できなかった原因はアカツキが拭ってくれた。


「これは。まさかもう『錬気』を自在にコントロールできるのか」


アカツキの前ではセイドの体が白い光を纏っている。これが錬気を掌握しているときの、正確には正の感情による錬気を掌握しているときの特徴だ。錬気のコントロールは感情のコントロール。制御が困難な負の感情は一時的に取り除かれているが正の感情だけでも制御は簡単ではない。それを目の前の少年は一瞬でこなして見せた。おそらく自力でそれらしいことはしてきたのだろう。


「ありがとう、アカツキさん」


唐突な感謝の言葉。それが何に対してのお礼か。アカツキにはわからなかったが、一つわかったことがある。セイドは今、生まれ変わった。それは見た目も、中身も。生まれてから現在まで、セイドは黒髪黒目黒服という全身黒ずくめの男だった。


だがこれ自体は別に珍しいことじゃない。虎狼騎士団は仕事の範囲が幅広い。その中には汚れ仕事も多く含まれる。そうなるといちいち身綺麗にするのも手間になる。もちろん普段から体を拭くぐらいはするが、服は汚いままのことも多い。それを虎狼騎士団の元団長であるアカツキも当然把握している。だからセイドの見た目に関しては気にも留めていなかった。


そんなセイドが今は髪の色、瞳の色が真っ白に変わっていた。だが見た目以上に変わっていることがある。それは視野。自分の状態を誰よりも詳細に把握できるようになったのだ。そしてこの視野こそが負の感情をコントロールするうえで重要となる。


「それは返してもらうよ、アカツキさん」


そういってアカツキが持つ漆黒の仙水に掌を向ける。すると仙水は己の帰巣本能に従うかのようにセイドへと入っていき、気づけば右半身だけが元の黒色に戻っていた。


「うん、これが俺だ」


そういうとセイドは改めてアカツキにお礼を言って、今日のところは帰るのだった。




セイドが帰ってしばらく。セイドを止めることができないほど呆気に取られていたアカツキはやっと我に返る。


「まさか、あれほどとは」


やっとの思いで漏れ出す言葉。今から十五年前、あの村で見つけた一人の子供。あのとき本当は王都まで連れていくことを検討していた。でもできなかった。リスクが高かったからだ。でも今なら問題ない。僕は腹をくくった。仙水すら使った。本来ならもっと手を差し伸べるつもりだったが、ここまできたらもうあとは見届けるだけ。彼が具体的に何を成そうとしているのかは知らない。だが関係ない。彼を選んだ以上俺は導くだけ。それが僕の最期の役目だ。

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