9 侯爵令嬢の訪問

「ご機嫌よう、ヨーク公爵令嬢。突然の訪問をお許しくださいませ」


「ご機嫌よう、バイロン侯爵令嬢。とんでもないですわ、ようこそいらっしゃいました」


 わたくしは客間にてバイロン侯爵令嬢を迎えた。

 侯爵令嬢は上品な深い真紅のドレスを着ていて、まるで昨日の薔薇園から生まれた妖精のようだ。彼女は艶のいい黒髪と少しきつめの顔をした美人なので濃厚なドレスがよく似合う。



 紅茶を一口飲んだところで、わたくしは深々と頭を下げた。


「侯爵令嬢、昨日はお騒がせして大変申し訳ありませんでした」


「そんな……頭を上げて! とんでもないことですわ!」


「ですが、侯爵家の皆様にもご迷惑をお掛けしましたし……」


「全然迷惑じゃないわ! こちらこそ、ゲストに気を配れなくて悪かったわ。もう体調は大丈夫なの?」


「はい、一晩眠ったらすっかり元気になりました! お気遣いありがとうございます」


「それは良かったわ。あなたのお兄様が賊に襲撃されて大怪我を負ったって聞いたの。そんな大変なときにお茶会に足を運んでくださってありがとう。まだ心が落ち着かないのでしょう? それなのにあたくしったら挨拶が済んだら放っておいてごめんなさいね」


「いえ、侯爵令嬢のせいではありません! わたくしが自身の体調管理もできずにいたのが悪いのです」


「違うわ! あたくしの不手際よ!」


「いえいえ、わたくしの――」


「あたくしの責任よ!」


「…………」


「…………」


 わたくしと侯爵令嬢はしばしの沈黙のあと、


「「ふふふふふっ」」


 互いに見つめ合いながらくすくすと笑った。


「お互いになかなか頑固のようですわね」


「そのようね。あたくしたち、似た者同士かもしれないわね」


 わたくしは頷いた。たしかに前回の人生では二人ともプライドの高い高位貴族令嬢で、同じ相手を好きになって顔を合わせるたびに嫌味の応酬だったっけ。裏を返せばわたくしと侯爵令嬢は育ちや趣味嗜好が似通っているのだと思うわ。


「ねぇ、あたくしのことはダイアナって呼んで?」


「では、お言葉に甘えて。わたくしのことはシャーロットとお呼びくださいませ」


「えぇ! そうさせていただくわ。よろしくね、シャーロット様」


「こちらこそ、これからよろしくお願いいたしますね、ダイアナ様」


 わたくしは思わず顔が綻んだ。

 前回の人生で叶わなかった令嬢の友人を作るという夢が思わぬところで叶ったからだ。それも、犬猿の仲だったダイアナ様と。なんだか不思議な気分だ。でも、昨日は彼女ともっと話したいと思っていたので純粋に嬉しい。


「あのね、シャーロット様、実は今日伺ったのは昨日の約束を果たすためなの」


「約束、ですか?」


「そうよ、約束! ――あれを持ってきてちょうだい」


 ダイアナ様が後ろを向いて手招きすると側に控えていた彼女の侍女が両手いっぱいの大きな包みを持ってきた。


「刮目しなさいっ!!」と、彼女は勢いよくその包みを開けた。



「うわぁっ……!!」


 わたくしは目を見張った。そこにはとても豪華な薔薇の花束があったのだ。濃いピンク色の瑞々しい花がぎゅっと詰まっている。薔薇のいい香りが周囲にふわりと広がった。


「あなたをイメージした薔薇の花束を渡すって言ったでしょ?」と、ダイアナ様はウインクした。


「素晴らしいです……! 美しくて……濃いめの色が力強いかんじ」


「そうなの! 女性らしい華やかさと凛とした美しさ……シャーロット様のイメージよ?」


「わっ、わたくしですか!?」

 にわかに顔が熱くなった。は、恥ずかしいわ! わたくしなんて、そんなに褒められるような令嬢ではないのに……。


「ふふっ」ダイアナ様はしたり顔をした。「あたくしは初対面のときから分かっていたわ。シャーロット様は控えめに振る舞ってはいるものの、その内には貴族としての芯の強さがこの薔薇のように咲き誇っている、って」


「そんな、大袈裟ですわ」


 わたくしは困惑しながらもダイアナ様から薔薇の花束を受け取る。改めて間近で眺めると、めらめらと燃えるような情熱的な迫力があった。


「ダイアナ様、本当にありがとうございます。とっても嬉しいです」


「喜んでもらってよかったわ。また家にも遊びにいらっしゃいな」


「はい、是非!」



 それからわたくしたちはいろいろな話をした。

 二人とも身分が近いのもあって、すぐに打ち解けた。ダイアナ様からは社交界の噂話などの多くの情報を教えてもらった。

 情報は大事よね。前回の人生では孤立無援が災いして情報を得られなくて王太子たちの策略に嵌められたから、今回はしっかりと情報収集をしなくては。





「おや? お客様かい?」


 わたくしたちがお喋りに夢中になっていると、アルバートお兄様が部屋に入って来た。


「お兄様、こちらはダイアナ・バイロン侯爵令嬢よ」


「ご機嫌よう。バイロン侯爵家の長女、ダイアナと申しますわ。お見知り置きを」と、ダイアナ様は立ち上がってカーテシーをした。その優美な姿にわたくしもお兄様も思わず惚れ惚れする。


「僕はアルバート・ヨークだ。こちらこそよろしく」


「大変なお怪我をされたと伺いましたわ。具合はいかがですの?」


「心配してくれてありがとう。ご覧の通り包帯を巻いているけど、大分よくなったよ。最近はリハビリを兼ねて庭を散歩しているんだ」


「そうなのですね。早く快方に向かうことを祈っておりますわ」


「ありがとう、侯爵令嬢」と、お兄様はにこりと笑った。


「お兄様、こちらを見てくださいまし! ダイアナ様からいただいたのです。素敵でしょう?」

 わたくしはピンクの薔薇の花束を見せた。お兄様は目を見張る。


「これは凄いね! 見事な薔薇だ。妹から聞いたけど、君が直々にお世話をしているんだって?」


「は、はい……」と、ダイアナ様は小さく頷いた。「お恥ずかしい限りですわ……令嬢が庭いじりだなんて、あまり大きな声で言えませんもの」


「そんなことないよ! 僕は素晴らしいことだと思うけど。ね、ロッティー?」


「そうですわ! 気にすることなんてないと思いますわ。こんなに見事な薔薇を育てることができるなんて、魔法みたいで素敵だわ」


「か、買いかぶりすぎよ……!」と、ダイアナ様はうっすらと頬を染めた。


「そんなことないよ。それに薔薇は植物の中でも育てるのは難しいと聞くし、それをこんなに美しく成長させるというのは本当に凄いことだと思うよ。――そうだ、初対面の君に言うのは失礼かもしれないけど、一つお願いがあるんだ」


「お願い、ですか?」と、ダイアナ様はきょとんと目を丸くした。


 お兄様はこくりと頷く。

「実は僕は薬草を育てていてね。どうしても発育の悪い株があって、よかったら君にアドバイスをして欲しいんだ」


 アルバートお兄様は前回の人生も今回も薬草の研究をしていた。お兄様は医学や薬学に興味があるらしく、日夜勉学に励んでいる。

 夢は庶民でも簡単に手に入るような安価な万能薬を作って国じゅうに普及させることらしい。実にお兄様らしい志の高い目標だ。


「アドバイスだなんて大仰なことですが……あたくしにできることがあれば喜んでお手伝いしますわ」



 わたくしたちはお兄様の管理する温室へ移動した。

 お兄様はちゃっかりダイアナ様をエスコートしていて、わたくしは仲睦まじい様子の二人のあとを空気のように一人付いて行った。ふ、二人とも、わたくしのこと忘れてない!?


「ここにある薬草なんだけど……」


 お兄様とダイアナ様は葉や土を触ったりしながら専門用語の飛び交う話をしていた。わたくしはまたぞろ一人取り残されて、温室の中をぶらぶらと見て回った。

 そういえば前回の人生でわたくしが起こしたらしいモーガン男爵令嬢暗殺未遂事件の一つに、使用した毒薬をお兄様が作成したって罪をでっち上げられたわ。今回はそのようなことのないようにしっかりと見張っていないといけないわね。



 二人は放っておくと延々と話していそうだったけど、お兄様の主治医が来て今日は解散となった。


 わたくしはバイロン侯爵家の馬車までダイアナ様を見送りに行く。彼女はなんだか落ち着かない様子でそわそわとしていた。


「ダイアナ様、本日はわざわざ足を運んでくださってありがとうございました」


「あたくしのほうこそ楽しい時を過ごさせてもらったわ」


「あの、よろしければまたお会いしていただけますか?」


「もちろんよ! 今日は時間があっという間に過ぎるくらいに楽しかったわ」


「わたくしもです」


「それで……その…………」と、ダイアナ様はもじもじと身体を動かした。


「どうかしたのですか?」


「あの……ア、アルバート様は、こ、婚約者はいらっしゃるのかしら……?」


「えっ!? ダイアナ様は第一王子のことを慕っているのではなかったのですか?」


「えぇっ!?」

 ダイアナ様は素っ頓狂な声を上げた。とても驚いている様子だ。


 わたくしは首を傾げる。

 彼女は前回の人生ではわたくしに負けないくらいに第一王子に熱を上げていた。今回も、同じく第一王子に一直線だと思っていたのだが……。


「そうね、確かに王子様には憧れはあるわ。ほら、あなたも幼いころにおとぎ話や王子様の絵本を読まなかった?」


「そういえば、たくさん読みました!」


 物語に出てくる王子様はどれも素敵で随分憧れたものだ。自分もお姫様になって王子様と結ばれたい、って。


「そうでしょう? あたくしもとっても夢中になって絵本を読んだわ。その影響あって王子様という存在に憧憬の念はあるけど、それが我が国の第一王子とイコールではないわ」と、彼女はくすくすと笑った。


「そうなのですね」わたくしはにこりと口元を綻ばせた。「お兄様はまだ婚約者はおりませんよ。わたくし、ダイアナ様の恋を応援いたしますわ!」


「そっ、そんな…………」

 ダイアナ様は薔薇のように顔を真っ赤にさせた。ややあって意を決したかのように真っ直ぐにわたくしを見つめる。


「あたくし、こんなに植物のお話ができる方は初めてなの。そ、それに、アルバート様は物腰が柔らかくて仕草も洗練しているし、知的なところも素敵ですし……だ、だから…………」


「はい! わたくしも微力ながらお二人が上手くいくように協力しますわ。ヨーク家とバイロン家では家門的にも釣り合いますし、障害は少ないと思いますわ」


「で、でもアルバート様のお気持ちもありますし……」


「ふふっ、大丈夫ですよ。兄のことは妹であるわたくしが一番理解していますから。あ、ゆくゆく兄の一番の理解者はダイアナ様になりますね。妹としては少々寂しくなりますわ」


「そんなっ! 気が早いわっ!!」


 ダイアナ様は陶器のような白い顔を真っ赤にさせて馬車へと飛び乗っていった。

 わたくしは笑顔で彼女を見送る。



 すぐにでも行動を起こさないといけないわ。

 もたもたして第一王子の婚約者に今回はダイアナ様がなってしまったら、王子と男爵令嬢の毒牙の矛先が彼女に向くかもしれない。


 早速わたくしは今日の出来事をお母様に話した。こういうことはお母様に言うに限るわね。お父様ったらこの手の話に鈍感なんですもの。

 お母様はきゃあきゃあと嬉しそうに聞いていた。普段は厳格なお母様も意外にこういう話は好きらしい。でもこれで二人の婚約の可能性が高まったわ。



 そして夕食後にお兄様がこっそりとわたくしの部屋に来て、ダイアナ様の婚約者の有無を尋ねてきた。

 ……これはもう、わたくしがお節介を焼かずとも決定のようね。

 

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