第3話 やりたくても出来ない

さて、今回は欠陥品ならではのお話と行きましょう。


仕事でも、趣味でも、果ては人間関係や性格的なものでも。


周りが出来ることが、あまりにも自分には出来ない。

手を伸ばしても伸ばしても、近づくどころか遠ざかっていく。


全ての批評が怖くなる。


出来ないことへの叱責

人と比べた時の劣等感

かけられる慈悲、慰めからの惨めさ

やりたくても出来ない事のやるせなさ


何度泣いたか。

何度、死のうとしたか。


普通に幸せになることが出来ない。

普通の人が普通に出来ることが出来ない。

出来たと思った事でも、それはやっとスタート地点に立てただけ。


私は『人それぞれ』という言葉が嫌いだ。


ふざけるな。

それは無意識の差別じゃないか。

優秀なものは皆、劣等品に『人それぞれだよ』と言うのだ。


ならば、言う通りに『人それぞれ』ならば、『人それぞれ』の才能に恵まれた奴らは神に愛されたいたとでも?

劣等品は愛されなかった、寄せ集めのゴミクズだと言うのか!

そして、その神に愛された奴らの背中を永遠と見せられなければならないのか?

自分には何も出来ないと知りつつ?


私が地を這いつくばってボロきれになって手に入れたものを、奴らは初めから持っているのだ。


そして、持ちながら、愚痴などを零すのだ。

私のものよりも、ずっとずっとワガママな悩みを。


死ねばいいと思う。


毎回、笑顔で聞いてはいい人を装うが、内心、死ねばいいと思っている。

当てつけにでもされてるのか?とも思う。


私は、欠陥品なりに、多少なりとも普通の人間になりたかった。


普通の事が出来て

普通に友人を作って

普通に愛し合える人を見つけて

普通に仕事をして

普通の人生を歩みたかっただけなのだ。


何故、何故出来ない?


その資格さえ、私には与えられてなかったのか?


どんなに足掻いても、この人生は沼から這い出でることは許さないらしい。


出来ない奴は、何をやっても出来ないらしい。


そして、私には、結局、何も残らなかったのだ。


何も、手元になんてなかった。

何も、誇れるものなんてなかった。


笑ってもらえればどれだけ楽か。


しかしそれは、悲劇にするにも、喜劇にするにも、中途半端が過ぎたのだ。


一つだけ、何があっても元気な振りは出来た。


私は、頑張り続けなければならない。


なぜなら、私は何も出来ないからだ。

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