第19話 覚醒

 騎士の手に握られていたのはハンスだ。

 全身至る所に切り傷がある。血が滲み青白い肌を朱に染める。

 生存が疑わしいレベルの負傷だ。


「何で…」

「1人で逝くのは寂しいと思いましてね。回収してきたのですよ」


 頭が真っ白に染まる。反して心、視界はより黒く、どこまでも終わりのない闇に包まれる。

 頭を抱え現実を拒絶するセリム。

 しかし、ハンスの姿が脳裏から離れない。


「何で父さんが…」

「俺のせい?」

「俺がこんなスキルを持って生まれたから?」

「何でこんな世界に生まれたの?」

「ユーリア教殺せば助かる?」

「神? 殺す? どうやって?」

「剣で斬ればいい? あれ。でも神ってどこにいるの?」

「神神神神神神神神神神神神ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」


 ハンスがここに居るということは騎士に負けたということ。一緒にいたシトリアがどうなったのかは想像に難くない。

 唯一の希望は師であるローウがここにいないことか。 

 大事な両親が死んだことには変わりない。

 セリムの心が堕ちるには十分だった。


 叫ぶセリムの体から禍々しいオーラが吹き出る。

 闇がセリムを覆い繭を形作る。


 繭の表面には血管のような線が幾本も巡り胎動している。

 まるでこれから新たな生命を生み出すようだ。


 胎動するたびに漏れ出す瘴気。繭が接する地面が汚染され黒く染まっていく。

 瘴気に侵された地はもう使い物にならないだろう。

 あらゆる生命が息絶えていく。


 瘴気は地面だけではなく、空気さえも汚染していた。

 掴んでいたハンスが腐敗していく。

 騎士はハンスを投げ捨て距離を取る。


 「まったく。これだから神敵者は災厄と言われるのですよ」


 繭の胎動が加速する。

 ドラムでも叩くかのように鳴り響く音。ただの音のはずなのに物理的な衝撃が発生する。


 音に呼応するように繭にヒビが入る。

 ヒビからはさらに濃い瘴気が漏れ、繭が完全に砕けた。

 新たな生命が生まれた。


 ――世界8番目の神敵者セリム=ヴェルグ。


 スキル、”災厄の種”が変化する。

 ありとあらゆるものを喰らう存在。

 神すら飲み込みし獣。

 神喰獣フェンリルへと。


 北欧神話においてフェンリルは主神オーディンを喰らった怪物。

 神敵者に相応しいスキルだ。


 セリムの体には入れ墨のようなものが背中から胸元にかけて描かれている。

 白目は黒く染まり、黒目は紅い。

 爪や歯は全てが鋭利な形に変形している。


 悪魔、魔王。

 その名がしっくりくる。

 

 セリムの視線は定まっていない。

 斜視のように左右違う方向を向いている。大凡理性というものが感じられない。

 時折漏れる言葉も意味をなしておらず赤子のようだ。

 

 「ギャjsjdvんsjkdvんわ!!!!!」 

 

 突然叫ぶセリム。

 体を覆っていた瘴気が広範囲に拡散する。汚染領域が拡大した。


 視線こそ向いていないが、セリムは騎士を捉えていた。

 一歩二歩と進み――突然倒れた。


 あまりの出来事に騎士も呆然とするしかない。

 先程までは命の危険さえ感じていたのだ。 


「これではただの獣ですね。まったく…」


 周囲の破壊痕を見ればより一層納得できる。

 セリムを起点に数十メートル範囲で、全てが消えている。


 騎士は体を覆う光のオーラによって瘴気の影響を食い止めていた。

 口元からは血が垂れている。無傷とはいかなかった。


(念の為に持ってきておいて助かりました)


 丁度トランプほどの大きなの物体。表面には十字架に天使を模したような絵が描かれている。

 瘴気の影響でところどころ砕けてしまっている。

 

「直接戦ったわけでもないのにこの威力… 神敵者というのはつくづく面倒な存在が多いですね」


 騎士の声は闇夜の森によく響いた。


 

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