第8話 恐怖と熱

 初めてローウの元に連れられてきてから半年が経った。

 成長発展なだけあり、スポンジが水を吸う如く成長するセリム。それでも今まで武術を嗜んでこなかったことを考えれば相応の時間がかかるのは仕方ない。


「まだ危ういが、いつまでも足捌きの練習するわけにはいかないからな。今日から次の修行に移行する」


 半年掛かりようやく次の修行、喜びも一潮だ。


「次は何ですか?」

「次は――実際に打ち合いだな。ハンスから聞いてるかもしれんが、儂の剣は我流だ。実戦の中で磨いていくことを主にしている」


 木剣はローウの家に置いてある。

 取りに行こうとしたセリムに待ったがかかる。


「もう昼だ。今日の修行はここまで。打ち合いは今度来たときだな」


 言われてお腹が空いていることに気づく。


 武術の経験がない以上、どうしても初歩的なミスが多い。それでは、強くなるのに時間がかかり過ぎる。


 出来得る限り集中し、修行をこなす中で目の前の事以外の情報をシャットダウンする癖がついた。

 今更になってお腹の状態に気づいたのはその為だ。


「ハハハ 正直なやつだな。昼食ってけよ」

「ありがとうございます」




(もう少し体を鍛えたほうがいいか? 出来る限り早く力をつけときたいし)


 昼食をごちそうになりながらこの後の予定を考えるセリム。


「そういや、セントレアのとこの娘っ子がお前さんと遊べなくて寂しそうにしてたぞ」


 ここ半年以上はほぼ修行漬けの毎日。

 年齢を考慮し2日に1回というペースだが、セリムは隠れて体を鍛えていた。

 目標を最優先にした結果だが、それが幼馴染であるルナにはお気に召さなかったようだ。


「遊んでる時間ないですし…」

「毎日修行しとるわけでもないんだ、少しくらい遊んでやっちゃあどうだ? せっかくの幼馴染、大切にしといたほうがいいぞ?」


 将来はきっと美人でいい女になる。


 ローウの直接的すぎる発言に苦笑するセリム。


「ロー師匠って案外クズ野郎なんですね」

「一応儂師匠だぞ?」

「師弟としての言葉ではないですから」

「ガキが言うようになったじゃねぇか」


 ハハハと笑うロー。


 このあとは筋トレの予定しかない。

 遊ぶこと自体は可能だ。


(でも、どう接すればいいんだよ…)


 誕生日のときにもそこまで話していない。

 原因はセリムが勝手に”子ども”に苦手意識を持っているから。


 子どもとは無力だ。

 そんな存在に接すると自分までそうなのだと錯覚してしまいそうになる。


「お前さんが両親やセントレア家の娘を避けてるのはなんとなく分かってる。理由なんぞ儂にはわからんが。だが、自身のことを想ってくれる存在は大切にしろ。じゃないと失った時に後悔するからな」


 ローの言葉はセリムを揺さぶった。


 前世を思い出す。

 母のことを大切にしていたつもりで本当は何も分かってなかった。理解できていればもう少し違った結果になったかもしれない。


 今世もそうなるとは限らない。

 もしそうなった時にセリム=ヴェルグはどうするのか。


「…少しくらいは遊んでもいいか」




 決心したのも束の間、セリムは後悔の只中にいた。


「ほら速く! 置いてっちゃうよ!」

「痛い、痛いよルナちゃん」


 手を引きずんずん進むルナ。

 目的地も告げられず不安が募るセリム。


(あの時迷わずに家に帰ってればよかった)



 時は10分前。


 ローとの修行を終え家に帰る途中にセントレア家を通る。


 家の前を通るとどう誘えば良いのか考えていないことに気づく。

 ウロウロしているところをルナの母である――カトレアに捕まり、ルナを勝手に呼ばれた。


心の準備が出来ていなかったセリムの否定の声は聞いて貰えなかった。


「ルナちゃん、どこ行くかくらい教えてよ」

「ふふん! とってもいいとこだよ。もうキラッキラしたものがいっぱいあるんだよ」


 小指サイズの石だ。

 ただし、紫色をしている。光に当てるとキラキラと光る。


(アメジスト? 宝石がいっぱい転がってるとか…ありえないな)


 辿り着いたのは森の手前、一際大きな木々が乱立するエリア。

 木々にはいくつも切り傷があり、そこを中心に紫色の石が複数落ちている。


「これ何?」

「わかんない! でもキラキラしてて綺麗でしょ!」


 本物の宝石など見たことがない。

 これがアメジストだと言われれば信じてしまうだろう。記念にとセリムも石をいくつか拾っていく。


 草葉が揺れた。

 振り返ったセリムは草葉の影から覗く二対の目に気づく。


(何だ? 動物か?)


 セリムの予想は外れた。

 草葉の陰から現れたのは緑色の肌をした子鬼――ゴブリンだった。


 体の至るところに切り傷を負っている。左腕に関しては二の腕からない。

 ゴブリンに気づかず紫色の石を拾うルナにセリムは叫んだ。


「な、何!? …魔物っ!?」

「俺の後ろにいろ!」


 反射的にルナを庇うように立つ。 


 セリムは周辺を見渡し武器になりそうなものを探す。


 周囲には石と棒しかない。

 手頃の大きさの物に目星をつけるとセリムはルナに逃げるように言った。


 セリムの身を案じ、ルナは動かない。


「良いから行けよっ!」


 苛立ちから叫んだセリムにようやくルナは逃げ出した。


 敵は一体。加えて傷を負っている。ルナを逃がすだけの時間を稼ぐことは出来るかもしれない。


 ルナのほうが御しやすいと判断したのだろう。ゴブリンが追いかけようとする。

 セリムは転がっていた石を蹴り上げ、妨害をする。

 その隙に丁度良い大きさの棒と石を拾い構えた。



 

 ここ1年近く修行してきた。

 前世では人を殺したこともある。今更命を奪うことにためらいはない。


 (なのに何で震えが…)


 殺意を持ち襲いかかってくる敵。殺らなければ殺られる。


 命を奪うことにためららいは無くとも、命を奪われる恐怖――死を恐れた。

 その結果が今更震えとなって襲ってきた。


 ゴブリンが襲いかかる。右手に持つ棍棒を振り下ろす。

 ガードしようとしたセリムだが震えから手元が狂う。脇腹にもろに一撃を食らった。


「がはっ!」


 蹲るセリムの頭に向けてゴブリンが棍棒を振るう。

 セリムは握っていた石を投げた。


(ふっざけんな!)


 やけくそ気味に投げた意思は運良くゴブリンの目に当たった。

 左腕がないゴブリンは右手に握っていた棍棒を離して目を抑えた。


「グギャー」


 息を荒げながら立ち上がるセリム。

 握っていた棒を振り上げ力の限りゴブリンを殴った。


 倒れたゴブリンはまだ息をしている。


「ころ、さないと…」


 セリムは馬乗りになり無我夢中で殴った。




 どれくらい経っただろうか。

 棒を握る力もなくなり、落とす。そこで初めてゴブリンの状態に気づく。


 「はあ はぁ 殺った… これで」


 もう安全――続く言葉は意識に霞がかかったことで途切れた。

 途切れる間際、セリムは体がカッと熱くなる感覚を感じた。

 

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