(3)宿題の答え
天幕の中で聞く劉備からの報告は、惨憺たるものだった。
盧植が捕縛され、入ってきた董卓は数千の麾下の機刃を有していたにも関わらず、全くそれを動かさず、現場の残っている部隊だけで、張角の最前線部隊と戦わせた。
結果、三万はいたはずの軍が、一万まで減ったのだ。
死んだ者、逃亡した者、太平道に降った者、その数を皇甫嵩が計算する様を、張世平は蘇双と共に見ていた。
劉備からの報告が上がる度に、皇甫嵩の頭の血管が、見る見る浮き出て、そして殺気立ち始めた。
そして、机を一度叩いた。
「董卓……! あの男、ふざけた真似を……!」
皇甫嵩の喉が、まだ唸りを上げていた。
「皇甫嵩さんよ、これが実態だよ。今あんたが連れてきたのが一万。だがよ、それですら前いた人数に及ばねぇンだ。増援は?」
「すぐに来させよう。私の権限で出来る範囲の増援を、今すぐに派兵させる。まさかこれ程減っているとは思わなかったからな。すまないな、劉備くん。私の見通しが甘かった」
「俺達は一応最後まで残る。だが、生き残らなくちゃしょうがねぇ。俺達の軍は、なんだかんだで義勇兵だから、戦力数はたかが知れてる。
「当然だ。義勇軍に殿をやらせるなど、義に反する。それは私達の軍でやる」
「なら頼むぜ。あんたらの軍は俺達と違って戦ってきた精鋭とはいえ無傷なんだ。董卓と違うってところを見せてくれよ」
それだけ言って、劉備は天幕から出て行った。眼には、怒りの色がにじみ出ていた。
皇甫嵩が、一つため息を吐いた。
「すまんな。見苦しいところを見せた。しかし、これが中央のやり方だ。それに対し、我々はどうすることも出来なかった。それだから若い連中が苦労する。そんな世の中になって欲しくなかったから軍を目指したのに、気付けばそれに加担しているのではないかと思ってしまう自分がいるのだ。私は、そんな自分が愚かしく思えるよ」
皇甫嵩が、苦笑しながら言った。
もう一度だけ、大きなため息を吐いてから、皇甫嵩が、こちらを見た。
「さて、君達は張角が血を吐いたというあの噂、どう思う?」
「私達商売人に取ってみれば、その真偽がどうであるかは、分かりかねますな。ただ、太平道と商売をしているとすれば、それは恐らく、今後消えていくでしょう」
「蘇双、賊徒と取引は以後難しくなると考えるか?」
一瞬、皇甫嵩の目が、細くなった。
「皇甫嵩将軍?」
「今更言うな。私とて知っているさ。商人が太平道にも荷を卸していることくらいね。だが、私はそれが当然だと思っている。どちらの陣営にも商売に行くのはな」
痛いところを突いてくると、心底張世平は思った。
しかし、皇甫嵩からは殺気は来ない。
「何故、そこまで知っておきながら、私達を捕縛しようとなさらないのです?」
「簡単な話だ。民とて太平道に行ったのだ。元を正せば、王朝の腐敗から始まった乱なのだ。だからこそ、どちらが倒れてもいいように両方に乗る。それが正しいのだ。どちらが勝つか最初から分かっていれば、苦労など何も無いよ。だから捕縛しない。それを全商人や、民にやっていたら、あの太平道にいる信徒となった民を皆殺しにしろというようなものだ。そんな暴虐は許される物ではないよ」
思ったより、皇甫嵩は先を見ている。
それを考えると、思うのだ。
せめてこれくらいの考えの人間が、王朝の中に後百人でもいれば、マシになったのではないかと。
同時に、自分とて蘇双に会わなかったら、太平道にいずれ行ったかもしれないのだ。
どうなるか分かっていれば、何の苦労もない。
蘇双が、一歩踏み出した。
「僭越ながら申します。私達は、かつて張角と会いました」
「いつ頃だ?」
「一年ほど前です。偶然助けられました。その後、成り行きで」
「なるほどな。張世平、君は見たのだろう? 張角の気を」
自分もまた、一歩踏み出していた。
「はい。あの当時見た時、今まで見たことがないほど、巨大な気を持っていました。しかし、同時に気の中に、小さな陰りがありました。張角には人の気を良くする術を使う能力があります。しかし、それは相当に体力を使う。そこから考えるに、今流れている噂、案外本当かも知れません」
「なるほどな。しかし、君は多くの気を見てきた。そして、いたのだな、張角より巨大な気を持つ者達が」
「はい。曹操殿、劉備殿、孫堅殿が、まさにそれでした。夏侯惇殿達や、関羽殿や張飛殿も同様です。桁外れの気を持つ者で、世の中は溢れかえろうとしている。それが今なのです」
ふむ、と唸ってから、皇甫嵩が顎を一度かいた。
「では、そんな君に聞く。前に言った宿題、覚えているな?」
「はい、英雄とは何か、ですね」
「答えは、見つかったかな?」
言うべきだと、魂が言った。
静かに息を吸って、吐き、そして拱手した。
「私にとって英雄とは、世の中で光り輝ける者を指します。光り輝ける者とは、気の大きさだけではありません。もっと話していたいと思える存在、確固たる意志、乱世で生きることに対し、何一つ躊躇がない者。これを満たしている者こそがそれであると、私は思います」
「なるほどな。乱世か。曹孟徳も、そう言っていたな」
「乱世の中でこそ、英雄はより光り輝きます。そんな英雄達に、私は会いたいのです。光が増すと同時に、その者達は確実に金を、利を、我ら商人のみならず、民に与えます。故に、商機がある。だからこそ、私は会いたいのです。数多の英雄に。これが、私の考える英雄像で、あなたの宿題に対する、私の答えです」
静かに、だが熱く、魂が唸っている。
今だ、張世平。己の叫びを、魂を唸らせろ。そして気を大きくしろ。その果てにある物を見いだせ。
そう、何かが囁き続けている。
皇甫嵩が、一通り聞いた後に、ふっと笑った。
「そうか。君もまた、乱世を望むか」
「もう避けられないでしょう、乱世になることは。漢王朝四百年、しかし、腐敗は進み続けました。故に、新たな英雄を人は求めています。先程も言ったように、英雄は乱世で輝けます。だからこそ、その英雄が輝ける時代が必要とされている。そこから生み出される物が何であるか、私にはまだ分かりません。ですが、確実に、何かが生まれます」
「それを作る代表が、君の言った気の大きな者達か」
「はい」
「で、私はそれには該当しない、というわけか」
苦笑しながら、皇甫嵩が言う。
素直に答えろと、自分の魂が言った。
「率直に申します。将軍は先程記した三条件のうち、二つの条件は満たします。しかし、乱世を望まない。乱世に対し、躊躇がある。違いますか?」
「そうだな。私は乱世を望まない。出来れば平和な世の中でいて欲しいが、この乱で実感したよ」
皇甫嵩が、静かに立った。
少しだけ、気が大きく見えた。
「民は、怒っているのだ、我々に対して。何も出来ていない、我々に。ならば、一度王朝そのものを崩してしまえと、そういう怒りがある。たとえこの乱を平定したとて、その民の怒りは収まらない。故に、乱世になる。私は、それで荒廃することを、どうしても恐れてしまう。私は、長く漢王朝にいすぎたよ。覇業に乗り出すには、遅すぎる。これからは、もっと若い者達の時代になるのだろうな」
ふぅと、一度大きく皇甫嵩が息を吐いた。
「宿題は合格だ。盧植殿なら、そういうだろう。私もまた、それに同意だ。だが、この乱は終わらせる。それが、私なりの意地だ。それだけは、分かってくれ」
「痛いほどに、分かっています。将軍、いくらでも、我々を使ってください。ここまで話に付き合ってくださった、せめてもの礼です」
「ありがとう」
皇甫嵩が、少し笑った。
だが、寂しそうな笑みだった。
すぐに、皇甫嵩から足りない物資の補給を頼まれた。
蘇双と共に商談を済ませ、天幕を出た。
皇甫嵩の表情が、より寂しそうに見えた。
「この物資なら、少し遠くの市場になるが、ここからなら二日で行き来出来るな」
「二日なら、十分に今の陣営で持ちこたえられるかと」
「しかし、お前も言い切れたな。ようやく」
蘇双が、少し影のある笑みを見せた。
「蘇双殿。もっと、色々と私に教えてくださいよ」
「いや、お前は割と分かっているよ。俺が教えることは、ひょっとしたらもうないのかもしれねぇ」
「寂しいこと、言わないでくださいよ」
蘇双が、一度歩みを止めた。
「張世平。俺は、いつか死ぬ。その時までに、独り立ち出来るようにしておけ。お前なら出来る」
「まだ、あまり考えられません」
というより、考えたくなかった。
あまり、失いたくない人だった。だからこそ、どうしても離れると思うと、辛くて仕方がなくなる。
「まだいいさ。だが、一つの時代はもう終わる。これからは若い時代だ。劉備、曹操、孫堅。それにお前が入るかもな」
呵々と、蘇双が笑った。
一つの時代の終わり。確かに、皇甫嵩はそれを悟ったのだろう。
乱は、もうじき終わりそうだ。となると、次の仕事はどうなるのだろう。
それが、何故か脳裏に浮かんでは消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます