(2)絶望のただ中で

 陣の中は、負傷兵で溢れかえっていた。全員の目に生気はなく、歩哨に立つ兵士も、目がうつろで疲れた表情をしている。

 今まで盧植が率いていたこの陣地の兵士は連戦連勝で、負傷者こそいたもののここまで士気の低下すら及ぼすような話にはなっていない。

 だとすれば、何が原因でこんなことになっているのだと、張世平は思わずにはいられなかった。


 というより、何故盧植の旗がなく、董卓の旗が立っていて、しかもそれが撤去されている最中なのか、それすらも分からない。

 機刃の補修部品と武器弾薬、及び衛生兵のための装備一式を卸すことになった。最前線だから負傷者も多いだろうと思って、衛生兵用の装備を多数積んできたのは正解だったのは、皮肉と言えた。


 斥候が帰ってきたと、歩哨が知らせた。

 機刃が三機。双眼鏡で確認すると、緑に塗られ、雌雄の銃剣を持つ機刃が中心にいた。

 劉備達だった。

 機刃が所定の位置に止まり、劉備達が降りる。

 だが、劉備、関羽、張飛の三人にすら疲労の色が見て取れた。同時に、眼に絶望の色と怒りが広がっている。


「劉備殿!」


 張世平は、思わず駆け寄っていた。

 劉備を近くで見ると、思わず驚くほどに、目がくぼんでいた。


「よぅ、張世平」

「いったい、何があったのです、この陣地?! いくら最前線だからって、ここまで惨憺たる有様になるなんて!」

「盧植先生が、更迭された上捕まったんだ」


 思わず、我が耳を疑った。

 蘇双も、すぐに駆け寄った。


「ちょっと待て! 盧植殿が捕縛だと?! 何が原因だ?!」

「役人に賄賂を渡さなかった。それで更迭されて、逮捕。代わりに董卓とか言う奴がやってきた。だが、奴は機刃を何千機も持っていながら、まったく戦わなかった。結果、少数でこの最前線を維持するしかなかったんだ。それがこの有様だ!」


 劉備が、自分の機刃の脚を、拳で叩いた。

 劉備が、血涙を流していた。

 気は大きいが、乱れている。それだけ心の動揺が大きいのだろう。


「おかげで我らの元に集った義勇兵も、今は劉備の兄者に寄って立っているのが現状だ。なんとか全員無事だが、数名重傷者がいて、今我々の戦力も厳しい」

「実際今のこの戦線、大兄者がいなけりゃ崩壊しててもおかしくねぇぜ。あーっ! ったく! 何度考えても消える前に董卓の野郎斬っておくべきだった!」


 関羽と張飛が、交互にいった。

 張飛は頭をかきむしっている。


「ん? 董卓は去ったのか?」

「あいつも更迭された。んで、今日新しい司令官が来るってよ。だが、誰が来ようが、どうせ同じ結果になる気しかしねぇよ……」


 劉備が蘇双の問いに答えるが、失望の色は濃かった。

 盧植が捕まったことで、一気に漢王朝に対する失望感が広がっている。そう感じるには十分だった。

 だが、それでも太平道に走ろうという気にはなれないところが、英雄を英雄たらしめる所なのだろう。

 ある意味では、劉備は睨んだとおりの男と言えた。


 急に、歩哨が歓声を上げた。


「増援だ! 増援が来たぞ!」

「いよいよ、新指揮官のお出ましみたいだな。さて、誰……ってマジか?!」


 劉備が双眼鏡を見ながら、思わず驚きの声を上げていた。

 自分もそれに習い見てみる。


 こちらも、驚いていた。

 数は一万弱。全軍が機刃で、旗印には『皇』の文字。先陣にいるのは双剣を持った雷刃だ。

 こんなことが出来るのはただ一人。

 皇甫嵩だけだ。


 劉備が双眼鏡を取った。

 眼に、少し希望が見えていると同時に、少し、笑った。


「はは、ようやくマシなのがやってきたか」

「そういえば劉備殿は皇甫嵩殿と一緒に戦われたことがありましたね」

「潁川だな。割と悪くはねぇし、名将っていわれるだけのこたぁある」


 その後、一瞬だけ、炎が宿った。

 野心。それが一瞬だけ出た。静かで、それでいて誰にも知られることのない、仮面の付けた野心だ。

 やはりこの男、将来大化けすると、張世平は確信した。

 こういう物を持っている人間は、したたかで想像以上に手強いのだ。


「だが、確かに名将だが、器としちゃ小せぇ。これからの時代の英雄にはなれねぇ。そしてそれを、本人も自覚してやがる。だからこそ、それ以上に抜け出せない。ある意味、ドツボにハマったとも言えるな」


 乱世には向かない男、ということなのだろう。

 劉備もまた、乱世を望んでいる風潮がある。

 実際、これからの時代に必要な力を得るには、乱世は絶好の機会になる。それ故に望むのは至って普通だ。


 同時に、狂気を孕んでいる、ともいえる。多少の狂人の方が、これからの時代は生きるだろう。

 その点では、確かに皇甫嵩は長いこと漢王朝にいすぎたし、同時に皇甫嵩自身が平穏を求める側の人間であるから、乱世には向かないのは事実だった。

 しかし、それを自覚していると、劉備が見抜いているのは意外だった。自分も思っていたことは確かだが、それにしても劉備の人を見る目は確かなのだろう。


「おっと、俺がこんなこと言ってるの、決して言うんじゃねぇぞ、張世平。内緒にしといてくれよー、頼むぜ?」


 劉備が、苦笑しながら言った。

 この笑顔を見ると、どうしてもその気にさせてしまう。

 この男はそういう不思議な魅力を持っている。だからこそ、面白いと思えるのだ。


 乱が終わると、乱世が始まる。そのことを感じさせるかのように、陣に風が一瞬だけ吹いた。

 張世平の髪が、少しだけ揺れた。

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