第五話『乱の終わり、乱世の始まり、そして』
(1)始まりと終わりの予感
既に、九月になっていた。
寒さが、少しずつではあるが、確実に訪れている。
張角が血を吐いた。孫堅からはそう聞いたが、ここ最近、漢軍黄巾軍問わず、その噂は日に日に大きくなっていくのを、張世平は輸送車の中で電子端末を叩いて帳簿を計算しながら感じていた。
実際市場でも、その噂でここ最近は持ちきりだ。いつの間にか広がった、という印象が強い。
「この噂の広がりよう、誰かの力が働いているんですかね?」
正直、その疑問が自然とわいた。
いくらなんでも噂が急激に広がりすぎる。
「誰かが意図的に流した、或いは、それを抑えるだけの力が、もう太平道に残っていねぇか、そのどちらかだろうな」
蘇双が、運転しながら答える。
荷を積み込んだこの車が向かう先は冀州だ。
張角の軍に立ち向かうために機刃の物資を一通り欲しいという漢軍からの依頼だった。
実際、ここ最近太平道からの依頼は減少傾向にある。張角の弟である張宝、張梁は未だに踏ん張ってはいるが、それでもいつまで持ちこたえられるか、という状況にあるのが実情だ。
特に太平道を騙る賊徒の出現以降、民衆の支持は太平道から離れる一方であり、結果的に兵力も減少傾向にある。
そこに来て張角の病という噂だ。これがある意味決定打になっていると、張世平は感じている。
だが、どうもここ最近漢軍の士気の低下も著しいと、張世平は見ていた。
この前、荷物を卸に行った陣に至っては、見張りすら立てておらず、整備もろくにされていない機刃がいただけだった。
漢軍の怠慢ぶりが、ここに来て出始めた、という印象がぬぐえないのだ。
それが厭戦気分から来ているのか、それとも張角の死が近いと油断しているのか、或いはその両方か。
どちらにせよろくなものでもないなと、ただため息を吐くだけだ。
この様子だと、たとえ乱が収束したとしても、まだ世の中は荒れるだろう。
蘇双や曹操の言うとおり、乱世がこれから到来するのだ。
「乱世、か」
「張世平、お前、人を見る目が確かだという自信は?」
「程ほどですよ。自分ではあるつもりでも、それがこの先どうなるかなんて分かれば、苦労はありません」
「そりゃそうだ。だがな、俺から言わせりゃ、その目は確かだ」
「気を見ることが出来る故、ですか?」
「それだけじゃねぇさ。お前、俺に進言した商売相手が悉く伸びること見抜いているだろ。それは貴重だぞ。その目は、俺にはなかなかにない」
何故、蘇双は急にこんな話をし出したのか、少し疑問がわいた。
気の大きさはさほど変化はないし、特に陰りも見受けられないから、病魔ではないだろう。
だが、何故かここ最近、蘇双は生き急いでいる感がぬぐえないのだ。
それが何故なのかは、よく分からない。
「お前が英雄に会いたいと言えば、それに従って、案の定手を広げることには成功してる。そのことを考えると、お前、商人としちゃ俺より伸びるかもな」
「よしてくださいよ。まるでそれじゃ、劇とかで見るような死ぬ間際の台詞みたいじゃないですか」
「バーカ。俺様はそんな簡単に死なねぇんだ。乱世になって、金儲けする。そして目指すは中華一の大金持ちの商人よ。それが出来るようになる世の中がもう少しでやってくんだ。死ねるか、そんな簡単に」
呵々と、蘇双が笑った。
自分も、釣られて笑っていた。
「そりゃそうですね。私も、死ぬつもりありませんよ。私は、いろんな英雄を見て、それに対して商売をしていきたいのですから。それが」
「金持ちに繋がる一番早い道、ってか?」
「そうです。英雄はいずれ金を運びます。乱世ならなおさらです。死の商人と言われても、私はそれについて動じるつもりはありません。そこら中が英雄で溢れかえる世の中になるなら、死の商人だろうが地獄行きだろうが、やってやりますよ」
強欲になった物だと、自分でも思う。
孫堅に死の商人と言われてこの方、それを意識するようになってから、なおのこと思うようになった。
ただ、自分は英雄にはなれないだろうとは、張世平にはよく分かっていた。
英雄には、器という物があると、張世平は感じている。それぞれが心の内に抱え込む器だ。
それは徳であったり、覇道であったり、英雄によって様々であり、英雄によってその器は形を変える。
残念ながらそれが自分には不足している。英雄のように意地でも話したいと思う相手がいたとしても、その先に利潤という物を考え込んでしまう。
これは商人になってから付いた癖だと言う事は分かっている。いわゆる後天的な物だ。
だが、自分の強欲さからするに、蘇双に会おうが会うまいが、いずれこうなっていたという気はずっとしている。
「冀州に、会いたい英雄はいるでしょうかね」
「劉備はまだあそこにいるはずだな。様子見るのも悪くねぇんじゃねぇか?」
「実際、それは気になります。自分が初めて一切を独断で商売を行った相手ですからね。どうなっているのかは非常に気になります。でも、それ以上の英雄がいるかどうか、それも気になるのです」
「お前、ホントに強欲になったな、いろんなことに。商人は、それくらいがちょうどいいのさ」
蘇双が、苦笑する。しかしその後、すぐに真剣な表情になった。
「でもな、張世平。意地汚さだけは身につけるなよ。強欲とそれは別物だ。意地汚ぇと結局後で失敗する。意地汚ぇ商人は大成しねぇ。俺はそういうのを何人も見てきた。買い占めて一時的な利を上げるより、長ぇ眼で見ると結局適正な価格で適正な時期に売った奴のが最終的に上手くいく。そういう奴なら後でまた商売してもいいと、相手も思ってくれる。それが、商売を長続きさせるためのコツだ」
確かに、それは言えている。
評判は存外大事な物で、それを上手く繋げられる者は、なんだかんだで強い。
軍勢も同様だ。そういう人間の軍が、これからの乱世では強くなる。
そういう人間と、どれだけ会えるだろう。
張世平はそれを思うと、胸が躍るのだ。
「っと、着くぞ、冀州の陣地……ってなんだ、こりゃ?!」
蘇双が声を荒げると同時に、自分も愕然としてしまった。
漢軍の旗印に、盧植の『盧』の字はなく、代わりに董卓の『董』の旗印が立っていた。
もっとも、それも撤去されている最中だ。
そして、その地にいた漢軍は、全員が傷だらけで、機刃も腕がない、脚がない、果ては破壊された物が放置されているような、惨憺たる有様だった。
何があった。
張世平は、汗が急に止まらなくなった。
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