(6)英雄象
旗印は、存外に目立った。
青字に『孫』の一文字。その孫堅の陣地に行ってみると、やはり全員が平服で、全身に生傷の絶えない、多くの武将がいた。
しかし、その陣地だけ機刃は一機もなく、武具もさしてない。あるのは訓練用具一式だけだ。端から見れば、相当異様な雰囲気がある。
一方で、周囲を見渡してみると、多くの商人が行き交っていた。見知った顔も何人かいる。商人一座の代表と言うだけのことはあった。
陣の中の一番大きな天幕の前で、衛兵が止まった。
「孫堅殿、商人があなたにお会いしたいと」
「商人? そろそろ来る頃や思うとったさかいな。ワイらだけで話す。もうええで」
孫堅の、独特の訛りと、少しの威圧感。変わった男がいると、張世平はすぐさま直感した。
天幕に入ると、双眼鏡で見たとおりの孫堅がいた。もっとも、人間の姿だった。これだけだったら、獣人と言われても誰も分からないだろう。
もっとも、身の丈の大きさも、気の大きさも今まで出会った人間の中ではかなりのものになっていた。
平服からはみ出している胸毛は剛毛で、同時に見てみると、だいぶ髭も濃い髭だった。
「孫堅殿、私は」
「知っとるわ。蘇双に張世平、そやろ?」
思わず、二人揃ってギョッとした。
名乗ってもいないのに、何故この男はそんなことを知っているのか。何か肺腑を突かれたと同時に、心の臓を捕まれているような、そんな気がした。
「ワイらの情報網なめとったらあかんで。個人と
「だとすれば、あなたのことだ。我々がなんなのか、ご存じですかな」
「せやな。さっきの城攻めの時にいたあの図体でかい機刃を横流ししたのおどれらやろ? あれは涼州からの横流し品と見て間違いあらへんわ。せやけど、それをそのまま流すほど、あの涼州の連中はバカやない。そないなもん証拠をそのまま残すンとほぼ一緒やからな。それに、あないな欠陥品涼州の連中が作るとは思えへん。つまり流したんは設計図や。それを元にして黄巾が作ろうとしはったけど失敗した。ま、そないなとこやろ」
完全に当たっている。
この男、想像以上に切れる男だと思うと、汗が止まらなかった。
「で、ここからが本題や」
孫堅が、にやりと笑った。
同時に、少し殺気立っている。だが、董卓のような不気味さは感じられなかった。
不思議な眼をしている。少し緑がかった眼が、珍しいからかも知れない。
「それを流したンが何故おどれらに辿り着くか、いう話や。涼州でその手の力があるんは、
馬騰と韓遂の名は、董卓に会ってから調べて出てきた名だった。
なんでも涼州で結構な力を持つ人物らしいが、どうも漢王朝に対しては不穏な動きをしているという。
「せやけど、馬騰と韓遂については除外や」
「何故です?」
「あの二人は正面切って戦うんは好きやが、それなら真っ先に自分が試す口やからや。となると董卓一人に絞られる。董卓は戦そのものより、むしろ奸計の方が得意な男や。せやから黄巾に自分で流すようなアホな橋渡る奴やあらへん。誰かを小間使いに利用するんや。そこで利用するなら、今のご時世に漢軍、黄巾双方に物資を卸してる商人いうことになる。それを基に恫喝して上手く利用する。それが奴の手やねん」
やはり、董卓という男は付き合うには危険すぎる。出来る限り商売でも相手にしたくはないなと、今更に思った。
それに、あの眼を思い出すと、悪寒が止まらなくなるのだ。
だからこそ、いつの間にか手が伸びていることが怖く感じる。
「で、そうなる商人をワイは絞った。ごく少数だけ引っかかったが、中でもおどれらはだいぶ目立つんや。竜人故に気が見えることで商売から権力から何から何まで巨大化することが可能である商人っちゅーのはな。おどれら、ほんまある意味運の悪いこっちゃで」
竜人であることを、これ程呪ったことはなかった。
それ故に蘇双を危険にもさらす。それがどれだけ大変なことか、自分でよく分かっていなかったことが、非常に空しく、そして、崖から突き落とされたような、そんな気分になった。
「ならば、あなたも董卓と同様に、恫喝しますか? 利用するために」
一歩、前に出ていた。
自分の中で、少し怒気が混じっている。そんな感情を、いつの間に持ったのかと、少し驚いていた。
「いやいや。ワイはそないなことはせぇへんわ。第一な、黄巾が勝つか漢軍が勝つかなんてわからへんのや。それに両方卸しとくんは商人として利を上げるには当然やろ? ワイかて漢軍に所属してなかったら同じ事やったと思うわ、ほんまに」
思わず、拍子抜けした。
もっと非難を浴びる物と思っていたが、存外孫堅とは商売に強欲らしい。
商人連合の長をしているならば、なんとなく合点がいった。
「せやけどな、おどれらみたいなの、なんて言うかしっとるか? 『死の商人』、人はそう言うで。たとえ自分の思惑がどこであれ、な」
死の商人。頭では分かってはいたが、確かに自分達はそうなのだろう。
漢軍、黄巾軍、金になるならなんでもしてきた。金を手にするために、乱世を呼び込んだ。
しかし、それでたとえそこら中から非難されようが、この生き方を変えるつもりはなかった。
商売は、自由に行われるべきなのだ。それで先がどうなろうが、そこまでの責任は商人にはもてない。
あくまでも、道具は使う人間次第で全てが変わる。いい方向にも、悪い方向にも、だ。
それだけは、自分の心の中に閉まっておこうと、張世平はずっと考えていた。
「せやから気をつけた方がええ。死の商人は確かに儲かる。せやけど、どちらからも袋だたきに遭う危険もある。そのことだけは認識しといた方がええで」
「分かってますよ。危険な橋を渡っていることは、嫌と言うほどに。董卓に目を付けられた地点で、それはある意味必然だった。俺はそう思います」
蘇双が、ため息交じりに言った。
同時に、以前より蘇双の気がしぼんでいる、ということが気にかかった。
気のせいならいいのだが、何か、諦めにも似た物があるのではないかと、何処かで感じるようになった。
だが、今ここで自分が乱世を呼び込んだのだということだけは、感じていて欲しいと、張世平は切に願った。
「ま、ワイからの忠告はここまでや。こっからは、商売の話しよか」
「商売、ですか? 孫堅殿、何をご所望で? 見る限りで機刃、武具、必要はないと見受けます。見る限り必要なのは、物資。主に食料」
「それもそうや。せやけど、それ以上に重要なもんがあるんや」
「なんでしょう?」
「情報網や」
確かに、この男の情報網は桁外れだ。つまり、より強力な情報網を構築したい、ということだろう。
「おどれらみたいに大量の商い出来る網持っとる人材は貴重なんやで。どや、ワイと手ぇ組んでみぃひんか? おどれらの知らへん情報も手に入るかもしれへんで」
孫堅の目が、一段と輝いた。
曹操の物とも、劉備の物とも、董卓とも違う眼差しだ。
だが根底にあるのは、貪欲に何かを求めていると言う事。それがこの男にとっては情報だったのだ。
気が、大きくなっている。
やはり、一代の英雄だと、孫堅に対して思うより他なかった。
「蘇双殿、やはりこの方は英雄です。商売に足るかと。同時に、我々としても、情報は欲しい」
「気は大きいか」
「桁外れに」
「なら、決まりだ」
蘇双が、不敵に笑う。
孫堅の前で、蘇双が拱手した。
「いいでしょう。我が網をお貸ししましょう。情報の共有は、我らにお任せを」
「交渉成立、やな」
孫堅もまた、不敵に笑って、拱手した。
「よし、なら情報が一つあるで。これについては、明後日の昼飯二千人分と交換、っちゅーんでどうや」
「早速ですか。なるほど、分かりました。明後日までに二千人分ですね」
「そや。兵は神速を尊ぶ。孫氏の一説や。商売も同様や」
「それもそうですね。して、情報は?」
「噂やけどな、張角が血ぃ吐いたらしいで」
思わず、二人して絶句した。
張角が血を吐いたということは、即ちそれは、太平道の瓦解が近づいている可能性が高いと言う事だ。
張角が死ぬ。
英雄達の前座でしか、張角はなかったのだろうか。
だが、それだけではない気がする。
英雄。
ふと、思い出す。
張角、曹操、劉備、孫堅、そして蘇双。この者達に共通している物は、気の大きさだけではない。
もっと話していたいと思える存在、確固たる意志、乱世で輝ける者。それらが揃った者が英雄なのだと、ようやく張世平は分かった。
それでようやく、胸のつかえが取れた。
皇甫嵩に会ったら、この答えを言ってみよう。そう確信に変わった。
そのことの方が、張角の噂よりも、何処か誇らしく感じた。
その後いくつか段取りを話してから、天幕を出て、そのまま輸送車に乗って、近場の市場へ向かった。
「昼食二千人分か。まぁ、それについてはなんとでもなるな」
輸送車を走らせながら、蘇双が言った。
「しかし、私が思うに、まだ何か波乱がある。そんな気がします」
「この乱は終わらない、か?」
「いや、乱は近いうちに終結しますよ。むしろ、乱世が訪れます」
「いよいよ、そうなってくると本格的な商売、だな」
蘇双の気が、いつもより大きくなった。
何故かそれが、張世平には不吉でならなかった。
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