第四話『孫堅という獣人』

(1)魔王との邂逅

 渓谷に、二人して呼び出された。

 内密の仕事を頼みたい、というものだった。

 太平道からかとも思ったが、どうもそれが違う。何故なら、その依頼を受けた場所は、よりにもよって漢軍の陣内だったからだ。


 劉備が陣を去って、すぐのことだった。荷を卸す兵士に紛れて、その使者を名乗る男が来て、それで依頼された。それも口頭でだけで、書面はない。

 だが、相手は自分達が太平道にも武器を流していることも知っていた。つまり、完全に脅されているのである。


「危険な薬物とかそういうのじゃないでしょうね?」

「太平道に荷物卸してる俺達がいうのもなんだが、まぁ危ねぇ橋渡ってるから、この手の話の一つや二つあっても不思議じゃねぇ。しかし、張世平、ビビってるのか?」


 蘇双が、相変わらず輸送車を運転しているが、見ていると、以前より気の大きさが小さくなった気がした。

 劉備の一件で、少し自分が老いたことを悟った、とも見受けられた。

 だが、あえて言わないようにしていた。

 しかし、それもいつまで通せるか分からない。


 渓谷を行くことざっと三時間強。既に日は陰り始めている。

 目的の場所は、渓谷のど真ん中ときた。周辺に何も無く、襲われても証拠は何も残らない。

 しかも周囲は山岳。伏兵の配置は如何様にも出来る。


「今更、ビビるもへったくれもないでしょう。蘇双殿も言っていたじゃないですか。商人は金が全てだと。それに従うだけです。脅されている、っていうのが不快ですが」

「なんだ、よく分かってんじゃねぇか。なら、それでいいさ。相手がどう来ようが、どうにかするだけだよ」


 そう蘇双が言ってから少しすると、かがり火が見えた。

 目的地だと思うには十分だったが、同時に、かがり火に近づくごとに、気炎が上っているのがよく分かった。

 巨大な気炎。張角のそれとは比にならないが、しかし、見たことがないほどそれは禍々しく、汗が気付けば滴り落ちていた。


「蘇双殿、相当まずいのに目を付けられたかもしれません」

「お前の反応を見りゃ分かるよ。だが、もう引き返せねぇみてぇだ」


 そう言われて、仕掛けられた温度探知機を見る。

 電源こそ切ってあるが、明らかに山岳に機刃を伏兵として待機させている。そして、これで補足できると言う事は、自分達は既に補足されていると言う事だ。逃げられる状況ではない。


 かがり火のある場所へ近づくと、男が一人、悠然と座っていた。

 この男から、巨大な、それでいて異常に禍々しい気炎を感じる。

 なんなんだと、思わざるを得なかった。


 輸送車を降りると、護衛の兵士が、案内した。


「蘇双に、竜人が張世平か。ふん、お前達か。漢軍にも太平道にも武具、機刃を流しているという商人は」


 腹の底から響く、低い声だ。

 男の容姿は、巨漢。脂肪があるように見えて、その奥には筋肉が無駄なく付いている。目には野心の薄暗い炎が見て取れた。しかし、その野心は本質的に、劉備や曹操の物とは全く異なっていると、張世平は感じた。

 しかし、まさか名前まで知られているとは思いもしなかった。相当にこの男の情報網は深いのだろう。


「自己紹介は不要ですな。で、依頼は?」


 蘇双が言うと、男の護衛が、紙を一枚持ってきた。

 蘇双が拝見する。


 それを見た瞬間、目が飛び出る程、驚いた。

 完全に新しい機刃の設計図だった。

 大きさも二四尺(約五.八m)もあるかなり巨大な物だ。

 だが、試作と書かれている。


「今開発が進められている機刃の試作品だ。その機刃の設計図を、太平道に流せ」

「しかし、これだけの機刃、太平道に作れなかったら?」

「それはそれでいい。所詮その程度の力しかなかった屑と見ることが出来る。成功すれば、それなりには活躍しよう」

「乗る者の人選は?」

「あちらにやらせる。それを元にして我々が改良するだけだ」

「今後の実戦投入のための実験、ということですか」

「そうだ。それで乱世が長引くなら、それもそれで面白い」


 男が、薄暗い笑みを浮かべた。

 背筋が凍るような感じを、張世平は覚えていた。

 言うなれば、魔王。そう感じることが出来た。


「分かりました。して、何処に流します?」

「南陽だ。というよりも、あの地以外に選択肢はない。潁川は既に終結したも同然の状況だからな。それに、冀州は冀州で、いずれ嵐が起こる。そこにいれるのも面倒だ」


 冀州は今張角の本隊と盧植が戦っているはずだ。

 冀州で、この男は何かをしようとしている。何かは分からないが、薄ら寒さだけは十分に覚えた。


「分かりました。南陽の方に、流しましょう」

「それでいい。報酬はこれだけ授けよう」


 そう言って、男が部下に、一個の金塊を持ってこさせた。

 心臓が、口から飛び出そうになった。まさかこんな大金を用意するとは思わなかったからだ。

 上手く飴と鞭を使い分け、そして飼い慣らす。そうしたことに長けているのだと、張世平は見て取った。


「これで全額だ。やるな?」

「やらなければ、死、ですか?」

「そうだ。今更こんなことを知って、漢軍に密告でもしようものなら、分かっているな?」


 男の目に、殺気が浮かんだ。

 思わず、震えた。

 蘇双の額にも、汗が出ている。

 まずい男と商売関係を持ったのかも知れないと、張世平は思わざるを得なかった。


「質問は?」


 男の問いに蘇双は、無言だった。

 思わず、張世平は一歩前に出ていた。


「一点だけ、あります」

「なんだ、竜人」

「あなたの、お名前をお聞かせ願いたい」

「名前か。ふん、いいだろう」


 言うと、男が立ち上がった。

 想像以上に、巨大な男だった。張飛や関羽とはまるで違う威圧感が、この男からは発せられた。

 本当に嵐を巻き起こす男。そう感じるには十分で、恐らく何かをやらかす。

 だが、あまり商売として相手にしたくない。そう感じた。


「我は董卓とうたく。いずれこの世に出る男だ」


 言った瞬間、より禍々しい気炎が立ちこめ、そして、董卓は護衛と共に去って行った。

 同時に、周囲にあった機刃の気配も消えている。

 誰もいなくなった渓谷で、思わず、二人揃ってへたり込んだ。


「やべぇ、冗談抜きで、怖ぇ男と会っちまった……」

「董卓、か……」

「張世平、あの男の気は?」

「大きいです。ですが、とんでもなく禍々しい。あんな気を見たのは初めてです」

「しかし、董卓、董卓……思い出したぞ! あいつ、涼州りょうしゅう軍閥の長だ!」


 また、口から心臓が出そうになった。

 つまり、あの男は漢軍に属しているということである。

 何故、そんな男が太平道に武器を流すのか。

 言われて、少し考えると、一つの答えが出る。


「涼州……というと、機刃の大量生産工業地域ですね……」


 涼州は昔から機刃の生産が盛んだった地域だ。

 実際、今までに数多の機刃を生産してきた実績があり、漢軍どころか、今まで様々な王朝が機刃の納入を涼州から行っている。だからあんな独創的な機刃を作り出すことが出来るのだろう。

 同時に、設計図だけ渡したと言う事は、即ち涼州のものという証拠を残さないためだ。

 それで作れなくても作れてもいい。それが戦場に出てきて活躍すれば、実戦での豊富な記録が残る。それを元にして更に改良する。

 つまり、南陽の太平道は捨て石に過ぎないと言うことでもある。


 一度、立ち上がった。

 相変わらず、腰が抜けそうになっている。


「しかし、冀州の嵐、っていうのも気になりますね」

「確かにな。盧植は連戦連勝だし、劉備も来るだろ。なかなかに太平道は厳しいはずだが……こりゃ、何かあるな」

「冀州へ、行ってみますか?」

「いや、さすがに俺達にも、既に監視がいても不思議じゃない。素直に南洋に行って、仕事を済ませよう」


 頷いて、輸送車に乗った。

 既に、日は暮れていた。

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