(2)劉備という男

 静かな村だった。

 そこに漢軍の兵士さえいなければ、ただの農村にすぎない。楼桑村はそんなところだった。


 ただ、ここだけはうるさいだろうと、心底張世平は思った。

 飯屋の厨房である。


 劉備が、とんでもなく食うのだ。

 既に拉麺は五皿目に突入し、それ以外に餃子や汁、挙げ句豚の丸焼きに至るまで、とにかくやたら食う。


「張世平、やべぇ、思ったよりこいつ食う」


 蘇双が今更に頭を抱えているが、もう時既に遅い。

 かなりの額が請求されるだろうと言う事は、火を見るより明らかだ。


 自分もある程度は食べたが、それにしたって限度というものがある。

 劉備は自分が成長期の子供だからまだ食えと言うが、もう既に腹一杯だ。とても食えない。


 そして、最後に置かれていた餃子を一つ食べ、水を飲み干したところで、ようやく劉備が「ごちそうさま」と言って、食事は終わった。

 厨房が、一気に静まりかえった。


「いやー、食った食った。久しぶりにたらふく食ったぜ。悪い悪い、ちと調子に乗りすぎた」


 劉備が手を合わせて謝っているが、そう思っているなら止まれと、思うより他なかった。

 だが、どうもこの笑顔を見ると許せてしまう。ある意味、その先導者基質は、張角のそれと似ている。


 ただ張角の場合、あの癒やしの術と、宗教という強烈な力を持ってそれをなした。

 だが、劉備という男のその先導者基質は、まるで別物だ。純粋にそういうものが備わっているとしか思えなかった。


「まぁ、いい。で、劉備、あんた、劉姓ってことは?」

「ああ、一応俺の祖先は高祖こうそ劉邦りゅうほうまで遡る、らしい」


 劉邦と言えば、伝説上の人物だ。漢を築いた英雄、ということになっているが、自分の知り合いの竜人でも会った者はいない。

 それもそうだ、何せ既に四〇〇年近くが経っているのだ。流石に竜人はそこまで長寿ではない。

 もっとも、一五〇年なら割と普通にいる。自分の祖父が、五歳の時に亡くなったが、その時の年齢は一四八歳だった。それでも少し早く逝ったと言われたものだった。


 しかし、劉姓というのは今の時代において何処まで作用するのか、というのはいささか気になる点だ。

 何しろ今の帝も劉姓だ。しかし、漢王朝に対する失望感は日に日に増しているし、劉姓に対する期待外れの感触は、そう簡単に抜け出せるものではないだろう。


「まぁ、劉邦も山ほど子供いたからなぁ。その中の末裔って言われても、まぁ信用とかどうなんだよ?」

「信用か。まぁそりゃねぇわな。第一俺がそうであるという証拠はねぇんだからな。だが、どうにも気になる話もある」


 劉備が、袍から、先ほどの銃を取り出した。弾倉は、抜いてあった。

 雌雄で異なる二丁拳銃だ。同時に運用されることを前提としている。

 蘇双が、じっくりと見た。


「なるほど。かなりの年代物だな。少なくとも数十年の代物じゃねぇ。しかし、結構手入れはされてるな。あんた、これどこで?」

「昔からうちに伝わってる。だから、俺が劉姓であることもまた、ホントに劉邦の子孫なんじゃないかって、思いたくもなるわけさ。同時に、そうであれば、もう少し変われると思うんだがなぁ」

「何がだ?」


 劉備が、またずいと、身体を出してきた。

 その目に宿るのは曹操と似ているようで異なる、野心。それを巧妙に隠している。そう張世平には感じられた。


 だが、ふっと、それが一瞬消えた。

 劉備が、元の場所に戻り、首を振る。


「いや、忘れてくれ。戯れ言だ」


 そう言ってから、劉備が立ち上がった。


「飯、ごちそうさん。俺はそろそろ仕事に戻るよ」

「仕事って、ああいう賊退治か?」

「いやいや。あれは俺の善意だ。そういうことでもやっておかないと、いつまでもこの村が不安になっちまうからな。そうなりゃ、みんなの笑顔が曇っちまう。本当の俺の仕事は、草鞋わらじ売りだ。じゃな、二人とも」


 不敵に笑って、劉備は店を後にした。

 店が、急にしんとなった気がした。覇気が、急に消えたからかも知れない。


「張世平、お前、あれをどう見る?」


 二人になるなり、蘇双が聞いてきた。


「相当の傑物です。あの先導者基質は、張角殿のそれに匹敵しますし、志も見事に備わっている。しかし、問題があります」

「金、だろ?」


 張世平は、一つ頷いた。


「困窮している可能性が高いです。だが、それでも賊徒に染まらない。相当に高潔な意志を持っていないと、今の時代不可能です」

「そりゃ理解する。だがな張世平、俺達は金が全てだ。残念ながら、いくら傑物でも、先立つ物がなけりゃ何も出来ねぇぞ?」


 確かに、それはそうだ。

 しかし、あれだけの気を放てる人材を、こんな辺境の村で終わらせていいものなのかは、相当張世平にとって疑問だった。

 曹操に匹敵する、即ちそれは、張角を軽く凌駕する、ということに等しい。そんな人材は滅多に見られない。

 まさに、英雄の卵、といったところだろう。


 店の扉が、開いた。

 その時、また、心の臓が唸った。

 二人の男が入ってきた。二人とも長身だが、一人は立派な髭を生やし、少し顔が赤めだ。

 もう一方の方は、その男より年少、というより、自分より少し上程度の年齢と思えた。だが、筋骨隆々としている。


 その二人の放つ気が、劉備のそれに匹敵している。

 賊徒ではない、と一発で分かるほどに、両人とも目は澄んでいた。

 二人が一角に座り、店員を呼んだ。


「すまない。ここの店で、オススメの物はあるか?」


 髭を生やした男が、言った。

 少し、曹操の声質と似て、威圧感があった。


「そうですね。割と餃子と拉麺を食べられる方が、うちの店は多いですよ」

「なら、そいつを五人前ばっかし頼むわ。あと酒も頼む。同じ位持ってきてくれ」


 筋骨隆々とした男が、呆然とする店員をよそに言った。こちらは、もっと威圧感のある声だった。

 だが、純粋さが奥に見受けられる、そんな声だった。

 また、厨房が騒がしくなった。


「こりゃ、食後の杏仁豆腐は、出そうにないな……」


 蘇双が頭を抱えると同時に、張世平は顔を近づけた。


「な、なんだよ、張世平」

「蘇双殿、あの二人、気の大きさが、劉備殿とほぼ同格です。それも、二人共がです」

「なんだと?!」


 小声で言ったが、蘇双は相当大声を上げた。周囲から、目線が突き刺さる。

 蘇双が平謝りと、咳ばらいをして、すぐにそれは終わり、慌ただしい厨房の音と、店の活気が戻る。


「どういうことだ? いくらなんでも、こんな偶然あるのか?」

「偶然と言うより、奇跡ですよ、これは。何か、まだこの村にはあるかもしれません」


 しれないと言ったが、自分の中では確信に近い。

 それとも、ただの願望か。

 決めかねているところではあるが、もう少し見てみよう。そう、張世平には思えた。

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