(7)邂逅の果てに

 汗が、吹き出してきた。

 まず間違いなく、曹操という男は希に見る英雄なのだと、張世平が直感するには十分すぎるほどだった。


「ほぅ、人間と竜人の組み合わせか。旅をしているのか?」

「商人です。私は蘇双、こちらの竜人が張世平です」

「なるほど、商人か。で、俺にどんな物を売りたいんだ? そして、どんな網を、俺にもたらしてくれるんだ?」

「網、ですか?」


 蘇双が聞き返すと、曹操の口元が少し笑った。

 つかみ所がまるでないなと、張世平は感じた。なんというか、色々と変わっていると、どこかで思うのだ。


「俺は、あらゆる情報網が欲しいのさ。戦を制するには、乱世を制するには何事も情報は必要だ。俺はそういうのがもっとも欲しい」

「あの戦に勝てたのも、その情報のおかげ、ですかな?」


 曹操が頷く。


「あの中に間諜かんちょう(スパイ)を放っておいた。それで波才がどう動くのか、だいたい掴んでいた」

「しかし、相手の数は十万。あなたは千弱です。その中に突っ込むと言う事に対して、怖さはなかったのですか?」


 曹操が、それに対して大きく笑った。


「これから乱世だ。乱世になるからこそ、あの程度で俺が死ぬわけがない。天がそれを許さない」


 より、曹操の気が巨大になった。

 眼の覇気は、ますます上がってきている。自信家で激情家というだけではなく、この男は全て計算尽くで行動を起こしているのだと、張世平は唸らざるを得なかった。

 蘇双も、その言動でか、興味の方が瞳に出始めている。


 扉が二度鳴ったのは、そんなときだった。


「入るぞ、曹操騎都尉」


 扉が開く。

 入ってきた人物に、思わず、驚いた。この顔を知らない商人は、いないからだ。

 朱儁、字を公偉こうい。漢軍きっての名将である。

 朱儁が入ると、曹操は立ち上がり、拱手した。


「朱儁将軍、間もなく出立ですか?」

「ああ。それの挨拶に寄らせてもらった。悪いな、客人との話の腰を折るようなことして」

「いえ。次は南陽なんようですか?」

「そうさな。もっとも、また民を相手にするのかと思うと、少し辟易するのは、盧植のじっちゃんと同じだけどよ」


 朱儁が、少し苦笑する。

 名将というのは間違いないのだろう。気も、そこそこに大きい。だが、しぼみかけている。それが、張世平の持った印象だった。


「それは仕方ありますまい。漢王朝の腐敗が、こうなった原因なのですから」

「まぁなぁ。俺もな、何進なんてバカが大将軍になってるのは、未だ納得しちゃいねぇんだ。そんな人事が行われるようじゃ、世も末だよ」


 朱儁がやれやれといって、ため息を吐く。

 しかし、曹操の発言からするに、曹操は自分の所属している場所でも問答無用で批判する。


 そしてそれを将軍達は分かっている。

 全て正論なのだが、それに対して何も出来ない自分達がいるし、中央は何も分かっていない。

 それに対する悔しさともどかしさが、生じてしまう。

 現場とそうでないところでの温度差が、あまりに著しい。そう感じざるを得なかった。


「さて、愚痴ばっか言ってもしゃーねーんで、俺は行くわ。せいぜい気をつけろよ、曹操。後方から邪魔入らないように用心しておいた方がいいさ。十常侍じゅうじょうじとかはたち悪いからな」


 十常侍というと、今の宦官の中でも腐敗の温床と評判の勢力だ。十人いるからその名前が付いたが、勢力としてはかなり巨大で、なおかつ知恵が回る。ありとあらゆる賄賂が行われていると評判だった。

 あまり仕事でも関わりたくはないと、蘇双が常々言っていた。


「ああ、商人。曹操になら、今のうちに恩を売っておきな。十万を蹴散らす策を献策したのは曹操だし、若い上いろんな事に秀でてる。まず間違いなく、今後大きくなるぜ」


 それだけ言って、朱儁は部屋から出て行った。


「さて、話に戻るぞ。で、張世平、お前は俺をどう見る?」


 曹操が、じっと自分を見つめた。

 何処まで伝えていいか、悩んだ。


「言うべきだな。張世平」


 蘇双が、口にした。


「この人は信用出来るさ」


 それで、自分の決心が決まった。

 拱手する。


「僭越ながら申し上げます。あなたは、乱世をお望みのようです。しかし、そこに暴虐さはない。言うなれば、覇王。徹底的な計算の上で、政をなさろうとする。私としては、気も今まで見てきた人間の中でも桁違いであること、そして何より、あなたは全てにおいて打算の上で動く、極めて有能な存在です。そんな存在であるが故に、方貌を巡る商人の重要性も理解している。商人の目を用いて、あなた自身の情報網を深める。それは即ち商人を利用するということに他なりませんが、金になる限り商人が裏切ることはないこともよく分かっている。それ故に私はあなたと手を組むに値する。それが私の評価です」

「ふ、なるほどな。覇王か。そしてその評価、悪くない」


 曹操の眼の奥の覇気は、まったく揺らがなかった。

 自分自身がそうであることを確信している、そんな大胆不敵な眼。それがあるならば、この男は商売するに値する、そう思えた。


「蘇双殿、というわけです」


 蘇双が、にやりと笑った。

 蘇双の気が、少しだけ大きくなった。


「お前の評、よく分かった」


 蘇双が、拱手した。


「曹操殿の網、何千倍にも広げて見せましょう。いくらでも、商機はあります故」

「分かった。いいだろう。お前達との商売は正立だ。いくらでも俺に網を張らせてくれ」


 一瞬だけ、冷徹さが瞳に見えた。

 失望は許さない。そうとも言っているように、張世平には見えた。


 乱世が確実に近づいている。こういう男が、乱世をより巨大化させ、そして数多の英雄を作る。そう確信するには十分だった。

 それから商談をいくつかして、帰ることになった。


 夏侯惇に導かれて、城門まで行くと、既に空は夕焼けだった。

 だいぶ長いこと話し込んでいたことに、張世平は驚く。それだけ充実していた、ということだろう。


 城壁の近くに、機刃が数機、近づいてきた。

 雷刃と無我だった。改めて雷刃を見てみると、高級指揮官機という割には華美な装飾は一切なく、むしろ無骨さすら感じられる。

 確かに、部品についてはいいものを使っているのだろう。頭部の投影機(カメラ)などを見ても、なかなかに感度が高そうだった。


 その雷刃が、目の前で膝立てになり、背部が開いた。

 乗っている人間がそうだと分かっていても、思わず身構えてしまう。


 皇甫嵩、字は義真ぎしん。朱儁や盧植と並ぶ漢軍の名将だ。

 まさかこうして、自分が二人も直接この名将に会うとは思わなかった。


「夏侯惇、客人が帰るのかな?」

「ええ。曹操騎都尉との商談でしたが、上手くいきました」

「そうか。ならば結構だ」


 皇甫嵩がふっと笑った。

 何処か、おおらかさを感じさせる、同時に少し余裕のある、大人の笑みだった。


「しかし、人間と竜人とで商売の旅か。なかなかに変わっているようだな」

「盟を結んで、既に三年になります、皇甫嵩将軍」


 蘇双が、拱手した。自分もそれに習う。


「今回の商談も、竜人の眼によるものか?」

「こいつは、確かに竜人です。しかし、人を見る目も確かですから。だから私も信頼しているのですよ」

「なるほどな。よく見ている、というわけか。いい盟を結んだようだな。名前を聞いておこう」

「はっ。蘇双です」

「張世平と申します」

「では、張世平、君に聞こう。君は、人を見ることは好きか?」

「はい。こうして、英雄にも会えますから」

「なるほど。英雄か。私も子供の時は良く憧れた物だよ」


 ふっと、皇甫嵩が笑う。

 少し、何故かはかなさが漂った。


「ならば、次会うときまでの宿題を、君に出そう。英雄とは、何かな?」


 言われて、言葉に窮した。

 自分は、確かに英雄に会いたい。


 だが、その英雄とはなんだ? なんて答えればいい?

 自分の中でその判断基準が、漠然としたものになっている。そのことを、張世平は実感した。


「今は答えなくていいさ。生きている限り、君には時間がいる。それまでに答えを見つけてくれればいい」


 そういって、皇甫嵩は去って行った。

 夏侯惇に一言礼を言ってから、城を出て、輸送車に乗った。


「英雄、か」

「英雄って、なんでしょうね」

「そうさなぁ。俺にとっての英雄は、子供の頃に憧れて、なりたかったもの、要するに過去形でしかない」


 蘇双が、水を一杯、口に含んだ。


「だが、お前にとっては未来がまだある。俺の考えをそのまま受け継ぐ必要もない。皇甫嵩の言うとおり、たんまり考えりゃいいさ。時間は、山ほどあるんだ」


 自分にとって、英雄とは何だろうか。

 考えていく旅になりそうだなと、張世平は思った。

 原動機の音が響いて、草原を行く。そろそろ、夜になりそうだった。

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