(4)邂逅の予感
春の陽気が差し込んでくる。
既に時は四月になっていた。黄巾の乱が起こってから、既に二ヶ月が経過している。
三月から、急に忙しくなった。乱が本格的に始まったからだ。
二月に決起の号令がなされ、それを機に漢軍と太平道との小競り合いが始まったが、その後三月になってからは大規模戦が頻繁に続くようになった。
これにより物流は恐ろしく活発になった。ただし、それはあくまで、軍需物資に限る、という話である。
もっとも、おかげで商売は繁盛している。漢軍、黄巾軍問わず、武具、機刃の部品、食料を含めた補給物資に至るまで、ありとあらゆる物を卸しまくった。
結果、赤字で経営破綻手前だった自分達の財政は、ものの見事に黒字になった。
蘇双の読みは、完全に当たったのだ。我が主人ながら恐ろしいと、張世平は思う。
実際、自分もまた忙しかった。そこら中の人間に会う機会が増えたのだ。
蘇双の販路の拡大のため、様々な人間と会う必要が生じたが、多すぎて客を選ぶ必要が出てくるまでになった。故に、その客の気を見た。
竜人である自分にとってみれば、たやすいことだったが、同時に、張角ほどの気の大きい人間に未だに会えていないことは、少し残念でならなかった。
それとも、張角から感じた気の大きさの衝撃が、未だに残っているのかは、よく分からない。
輸送車を、一台買った。機刃を三機ほど詰める、輸送車としては小型の物だ。
中古だったが、忙しくなるからと、張角と接触した後に購入していた。
もっとも、その購入金銭に関しては借金をしたものだった。だが、三月になればそれも利息付きで全額返済できた。
しかしそれ以降、輸送車の中で飯を食うことが多くなった。今は立ち寄った市場で饅頭をいくつか買い、それを蘇双と二人で食べていた。昼間の小休止である。
「予想通り、といったところだな」
「張角殿としては、予定より一ヶ月早くなったようですがね」
「それがどう響くか、ってのは気がかりだな。ただ、信徒は百万で士気は高い、一方の漢軍は士気は低いが、なんだかんだで名将である
皇甫嵩、朱儁、盧植と言えば、今や知らぬ者はいないとすら言われる漢軍きっての名将だ。
実際朝廷は皇甫嵩を左中郎将、朱儁を右中郎将という位に付け、最前線に赴かせたという話も聞いた。盧植に至っては張角のいる方面へ最精鋭部隊を率いて出向いているという。
しかし、問題はそれの頂点である大将軍の位にいる男だ。
案の定、皇甫嵩達は呆れ果てたとまで噂が流れている。
「そうなってくれば、我々としても金が回る、というわけですか」
「ま、そういうこったな」
蘇双がもう一個、饅頭を食べた。自分もそれに習う。
今日の饅頭には肉以外にも野菜が入っている。野菜は思ったよりもシャッキリしており、噛み応えもあった。
味はなかなかに悪くない。
「ただな、例の張角の気の陰り、それが気になるな」
「太平道自体が、一代限りで瓦解する、ないしは太平道同士での内乱に発展するという可能性は、否定できないかと」
「そんなこと信徒の前では間違っても言うなよ、張世平。それで馬元義は激怒した挙げ句に盧植のおっさんにやられたって話だからな」
「もちろん言いませんよ。言ったら私達の取引は完全に打ち切りでしょうからね。それに、蘇双殿と盧植殿なら、それ程年齢変わらないでしょう? あなただってもう五〇ですよ?」
張世平が苦笑しながら言った。
蘇双が、少し頭を抱えた。
「あー……歳とりたかねぇな、ホントに」
自分は竜人だからもっと歳を取ると、言いたくなったが黙っていた。
「おう、蘇双、張世平」
一人の商人が、道から話しかけてきた。知り合いの商人で、同時に情報屋の一人だ。
輸送車の窓を開けて、蘇双が出た。
「よぅ、そっちの景気は?」
「絶好調だぜ。機刃も結構漢軍で必要になってるみたいだしな。それどころか最近じゃ黄色い機刃まであるときた。黄巾軍が使ってるってのもまぁすげぇ話だわな。流石に漢軍ほどの数はねぇみたいだが」
確かに、黄巾軍の泣き所はそれだ。機刃の数が、漢軍に比べて少ないのだ。
なんだかんだで、漢軍は正規軍だ。機刃の操縦訓練を受けた者はいくらでもいる。それに対し、黄巾軍は元を正せば農民がほとんど。そして肝心の機刃の操縦訓練を主に行っていた馬元義が死んだこともあり、習熟の度合いに関しては今一歩と言えた。
もっとも、歩兵百万だ。しかもその歩兵が死を恐れないで自爆するために突っ込んでいくとも聞いた。
数と信仰心による人海戦術、それが黄巾軍の最大の特徴、といったところだ。
「むしろ漢軍くらい数あったらやべぇだろ。どこからその金用意するんだよ」
蘇双が苦笑する。
実際、これもまた要因だ。機刃はどうしても金がかかる。
整備費用だけならいざ知らず、部品もそうだが、銃器から何から使用する武装群全てが機刃のその二〇尺(約四.八m)に合わせて作られる。つまり、人間用の武器を大型化して使用するのだが、当然ながらこれも専用の部品が必要になる。
実際蘇双も、金銭が尽きたら黄巾軍からは撤退だろうと、見ている節があった。
だが、当面の間資金が切れそうにはないし、今のところ資金の滞りはない。それだけは安心出来た。
「だよなぁ。それはそれとしてよ、面白い話があるぜ」
「商売に関する話か?」
「直結するかもしれねぇ。面白い将がいるって噂だ」
思わず、身を乗り出していた。
何故か、心が高ぶったからだ。
「どっちの陣営です?」
「お、張世平、お前随分乗り気だな」
「やはり、人を見るということには、興味がわきますから」
張角に会ってから、その感情が芽生えた。だが、一方で張角以上の気の持ち主がいなかったとしたらと思うと、少し、不安にもなる。
だが、いるはずだと、どこかで信じ込んでいる自分がいることには、張世平は驚かなかった。
英雄に会ってみたい。出来れば、張角以上の。それを、いつの間にか望んでいる自分がいることを、張世平は自覚していた。
「竜人の眼で、見るってか?」
「それもそうですが、同時に、商売になるかというのも気にかかりますから」
「蘇双、お前の連れてる奴はだいぶ商人が板に付いてきたな」
商人と蘇双が、互いに苦笑した。
それだけ自分が熱くなっている、ということだろう。
少し、息を吸って、落ち着いた。
「ま、それはそれとしてだ、面白い将ってのはな、漢軍にいる若い将だ」
「漢軍に? 意外だな、漢軍からそういうのが出てくるか」
「齢は三〇、小男なんだが、眼に宿る覇気が生半可じゃなかったぜ」
「会ったのか、お前」
蘇双の言葉に、商人が頷いた。
「二年くらい前にな。太平道について、あの時から既に警戒してたほどだ。それで俺は結構武具の卸をやったことがある」
先見の明、というものだろう。二年前と言われると、まだ太平道の信徒は百万まではいっていなかった。
だが、漢王朝に対する不満は高まっていたのは事実だ。
ひょっとしたらこの男は、漢王朝に与しているようでいて、漢王朝のことより別の何かを望んでいるのではないかと、張世平はふと感じ、ゾッとした。
会ってみたい。
そういう高ぶりが、かつてないほどに襲ってきたのだ。
「蘇双殿、これは販路を広げる好気かもしれません」
蘇双が、ふっと笑った。
呆れられたのかはよく分からなかった。
「会ってみたいんだろ? そいつに」
張世平は頷いた。
「で、そいつの名前と場所は?」
「名前は曹操。確か、この前皇甫嵩や朱儁がいる
潁川といえば、最前線だ。そこにいくだけの実力がある、と見るべきなのだろう。
ますます、会ってみたくなった。
蘇双が、商人に情報の手間賃を渡した後、輸送車の原動機を起動させた。
やかましい音を立てて、輸送車が道路を行く。
風を感じた。出会いがある。そう予感させるには、十分だった。
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