第一話『太平道』

(1)張世平と蘇双

 一八三年。

 齢は、一六になった。一六歳だと、人間だったら既に初陣になっていてもおかしくない年齢だ。

 だが、自分達竜人からしてみると、子供でしかない。

 だから商売でもなめられるのだろうかと、ふと自問した後、宿の一階にある井戸の水から跳ね返る自分の顔を見る。


 自分の顔と腕に僅かにある鱗と、赤い眼に獣のような瞳孔が、自分を竜人だとハッキリと認識させる。

 それが分かるほどに透き通った井戸水だが、それとは真逆に、道路には浮浪者が横行し、貧富の差は日に日に増している。

 だが、悠久の時を得ても、水の透明さだけは、そう変わる物ではないと、よく張世平は家族から聞いていた。


 もっとも、その家族も既にいない。皆流行病で死んだ。

 何故かそんなことを思い出した後、透明の杯で井戸水をくみ、それを口に含んで、一気に飲み干した。

 杯を、宿の主人が取って洗い始めたのを確認した後、一礼して自分達にあてがわれた部屋へと向かった。


 何故こんなに貧富の格差が広がっているのだろう。階段を上っている最中にそのことを、ふと考える。

 時の王朝である漢王朝が腐敗している。そう市井の人々は言う。

 実際、自分達商人からすれば、今は真面目に金が回らないのが実情だった。


 原因は、だいたい分かりきっている。税金がとんでもなく高いからだ。

 その税金で、今朝廷を牛耳っている宦官や役人による不正は横行している。

 朝廷の中には、清流派と呼ばれる派閥がいることも、張世平は知っている。真面目に仕事をこなしている役人達だ。そういう者達は、総じて金払いもいいし、愛想もいい。


 だが、一六六年から今でも続いている『党錮とうこの禁』と呼ばれる宦官による清流派弾圧運動以後、清流派はめっきり減った。それが今の腐敗をより助長させているのだと、張世平は思っていた。

 だからこそ、人間というのは面倒くさいなと、子供心に思ってしまう。


 そんなことを考えていたら、いつの間にか、自分達の泊まっている部屋の前に来ていた。

 部屋の扉を一度叩いてから部屋に入ると、まだ明かりが煌々と付いていた。

 もっとも、その明かりの原因は豪華さではない。主人の扱っている電子端末の画面と電球の光だった。


「ったく、今月の儲けこんだけかよ」


 電子計算機を叩き終えた後、壮年の男が頭をかきながら言った。

 この男について行って、三年ほどになる。最初は黒髪と黒髭だったのに、今この男の髭と髪には、徐々に白い物が混じり始めていた。


 それもそうだ。既にこの男の齢は五〇だ。

 五〇歳と言えば、自分達竜人にとってみればまだ中年に成り立てか、あるいは青年期の終わりに近づく年齢だが、人間からすれば既に壮年だ。

 つまり、人生の終わりを考えなければならない年頃でもある。


 自分達竜人が姿形と寿命以外に更に異なる点として、その人に流れる『気』を可視化して見ることが出来るということにあった。

 気とは、全ての動植物に存在している生命の流れだ。心臓の鼓動などの物理的なものではなく、その者の魂が脈を打っていると、気は自然と見えてくる。

 人間の中でも、それを操り、武術に応用したり術に応用している者がいるのは事実だが、可視化してみることが出来るのは、竜人の特権だった。

 しかし気とは不思議な物で、その者がどういう者なのか、どの程度寿命があるのか、どの程度の才覚があるのか、どの程度器があるのか、それらすべてが流れ込んでいる。

 何かの要素が大きければ、それだけ気は大きく見える。

 竜人によってその見え方は違うらしいが、自分はその人の気が、心を中心として赤く見えていた。


 だからこそ、昔よりこの男の気が小さくなったことに気付いたときは、少しへこんだ。

 寿命が短くなっているのだと、張世平は理解している。

 後何年、この人といられるのだろうと、どうしても考えてしまうのだ。


「やはり少ないですか、そう殿」


 壮年の男-蘇双は座っていた椅子ごと振り向いた後、一つ頷いた。


「ああ。ったく、シャレになんねぇぜ。見てみろ、この数値」


 蘇双は紙を数枚、張世平に見せた。蘇双がまとめた収支報告だった。

 張世平は、それを眼で追いながら、頭が痛くなってくるのを実感した。

 完全に赤字だった。それも廃業を考えるかどうか一歩手前の、である。


「結構まずいですね、この数値」

「だろ? これ、なんて言うか分かるか、張世平?」

「商売あがったり、ないしは、倒産危機、って奴ですか?」

「当たりだ。でだ、張世平、なんでこんなに赤字なのか、考えてみろ」


 蘇双が不適に笑う。

 この不敵な笑みは知っている。そういう時、蘇双の気は一時的に強くなる。心から流れ込む気が、大きくなっているのがよく分かるのだ。

 自分を試すとき、蘇双はこういう風に笑う。だからこの人の事を好きだと思えるようになったのだ。

 そんなことを考えながら、収支報告を隅から隅まで読んでみる。


「ふむ……。なるほど。だいたいの所は掴めました」

「よし、正解かどうか、俺が判定してやろう。言ってみろ」

「まず、普通の商売の収益だけを見れば、黒字です。十分すぎるほどに。ですが、赤字になっている。しかし我々は特に生活を豪勢にしている訳でもなければ、黒字分を食い尽くすほどの借金もない。赤字になっている原因は漢王朝関係の代物です。特に朝廷に下ろしている交際費、これによって赤字になっている。交際費がこれだけ多くなる理由はたった一つ。宦官や役人が要求する賄賂、ですね」


 蘇双が、ため息を吐いた後、頷いた。


「当たりだ。そう、賄賂だ、賄賂。俺達商人は、何かにつけて賄賂を要求される。かといって便宜が図られるわけもなし。あいつらにとっちゃ、俺らは金のなる木だと思われてんのさ」


 そう言うと、蘇双の気がまた元に戻った。

 ああ、小さくなったな。そう思うには十分だった。


「しかし、前から疑問だったのですが、蘇双殿は何故、そんな横暴なことに抵抗しないのですか?」

「お前な、抵抗しないんじゃない。出来ないんだ。抵抗しようものなら商売する権力を取り上げられるか、ないしは無実の罪をでっち上げてとっ捕まるか、そのどちらかだ」


 蘇双が、歯ぎしりしながら言った。

 いつの間にか、自分は拳を強く握っていた。

 怒りが、強くなっている。そう感じるには十分だった。


「悔しくは、ないのですか」

「悔しいに決まってるだろ。だがな、今は耐えるしかねぇ。それで野垂れ死んじまったら、その時はその時だと、俺は思っている。お前には、悪いかもしれねぇがな」


 蘇双が歯ぎしりしながら言った後、横に置いて杯から、水を一杯飲んだ。

 互いに悔しい。それに対して何も出来ない自分という存在が、より悔しさを助長させた。


 直後、遠くの方で重低音が鳴った。振動が、この宿にも来ている。


「この音は……まさか爆発か?!」


 蘇双の上ずった言葉を聞いた後、張世平は机の上に置いてあった双眼鏡を手に取り、窓を開けた。

 夜風が、急に吹いたと同時に、少し焦げ臭い臭いがした。

 その臭いのする方角へ、双眼鏡を向ける。


 思わず、絶句していた。

 四里(約一六〇〇m。一里=約四〇〇m)ほど先で、火災が起きている。だが、その燃える範囲が、徐々に広がっているのだ。


 そして、その火災の中心には、巨人がいた。

 見ただけで分かった。二〇尺もある、機械だらけの巨人など一つしかない。

 戦場の主役にして、この世の最高の破壊兵器にして、そして人を圧倒する存在、機刃だった。


「蘇双殿、機刃です! 数は二〇ほど!」

「機種はなんだ、張世平?!」

「全機が作業用の『亜音あおん』です。ですが、全機銃器類及び槍で武装、うち一機は火炎放射器装備です」


 亜音はありふれた作業用の機刃だ。骨太の体つきを持ったその機体の様はまさしく質実剛健そのもので人気も高い。実際、自分達も部品を何度か卸したことがある。

 しかし、作業用と言われても軍の作業用である。民間には一切出回っている代物ではない。

 横流し品か、強奪されたか、それとも軍から脱走した奴が使っているのか。恐らくはこの三点のうちのどれかだろう。


 蘇双が一度舌打ちする。


「張世平、さっき火炎放射器装備がいるって言ったな?」

「はい」

「やばいな。ここはまともな駐留軍がいねぇ。このままだとこっちまで来る可能性がある。しかも、加減を知らねぇバカどもは、火の手を広げる危険すらあるぞ」

「と、いうことは」

「張世平、ずらかるぞ!」

「はい!」


 頷いてから、すぐさま荷物をまとめて、宿の一階に来ていた。

 宿の主人が、いつの間にかいなくなっていた。

 逃げたか。そう思っているうちに、蘇双は宿代を机の上に置いていた。

 こういう律儀さが、張世平は嫌いではなかった。


 だからこそ、こういう人の下と学びたいからこそ、二人で生き残らなければ。

 そう思って、宿を飛び出した。


 道路に出ると、周囲は逃げ惑う人で溢れかえっていた。

 風が吹く。嫌な風だと、張世平には感じられた。

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