オオカミさん、忌み子として村でひどい扱いを受けてきた少女に頼まれて村人を皆殺しにすることにした

ジェロニモ

オオカミさん、忌み子として村でひどい扱いを受けてきた少女に頼まれて村人を皆殺しにすることにした

 俺はオオカミだ。今日は森の中の一軒家に一人で暮らしている老婆を食ってやった。


 俺は別の人間が近づいてくるのを感じ、ベットに潜り込み、すっぽりと布団をかぶった。

 しばらくすると、ギーっとドアを開く音が聴こえた。「おばあちゃーん」と、幼い少女の声がする。口ぶりからしてさっき食べた人間の孫のようだ。


「おばあちゃーん。寝てるのー?」


 すぐ近くまで声が近づいてきたが、俺は返事をしない。


「じゃあ、そのまま死んで」


 さっきまで喋っていた少女とは別人なんじゃと疑うほど冷たい声音に、俺は反射的にベットから飛び退く。


 次の瞬間、さきほどまで俺の頭があった場所に深々とナイフが刺さる。


 明らかに殺すつもりの一撃。


 ナイフを突き立てていたのは、薄汚れた頭巾を被った黒髪の少女だった。


「あれ? おばあちゃんじゃない? オオカミ、さん?」


 俺の姿を見てこてんと首を傾ける少女に、俺は勘違いを悟る。


 どうやら少女が殺意を持ってナイフを突き立てようとしたのは自分のおばあちゃんになりすました何者かではなく、おばあちゃん本人のようだと。


「ねえ、オオカミさんはわたしを食べるの?」

「そうなるな」

「そっか。わたし食べられちゃうんだ」


 そのつぶやきはまるで他人事のようだった。そこには目の前の俺に対しても、死に対しても、まるで恐怖していないようだ。

「おまえは俺が怖くないのか?」

「オオカミさんが?」


 俺が頷くと少女は笑い出した。


「怖くないよ。わたしは今からオオカミさんんに食べられて、栄養になって、オオカミさんは生きていく。それって意味のある死だと思うんだ。このまま意味もなく生き続けるくらいならそういう終わり方もいいのかなあって」


 少女の口ぶりは、まるで死にたがっているようだった。


 なぜだか少女を見ていても、まったく食指が動かない。今日はあの老婆を食って、腹が満たされているからだろうか。


 少女は唐突に「あっ」と、家族への良いサプライズを思いついたかのように手を合わせた。


「ねえオオカミさん。わたしを食べてもいいから、家族をみんな殺してくれない?」


 そしてそう言って無邪気に笑った。


「本当はね、村の人たちみんなを殺してほしいんだ。それで、できれば殺した人たちを食べてほしくもない。なんの意味もなく、ただ無残に死んでほしい」


 彼女は笑顔で話し続ける。


「でも、それってわがままだよね。わたし一人の命に、そんな価値があるとは思わないもん。家族だけでも割に合わないかもしれないけど……オオカミさん、ダメかな?」


 少女は贈り物をねだるかのようにもじもじと上目遣いで俺を見る。まるで俺が話の通じる相手だとでも言うように。


 俺はオオカミだ。オオカミにとって、人は敵であり餌でもある。

 だというのに少女は俺を相手に対話をしようとしていた。おかしな話だ。自分の祖母のことは話もせずに殺しにかかったというのに。


 少女にとって、この世でもっとも話の通じない獣は人間なのかもしれない。


「いいだろう。おまえの家族だけと言わず、村のやつら全員、俺が皆殺しにしてやろうじゃないか。それも肉を食わず、ただただ無残に殺してやろう」

「本当っ!? ありがとう!」


 自分が食べられるというのに彼女は手を合わせて、ぱあっと輝かしいほどの笑顔を浮かべた。


 少女が服を脱ごうとする。


「なにをやってる」

「オオカミさんがわたしを食べるのに、服が邪魔かなって思って。髪も削いだほうがいいかな?」


 俺はため息をついた。


「服を脱ぐのはやめろ」

「オオカミさんは服ごと食べられるの?」

「そんなわけがあるか」


 どうにも少女と話していると調子が狂う。どこかズレているという表現がぴったりだ。


「今おまえを食べたら、おまえは俺が本当に約束を守ったかわからないだろ? だからおまえは村のやつらを皆殺しにしたあと、一番最後に食ってやる。俺はおまえら人間と違って嘘はつかないんだ」


 本当はそんな理屈は後付だった。ただ俺はこの少女が村の連中を、家族を殺される場面を見てどんな反応をするのか見てみたいと思ったのだ。


「えーほんと!?」


 少女は嬉しそうに笑った。その表情だけ見ても、それが同族殺しの依頼を承諾されたゆえのものだとは誰も思えないだろう。


「それにしても、オオカミは白いって聴いてたけど、黒いんだ。わたしと一緒だね」


 少女は自分の黒髪を強調するように、頭巾を脱いだ。


「俺の毛色をおまえの髪と一緒にするなッ」


 少女の言葉に沸き立つ感情を制御できなかった俺は、歯をむき出しにして吠えた。


 シーンと沈黙が場を支配する。しばらくして、少女が口を開いた。


「ごめんなさい。同じなのが嬉しくて、つい……。忌み子の髪とオオカミさんの毛を一緒にして、ごめんなさい」

「……おまえは忌み子なのか?」


 少女は頷いた。その表情はさっきまでの気味が悪い笑顔と違い陰っている。


 忌み子といえば体の一部が欠損しているのがほとんどだ。しかし少女は痩せこけてボロボロではあれど五体満足だった。この少女のどこが忌み子だというのだろうか。



「黒髪は忌み子の証なんだって。わたしのお母さんもお父さんもお兄ちゃんも綺麗な金髪なのに、わたしだけ違うのは呪われてるからなんだって」

「フン。俺は忌み子なんて、そんなくだらないことに興味はない。俺はただ自分の毛色をおまえの髪色と一緒にされるのが嫌だっただけだ。俺とおまえの毛色は、まったく違うのだから」

「うん……」


 俺がせっかく気を使ってやったというのにらなおも沈んだ様子の少女を見るとなんだか胸がムカムカして、俺は舌打ちした。



 夜、人々がが寝静まった頃、闇に紛れて俺は少女の手引きで少女の家族が暮らす家まで来た。


 まずドアを開き、初めに近くで驚いていた母親らしき女性の腹を引き裂いて殺した。


「よくも母さんを、母さんを!」


 自分の母親が目の前で殺される様を見た子供が、小さなナイフを構えて、俺のことを睨んでいた。これが少女の兄か。

 

 その怒りようから察するに、この子供にとってさきほど殺した女は良い母親だったのだろう。愛を注がれたのだろう。


 ふっくらとした肌、艶のある髪、小綺麗な服。どこに目をやっても少女との格差は一目瞭然だった。


 母の仇を取ろうと泣きじゃくって俺をにらみつける、少女より二回りほど大きな男の子。その身体は怒りからか恐怖からか、プルプルと震えていた。そんな姿を見せられて俺の殺意はしぼむ……なんてことはなく、むしろメラメラと燃え上がった。


 どうして母親はこいつに与えたうちの、ほんの一欠片でも良いからあの少女にも愛を注いであげなかったのか。どうしてこいつはまるで自分が理不尽になにもかも奪われた善良な被害者面をしているのだろうか。おまえも加害者のはずなのに。


 腹の底で殺意が燃え上がっていく。


 子供が叫びながらこちらへと向かってきた。


 結局やることは変わらなかった。母親と同じように爪ではらわたを切り裂き臓物をぶちまけさせた。


 少女は瞬きもせず、目を見開いてその光景を眺めていた。まるで一瞬たりとも見逃さんとばかりに。


 無残に殺してほしいという少女の要望は叶えられたのだろうか。なにを思ったか、少女はもう動かなくなった家族を眺めていた。


「……黒い髪は、悪魔の証なんだって」


 少女は自分の髪をなでた。手のひらについていた血が、べっとりとそこに塗りたくられる。


「お母さんはわたしを産んだせいで村のみんなから責められるって、よくわたしをぶつんだ。お父さんもわたしが嫌でどっかに行っちゃったんだって。別にわたしは産んでくれって頼んだわけじゃないのに」

「どれだけ働かされても、どんなに他の家族と違う食事を出されても、殺されないだけ感謝しないといけないんだって」

「おかしいよね。わたしより体が大きいお兄ちゃんは、全然働かないのにわたしより良いものを食べて、良い服をきて、お母さんといっぱい楽しそうに話して」


 少女の視線は床を汚す家族へ釘付けだった。うつろな目で、ぼそぼそと独り言のように家族への思いを呟いていた。

 一体少女はどうしたいのだろうか。いや、自分がどうしたいのかすらわからないのかもしれない。


「俺が……俺がもしおまえの立場だったなら、とりあえず死体を原型が無くなるくらいまで踏み潰すな」


 少女はようやく死体から視線を外し、目をまんまるに見開いて俺を見た。


「そんなことして、いいの?」

「俺に家族を殺してくれなんて頼んでおいて、なにをしようが今更だろう」

「確かにそれもそうだよね」


 一度度こちらに向いていた視線がふたたび家族へと向き直った。


 そして少女はその細い足で母親の顔を勢いよく踏みつけた。何度も何度も、彼女の家族がぐちゃぐちゃにつぶれて、ネチョネチョと糸を引くようになるまで執拗に、力強く踏みつけた。

 その時彼女の顔に浮かんでいたのは憎悪だ。それは俺が初めて見る少女の生きた感情だった。あの気味の悪い笑顔はただの仮面なのだろう。


 やがて少女は肩で息をして、俺に向き直った。


「オオカミさん、ありがとう」


 彼女は返り血を全身に飛び散らせたまま、にっこりと笑った。


「まだ村のやつらが残ってる。そいつらのことも、踏みまくればいい」


 俺が無愛想にそう答えれば、少女は「うん」と嬉しそうに頷く。


 この少女はたぶん普通ではない。どこかが壊れてしまっているのだと思う。でも壊したのは彼女の家族で、村の連中で。そう考えるとやつらがこれから俺に殺されるのも、自業自得なのではないだろうか。


「おーい、悲鳴が聴こえた気がしたんだがどうしたまさかあの悪魔が暴れたのか? だからさっさと始末しろと言ったんだ。労働力になるとはいえ、あんな薄気味悪いガキがッ」


 悲鳴に目が覚めて家を尋ねにきたらしいこの男は、3人目の犠牲者となった。ドアを開けた瞬間その喉を掻っ切った。


 男は声を出すことなく血を吹き出して、地面へと崩れ落ちる。最後は陸に打ち上げられた魚のように体を痙攣させて動かなくなった。


「村の人はね、わたしに向けて石を投げてくるんだ。それも笑いながら投げてくるんだ。嫌いなら嫌いで、関わらないでいてくれればよかったのに。どうして見て見ぬふりができないのかな」

「異物を排除したがるのが群れってもんだ」


 俺はそう鼻で嘲笑った。人だろうと獣だろうとそれは変わらないらしい。


 村人にとって彼女は、労働力として利用できるから家畜として生きることを許されていた存在。別にいつ死のうがどうでもいい存在だったのだろう。


 それは獣にはない実に人間らしく薄汚い考えだった。だってそれは生まれてすぐに捨てられるよりもずっと残酷な仕打ちだ。


 彼女が村人の死体へ足を振り下ろす一連の動作にもう迷いはなかった。


 それからたくさんの村人を様々なやり方で殺していった。飽きがこないようバリエーション豊かに。


 そして次の標的を求め、明らかに他と作りの違う豪華な家に向かおうしたとき少女が俺の手を引いて歩みを止めてきた。


「あの家はね、村長さんが住んでるんだ。狩りをするのが大好きで、銃を持ってる怖い人。家に狩った動物の頭を剥製にして飾ってる。クマとか、シカとか、あと……」


 ――オオカミとか。


 少女は絞り出すように呟いた。俺はフンっと鼻を鳴らす。


「それがどうした。おまえはまさか俺が負けるとでも思ってるのか」

「そんなこと、思ってないけど……」


 嘘だ。少女の顔にあらわれているのは、明らかな不安と心配だった。出会ったときからそう時は経っていないというのに、実に人間らしい表情を見せるようになったものだ。あの気味悪い無機質な笑顔を見るより、よほどマシだった。


「村長さんはね、わたしを的の近くに立たせて、ゲームをするんだ。わたしに当たったらハズレ。ゲームをするときはお母さんにお金をあげてたから、お母さんはよろこんでわたしをゲームに差し出してた。

 腕がいいみたいで、一度もわたしに当たることはなかったよ? ただわたしが怯えるのを見て楽しんでるみたいだった。村長さんがゲームを始めると周りに人が集まってきて盛り上がるんだ。なにがそんなに面白かったんだろうね」


 少女を虐げることに異を反した者はいなかったのかと疑問だったのだが、なるほど。村を治める村長が率先して少女をいたぶって見世物にしていたのなら、味方がいなかったのも頷ける。


「銃弾がかすったこともあるけど、多分わざとだと思うな」


 少女は頬を撫でた。そこには一筋の傷跡が残っていた。もうすっかり肌に馴染んでいるその傷跡は、もうずっと昔につけられたものなのだろう。

 こんな無力で無抵抗な幼い少女をいたぶって、なにが面白いのだろうか。人間の考えることは俺には理解できないが、その場面を想像するとヘドが出そうだった。


「撃たれたとき熱くて、熱くて。オオカミさんが負けなくても、撃たれることはあるかもしれないでしょ? だからオオカミさん、村長さんは殺なくてもいいよ。」

「俺はオオカミだぞ。人間なんぞに怯えはしない。それに一度交わした約束を破るのも耐え難い。おまえとの約束は村人を全員殺すことだ」

「うん……。ありがとう、オオカミさん」


 まただ。あとで食べられるくせしてこの少女はなぜこうも清々しい笑顔で感謝ができるのだろうか。


「さっさと行くぞ。おまえは俺の後ろにでも隠れていればいい。すぐに終わらせてやる」


 理由はわからないが、少女の笑顔を見ているとなぜか胸がもやもやとする。俺はそのもやもやを踏み潰すように、ズカズカと村長宅へと歩みを進めた。


 俺はコンコンと村長宅のドアをノックする。ドア越しに、「はい、今出ますねぇ」としわがれた声がした。ドアが開けば、その臓物を引きずりだしてやろうと舌なめずりをして、足音が近づいてくるのを待つ。


 ドアの前で足音が止まった。しかし、時間が経ってもドアは開かないことを不審に思っていると、カチャリという音を耳が捉える。


 俺はとっさにドアの前から飛び退こうとしたが、あることが頭をよぎりその場から一歩も動くことができなかった。

 次の瞬間、耳がイカれるほどの破裂音とともにドアの一部が破損し、自分の左腹が耐え難い熱さに襲われた。ドアに開いた穴からは、白い煙がゆらゆらと立ち昇る銃口が覗いている。


 声にならない叫びが口から漏れた。ぼたぼたと、左腹に開けられた穴から血が地面へと盛大に垂れていく。


 ドア越しに撃たれた。あの金属音を聴いた時、撃たれるだろうことは直感的にわかっていた。わかっていながら、俺は放たれた銃弾を避けることができなかった。


 なぜなら、俺の真後ろには少女が立っていたからだ。


 俺が躱せば、弾丸は後ろの少女を撃ち抜くかもしれない。そう思うと足がぴたりと動かなくなってしまった。


 ギィィとドアが開き、そこから下卑た笑みを浮かべる老人が現れた。


「ひひひひ、この間抜けな狼が。群れぬオオカミなど、恐るるに足らんわ。それにしても……」


 老人はギョロッとした目を俺の後方へと向ける。


「獣畜生と手を組むとは、忌み子にはお似合いだなぁ。見世物として、村の息抜きとしての価値はあると思いいままで生かしてきてやったが、やはり殺すか。だがその前にまずは……」


 片膝をつく俺に再度銃口が向けられる。引き金にかけた指に力を込める老人に、勢いよくなにかが衝突した。


 老人を弾き飛ばした物体が、反動で逆側へと跳ね返り、地面に倒れた。老人を弾き飛ばした物体の正体は、少女だった。


 少女は「うぅ」と苦しそうな声を漏らしているが、目立った外傷はない。ぶつかった際の反動で後ろ側に跳ね返っただけだろう。問題なさそうだ。


「ぐぎゃぁあああッ」


 弾き飛ばされた老人が悲鳴をあげる。その脇腹にはナイフが深々と突き刺さっていた。少女がぶつかった時の勢いを利用して刺したのだろう。


「クソ、クソがぁ!忌み子のおまえが生きることを許してやった恩も、村のためにうまく使ってやった恩も忘れおって、この恩知らずがあッ!」


 老人は脇腹に刺さったナイフに悶え苦しみながらも、少女に対して恨み節を吐きながら、突き飛ばされたはずみで地面へと転がった銃の元へと芋虫のように這い寄った。


 俺も腹の痛みに耐えながら銃の元へと近寄っていく。そして、よろよろと銃へと伸ばされる老人のしわくちゃな手を、思い切り踏み抜いた。骨を砕く感触とともに、老人が醜い悲鳴をあげて悶絶する。


「あがぁぁ……ッ! わしの、わしの手がっ。数々の獣を仕留めてきた、ワシの手があッ。この、このオオカミめ。これでは、これでは狩りができなくなるではないかッ」


 老人は見当はずれな心配をして、俺を憎悪と憤怒の入り混じった目で睨みつけた。狩りができるかどうかなんて、そんな心配をする必要はないというのに。なにせおまえは、今ここで死ぬのだから。


 俺は老人の喉へと噛みつき、肉を抉り取る。返り血が俺の体へとかかるが、血の生ぬるさは感じなかった。もう、五感がそれほど働いていないのだろう。

 

 老人にトドメを刺した俺は、プツンと糸が切れたように、その場で仰向けに倒れ込んだ。


 相変わらず俺の腹からは血が流れ続け、視界も意識もぼんやりとしたものになっていく。


 俺は持てる力を振り絞り、噛みちぎった肉片をその場に吐き捨てる。食べずに殺す。それが少女との約束だったから。


「オオカミさん!」


 視界に飛び込んできた少女の輪郭もぼやけていた。視界が揺れる。おそらく揺すられているのだろう。


「揺するな。気分が悪くなる」

「ごめんなさい。わたしが、わたしがこんなバカなこと頼んだから」

「殺されて当然のことをして、のうのうと生きているやつらを殺すことの、なにがバカなことがあるか」

「でも、わたしのせいで」


 はっきりと見えなくても、今少女が見るに堪えない顔をしているだろうことは容易に想像がついた。


「おまえの、せいじゃない。俺が……俺が許せなかったんだ」


 最初、少女の願いを聞き入れたのは単なる興味だった。


 でも、少女は俺とおなじだったのだ。ただ髪が黒いというだけで虐げられてきた少女と。皆が綺麗な白い毛色をしている中、一匹だけ薄汚れた黒色をしているせいで群れで孤立し、追い出された俺と。


 俺は少女に自分を重ねてしまった。村人を殺したのは別に少女のためではなく、俺自身の恨みを、怒りを晴らしたかった、ただそれだけなのだ。


「俺はオオカミだ。それも群れから追い出された嫌われ者。どうせ俺が死んだって悲しむやつなんざいやしない。……でも、なんでおまえみたいな可愛い子どもが、一人ぼっちにさせられなきゃならないんだろうな。その理由が、俺にはさっぱりわからんよ」

「ここにいる! 狼さんが死んじゃイヤだって思ってる人、ここにいる!」


 少女の髪と同じ真っ黒な瞳が揺れ、大粒の雫がポタポタと俺の顔に落ちる。薄れていく五感の中、その雫の暖かさだけは、はっきりと感じることができた。



 気がつけば、俺はベットに横になっていた。それは村外れにある、少女の祖母が住んでいた家だ。少女はその小さい体で俺をここまで運んできたようだった。

 

 立ち上がろうとするが、どうにも体が言うことを聴きやしない。まだ怪我は癒えていないらしい。体に目を落とせば、少女の頭巾らしきものが、包帯代わりに傷口に巻いてあった。が、肝心の少女が見当たらない。


 ドアが開いて、少女が入ってきた。目が覚めてから初めて見る少女は血まみれだった。


「子供でも、案外いけるんだね。狼さんみたいにはいかなかったけど……」


 血まみれで息を乱れさせる少女の手に握られていたのは、薬だった。少女は村の薬屋を襲ってきたと言う。全身についた血はすべて返り血のようだ。


 よく効く薬だと言って、少女は塗り薬を俺の傷口に塗って、包帯代わりにしていた頭巾を交換した。


 それからも少女は俺が寝込んでいる間たびたび村へと出向き、村人の家を襲い食料を手に入れてきた。その食材で食べやすいようにと簡単なスープを作り、動けない俺のために俺の口元へと直接スプーンを持ってきて食事をさせてくれた。


 そうした日々が一月ほど経ったころ、ようやく俺は立ち上がれるほどに回復したのだった。


「オオカミさん、もうわたしを食べられるくらいには回復した?」

「おまえを食うのは、おまえの家族と村人をみんな殺した際の報酬という話だっただろう。だが薬屋はおまえが殺した。村人全員を殺すという約束を守れなかったのだからあの約束は無効だ」


 非常に残念なことではあるが、約束を違えた以上俺が少女を食うことはもう一生できない。オオカミは嘘をつかないのだ。


「そっか」


 俺は隣でニコニコとしてる少女を見て顔をしかめた。厳密に言うなら、少女の頭部を見てというのが正しいか。


「本当にそんなのを頭に被るのか? 臭いだろう」


 俺の傷口に当てられていた少女の頭巾には俺の血が染み込んでおり、どれだけ洗い流しても濃い赤色は消えなかった。そんなもの捨てればいいのに、少女はあろうことかその頭巾を頭に被っているのだ。顔をしかめたくもなるだろう。


「大丈夫だよ。オオカミさんの匂いがする」


 少女は嬉しそうに答えるが、オオカミの匂いというのは獣臭さや生臭さという悪臭の類だ。


「やっぱり臭いんじゃないか」と俺が指摘すると、少女は「もー、オオカミさんはわかってないなー」と頬をふくらませた。


「ねえ、オオカミさん」

「なんだ?」

「わたしはオオカミにはなれないし、オオカミさんも人間にはなれない」


 そんなことはわかりきったことだった。わざわざ言われるまでもない。そのはずなのに、なぜだかチクリと胸が痛んだ。


「でも、一緒にいることはできるよね。」


 少女がにっと歯を出して笑った。俺の手を握るその小さな手にたいした力はこもってないのに、握られた手がジンジンと鈍くうずいた。まだ体が完全に回復していないようだ。


「ああ、群れから追い出されたはぐれ者同士、俺たちは一緒だ」

「わたしは忌み子だけど、それでもオオカミさんは一緒にいてくれる?」


 少女は不安げに眉をひしゃげさせて俺を見上げた。


「……おまえが、自分の髪と俺の毛が同じ色だと言ったのを、俺が否定したのを覚えているか?」

「うん。あの時はごめんなさい」


 少女が下を向く。


「違う。謝るのは俺の方だ」


 確かに俺の毛色と、彼女の髪色は一緒ではない。なぜならば、


「おまえの黒は、闇に溶け込む綺麗な黒だ。俺のくすんだ黒とは違う」


 少女のそれはまるで夜のように綺麗な漆黒で、俺のそれは暗い色が入り混じったようにくすんだ黒で。それは一緒にしていいものではない。


「だから俺は、おまえの髪色を汚いと思ったわけじゃない」


 むしろ俺が汚いと思うのは、大嫌いなのは自分の毛色の方だから。


「村の連中が勝手に決めた忌み子なんてくだらない定義は気にするな。おまえは忌み子なんかじゃない。わかったか?」


「うん。わたしは、忌み子なんかじゃない!」


 少女の陰っていた顔が、ぱあっと明るくなる。


「ねえ、オオカミさん。わたしは好きだよ。オオカミさんの、いろんな黒が混じった毛色」


 そういって、少女は俺の毛に手を埋めてわちゃわちゃと動かした。


「……そうか。おまえが好きなら、それでいいか」


 今までずっと嫌ってきた自分の毛色。だけど今、俺は心の底からそう思った。


「村人はあとどれくらい残ってる?」

「うーん、半分くらいかなあ」


 結構殺したつもりだったが、まだそんなに残っていたのか。


「そうか。村の連中が俺たちに怯えて逃げ出す前に、とっとと体を回復させて殺しにいかないとな」

「うん!わたしも手伝うね!」

「足を引っ張るなよ」

「うん!」


 同族を殺すという俺に笑顔でついて来ようとする少女は、人間から見れば異常なのだろう。

 しかし、俺にはそんなの関係のないことだ。なんせ俺はオオカミなのだから。だから彼女がたとえ人として異常だとしても、共に歩むことができる。


「ねえオオカミさん。忌み子忌み子って言われて、わたし名前無いんだ」

「俺も名前なんてないぞ」

「オオカミさんはオオカミさんでしょ?」


 少女は「なにを言ってるの?」と言わんばかりに首をかしげた。


「まあ、いいか」


 名前にこだわりなど無い。訂正する必要もないだろう。それに少女にそう呼ばれるのも悪い気はしなかった。


「でもわたしはおまえじゃないからね」


 少女はわざとらしく頬をふくらませて俺を非難するように半目で睨んだ。


「ならなんて呼んでほしいんだ」


 俺はため息をついて少女を見た。


「それをオオカミさんに決めてほしいんだ。わたしの新しい名前!」


 新しい名前……。その言い方はまるで前の名前があったような言い草だ。名前がないという少女の言葉が真実かどうかは定かではない。しかしどのみちあんな家族に付けられた名前ならば、名乗らせるのも気に食わなかった。


「ふむ」


 俺は少女の全身に目を配る。こういうのは、特徴を捉えたわかりやすいものが好ましいだろう。とすると、どうするか。


 ふと少女が頑なに捨てようとしない、血染めされた頭巾が目に止まった。


「よし、決めたぞ。おまえの名前は今日から――――」




 

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