第38話 他人の立場に立ってみろ

「君一人死んで、社会がなにか変わるとでも?」


 俺は世の中の、スーパーの野菜売り場からいつまで経っても決して無くならない腐ったタマネギのような不条理。

 それに怒り、抗議の自殺をしようとした。

 死ぬ方法は、焼身自殺。


 抗議の自殺なんだから、当然だ。


 ひっそりと死んでは意味がない。

 皆に気づかれないと。


 そして苦痛の少ない方法では「この世から逃げる口実に、大義名分を求めたか」と思われる。

 だから敢えて、焼身自殺を選んだ。


 焼身自殺はとても苦しい。


 炎の熱で、死の瞬間まで意識を失わず、己が身を焼かれる苦痛を味わい続けるんだ。

 なので、これは抗議。

 断じて逃げでは無い。


 そう思い、ガソリンを準備し、決行場所への交通ルートの確認をしているときだ。

 暗い部屋で、1人パソコンを操作していたら、後ろに気配を感じて。


 振り返ると、ヤツがいた。


 角刈りで、全身黒タイツ。

 背中に亀の甲羅のような防具を背負ってて、スニーカーを履いている。

 正体不明の若い男が。


 その男に言われたんだよ。


「君一人死んで、社会がなにか変わるとでも?」


 って。


 誰かと思ったけど。

 俺はそれに対し


「変わらないかもしれない……いや、おそらく変わらないだろうけど……俺という人間が、国会議事堂前で抗議の焼身自殺を遂げた事実は残る」


 そしてそれが、俺では無いとても優秀な誰かの胸に火を灯すかもしれない。

 俺はそれで十分なんだ。


 そう返した。


 この男の正体なんて、心底どうでも良かった。

 とっくにこの命は捨ててるんだから。

 そんな些末なこと、今更だ。


 すると


「君は自分の命を軽く扱い過ぎだ。人間の命は尊いものだ……そんな1年で枝から落ちる木の葉のように、簡単に消費していいものじゃない」


 そんな風に、彼は俺をたしなめた。

 けれども


「俺は我慢ならないんだよ。この世の中に」


 そう返す。

 そんなお題目みたいな言葉はもう通過しているんだよ。

 俺は。


 俺はこの社会が気に入らない。

 だけどテロは起こさない。


 テロは駄目だ。

 暴力で他人の意見を封殺するなんて……

 そんなの独裁者……ファシズムだ。


 だったら、標的にすべきは自分の命のみ。

 それが俺の出した結論なんだ。


 するとその角刈り男性は深く考え込んだ。

 そして、こう言ったんだ。


「……少し、意識を変えてみると良い。君は狭い範囲で考え過ぎてしまってるように見える」


 手始めに一人称を変えてみればどうだろう?

 そう、言い出した。


 俺はその言葉を聞き


「狭い範囲とは何だ! 俺は多角的に物事を考えようとしている!」


 と、食って掛かった。


 だけど……


「……あれ?」


 角刈り男性が目の前からいなくなっていたんだ。

 何故か。

 いつ消えたのか分からないんだけど。

 ずっと見ていたはずなのに。




 一人称を変える……?

 それで意識が変わるって……?


 本当なのか?


 けれど、このことを言って来たあの男は絶対に普通の人間じゃない。

 そんな男の言葉……。


 戯言では無い気がした。


 だから


「……ワシは」


 言ってみたんだ。

 すると


 みるみる、俺の手が皺だらけになり、気力がみるみる小さくなる。

 性欲も減退していく。


 おお……おお……?


 鏡の前に行く。

 そこには


 見慣れた俺の顏では無く、齢90才を越えていそうな、超高齢者の俺がいた。


 ……マジか。

 一人称を変えただけで、この変化。


 あの謎の男が俺にくれた魔法か……。


 感動めいたものがあった。

 俺は老人になると同時に。


 その身体の動きにくさ、ままならなさを実感していたから。

 これが老いるということ……


 ひとつ世界が広がった気がした。


 そして次に


「アタシは……」


 その瞬間。

 俺の手が細い、繊細なものに変わり。

 鏡の中の俺の顔が、骨格の細いもの……女の顔に変わっていく。

 俺は自分の胸を見た。


 ……しっかり膨らんでいた。


 それと同時に、俺の腹部に痛みが走った。

 下痢とは違う、別種の痛み……


(ひょっとしてこれ、生理痛か……?)


 なるほど……これはキツイわ……


 また、俺の世界が広がった気がした。




 そして俺は、その後一人称を様々に変えていき、色々な立場の人間の「当たり前」を経験し、学んだんだ。

 その学びの中で、俺は真に他人の立場に立つことを覚えたんだ。




 そして


「現役世代が減っている以上、支給する年金を減らすのは仕方ないことなんですよ」


「ワシらに早く死ねって言ってるのか?」


 ある日、お年寄りと政治の話になった。

 討論と言い換えても良い感じの。

 俺としては、一度本物の老人に変身し、全て分かった気になっていたし、実際かなりその通りだったと思う。

 だけど……


 俺がお年寄りの意見に的確に応え、若者と老人の現実的な妥協点に誘導しようとしたとき。

 そのお年寄りは、こう言ったのだ。


「お前ら若造に何が分かる! 年寄りにしか見えない景色があるんじゃあ!」


 ……俺の胸に、氷の槍が突き刺さった気がした。


 その後も


「……あなた男よね? 女の立場なんて分かるはず無いわ! 女しか分からないものがあるのよ」


「頭良い奴には俺たちの気持ちなんて分からねーよ!」


「陽キャ連中が僕らの気持ち分かるはず無いです」


 ……苦しくなると、立場に逃げる。


 俺は彼ら、彼女らを理解しようと頑張ったのに。


 だからまあ、理解してしまったんだよ。


 ああそうか……。

 こいつら歩み寄る気なんて最初から無いんだって。


 そっか……良く分かったよ。




 俺は今、闇ルートを駆使して原材料を集め、お手製の爆弾を作っている。

 街ひとつ、簡単に吹っ飛ばせる規模のものだ。


 俺は他人の立場に立つことにより、理解した。


 歩み寄るのは無駄である、ということに。


 結局は暴力だ。

 暴力で全てを解決しよう……!


 それが真理……!

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